植木行宣著『芸能文化史論集』全三巻
    1 『中世芸能の形成過程』 (二〇〇九、四)
    2 『舞台芸能の伝流』 (二〇〇九、一〇)
    3 『風流踊とその展開』 (二〇一〇、五)

評者:西瀬英紀
「芸能史研究」193(2011.4)

 京都府の民俗文化財行政を主導し、多くの後進を導いてこられた植木氏の著作が『芸能文化史論集』という形にまとめられて、岩田書院から刊行された。おりしも、芸能史研究や民俗芸能調査の同分野で活動されてきた山路興造氏の著作『京都 芸能と民俗の文化史』(二〇〇九、十一 思文閤)、『近世芸能の胎動』(二〇一〇、六 八木書店)、『中世芸能の底流』(二〇一〇、一〇 岩田書院)の三冊が刊行され、芸能史と民俗芸能の調査・研究に従事された両先達の軌跡を、ある程度系統的にたどることが、可能になったことを最初に触れておきたい。
 山路氏は長く在野の芸能研究者として活動されてきたが、芸能史研究の先駆者、林屋辰三郎氏の勧めもあって、京都市歴史資料館に勤務されることになった。これに先立つこと二十年あまり以前、林屋氏の指導のもと、中世芸能史を専攻されていた植木氏は、京都府教育委員会に就職され、近畿圏における民俗文化財のあり方を問い続けられてきた。植木、山路両氏は、文化財行政と地域住民の生活が深く結びついている京都府と京都市の専門職員として調査研究にあたられてきた。このことが、近畿圏の民俗文化財行政に大きな影響を及ぼした点については、今後、十分に検証されるべきだと思われる。
 この書評が、林屋、植木、山路氏らの研究活動の拠点とされてきた芸能史研究会の会誌に掲載されるからには、今後の芸能史研究のあり方への展望を視野にいれた論述が要求されるべきであろう。今回、はからずもその書評を執筆することになって、俊巡しているのが、今の私の実状である。
 私は、福原敏男『祭礼文化史の研究』、橋本裕之『王之舞の民俗学的研究』、佐藤道子『悔過会と芸能』、服部幸雄『宿神論』、金賢旭『翁の生成』、これらのすぐれた芸能研究者の著作を、本誌に六編も書評する機会を得てきた。
 福原、橋本両氏の著作の書評では、今日では中堅研究者として評価の高い両氏の論文集に対して、春日おん祭見学友達として、奈良在住の立場から、批判的に書評をすることができた。佐藤、服部の両先生の著作に対しては、修正会・修二会というフィールドが共通する先達のお仕事を、私なりに悔過会や翁猿楽にむきあうことによって、検証してみたいという思いから、書評の執筆を申し出ることにした。林屋辰三郎研究奨励賞を受賞された金氏の著書に対しては、日韓の文化交流論の陥りやすい問題点を、この機会に指摘してみたい、という思いから、取り組むことができた。
 ところが、今回の植木氏の著作三部集の書評の執筆を引き受け、改めて各論の読み直しを進めていくうちに、自己の不勉強を、改めて認識する結果におちいってしまった。すでに『民俗芸能研究49号』には、植木氏の三部作の書評を、松尾恒一、長谷川嘉和、福原敏男の三氏が分担されており、それぞれ植木氏への思いをこめた文章が掲載されている。植木氏の影響もあって自己の課題を見つけられ、多大な業績を上げられている三氏によって、的確な書評がなされており、つけ加えることを見い出すのは、むつかしいと思わざるをえない。
 民俗芸能研究と芸能史研究、付かず離れず、相互に乗り入れる二つの分野に、多少なりとも関った経験をふまえて『芸能史研究』に、植木氏の書評を書くということは、自分の研究姿勢の表明を求められているように、感じられて、正直言って荷が重い。しかし、「一人の読者が、三部作をまとめて書評するという視点もありうるではないか」といわれる山路氏のお勧めもあって、力不足ながら、内容の紹介を兼ねて、所感を述べてみることにしたい。
 植木氏は立命館大学で、林屋文化史学の後進の一人として、延年、猿楽、平曲、雅楽といった中世芸能の本質に、果敢に挑み、日本史研究における芸能の位置づけの論述を試みられていた。そのころの若き日の植木氏の活動は、第一論集『中世芸能の形成過程』から、伺うことができる。
 有形の美術作品に比べ、評価のすることが難しい民俗芸能を、植木氏は無形文化財の担当者として、相対的に位置づける作業を続けられてきた。そのことは、第二論集『舞台芸能の伝流』に、収録された報告書の集積を俯瞰することによって、伺うことができよう。
 さらに植木氏は、定年退職後、フリーの研究者として調査活動の場をひろげられていった。その成果として祇園祭研究の延長上に位置する『山・鉾・屋台の祭り−風流の開花−』(二〇〇一、白水社)を刊行されている。京都府勤務の事情で、今まで足を伸ばせなかった全国各地の都市祭礼の現場に、足繁く通われ、フィールド調査のなかから、ライフワークとしての著書を、まとめあげられた。都市祭礼研究の指針となる山鉾祭礼研究と並行して進められた風流踊の研究調査の成果を、以前の調査報告とあわせてまとめられたのが、第三論集『風流踊とその展開』ということになろう。
 このように、この三部作の各巻は、植木氏の民俗や芸能に対する多面的な立場、すなわち「日本文化史研究者」、「文化財行政の当事者」、「民俗祭礼のフィールドワーカー」この三つの立場に、ポイントを置いて、編集されていることに気づかされる。
 植木氏の個々の論考が、中世芸能や祭礼行事の研究が進展するうえで、多大な影響を与えてきたことは、周知のことであろう。しかし、三冊の論集としてまとめられると、植木氏の軌跡からは、他の文化史研究者や民俗芸能研究者とは、異なる傾向をみてとることができよう。それをひとことでいうと、「文化財行政当事者としての責任感に裏打ちされた、芸能を取り巻く民俗文化への温かい視線をもった研究姿勢」だということができよう。

 第一論集『中世芸能の形成過程』には、田楽、猿楽、延年、平曲、雅楽、そして中世の芸能文化論が付け加わっている。
 第一章「田楽−その成立と展開」では、芸能史における田楽の研究は、田囃子、職田楽、風流田楽という担い手も、演ずる場所も、異なる三つの芸能を整理し、識別することから出発されるべきことが、提唱されている。農耕儀礼としての田遊びも、これらから識別されるべき芸能であるとされている。
 一般の理解ばかりか、歴史研究者にすら、田楽の芸態に対しては、共通の認識がされていないのが実情である。古代の農耕儀礼を、芸能のルーツとして考えたいという、日本文化論者が陥りがちな問題点を植木氏は、はやくから鋭く指摘されてきた。
 第二章「猿楽−その成立と展開」では、猿楽の形成期についての論考がまとめられ、その末尾には、南山城の神事能に対する報告書が収録されている。能の成立については、国文学研究者を中心に歴史的研究が進められてきた。その状況が今もかわってないなかで、植木氏は日本史研究者としての立場から、鎌倉、南北朝期の猿楽の実像に迫られようとされた。ことに第二節「猿楽能の形成−翁猿楽の発展−」は『中世の権力と民衆』と題された日本史研究会史料部会の編になる論集に収録されており、当時の歴史学の問題意識に添った論考としての意気ごみを感じさせる内容をもっている。
 二章の五節「南山城の神事能」は、府立山城郷土資料館発刊の民俗調査報告書に執筆されたものである。祈祷の一人翁を伝承する月ヶ瀬村の相和家や山田荘新殿神社の黒崎家のことにも触れられている。
 昭和五三年の十二月十八日、春日若宮おん祭の後宴能の見所の芝で、学部二年生の私に、月ヶ瀬村の相和喜寛氏が「私、翁を舞うてますねん」と声を掛けられた時の衝撃を、今も忘れることはできない。徳江元正氏の『藝能・能藝』を読んだばかりだった私にとっては、大和、東山中の宮座行事に参勤する翁猿楽の伝承者と出会った瞬間であった。その時から、金春流の稽古人脈を通じて、奈良、三重、京都の府県境を越えた一人翁の神事芸の存在を、追いかけてみたいと思った。奈良市教育委員会による民俗芸能調査で、翁について私もレポートを執筆したが、その京都府側からの報告が、植木氏によってまとめられている。
 今日、関西学研都市として開発の進む木津川流域、南山城地域には、山城国一揆の地域とも重なる木津・相楽・天王・山田などの集落も含まれている。これらの村落に、神事能の伝承や記録が残っていることが、「南山城の神事能」では紹介されている。また、大和の東山中地域と隣り合うダムサイトの湖岸に位置する南山城村の田山・高尾では、今日も願済の翁の祈祷芸が、続けられているという。風流の太鼓踊の芸態をよく残している田山の秋祭における芸能の重層性に対する興味も、第三分冊と併読すると、より深められてくる。
 翁猿楽が、村落における祈祷芸として伝承されたことを叙述するこの報告が、第二分冊でなく、この第一論集に収録されていることにも注目しておくべきであろう。大和と都の中間に位置する南山城の村落が、惣村鎮守社の宮座行事のなかで、猿楽芸を享受してきた意義を考えてみたい。
 第三章「延年−先行芸能の継承と創造」でも、植木氏は、猿楽と延年風流との芸態の比較から、中世芸能の一面を摘出しようとされている。延年の芸能史的研究は、松尾恒一氏によって、さらなる進展がみられた。能の原型を考察する素材として延年史料を活用する段階から、寺院組織における芸能の機能を読み解く研究へと変化しつつある。近年、報告された薬師寺における永正・大永・天文期の宮遷の延年史料は、寺院における芸能運営に関する詳細で具体的な様相を物語っている。寺院の周辺村落の猿楽へ関心と、寺僧集団の延年志向の嗜好の差異に、中世芸能を享受する僧俗の多様性が、よく示されており、複数の学会で報告を私も試みている。植木氏や松尾氏の先行研究をふまえて、中世、南都における芸能の諸相に対する、さらなる探究を進めたいと思っている。
 第四章「平家物語の芸能的環境」では、平曲をになった当道座の形成に関する論文が収録されている。植木氏としても、最も初期の論考にあたる。中世軍記文学の研究は、近年夥しい成果をうみだしているが、歴史研究者の側からの発言は、最近もまだ多くはないと思われる。日本文化史の構築を試みられていた青年期の植木氏の意欲が、まさに「研究史的意義」を、半世紀後の今日に伝えているといえるのではなかろうか。
 第五章「芸論の芽生え」は、思想大系『古代中世芸術論』編集のための共同研究での楽書「教訓抄」の講読の成果が、まとめられたものである。雅楽、舞楽の研究は従来、音楽史の研究者にゆだねられてきた感が強いが、芸能史、思想史の史料として、楽書を位置付けられた意義は小さくはない。
 付章「京都近郊村落にみる中世後期の生活と芸能文化」では、文化史の文脈のなかから、都の周辺部の民俗社会を抽出されている。植木氏の姿勢がよくあらわれているこの付章で、第一分冊はしめくくられている。

 第二分冊『舞台芸能の伝流』では、京都府下の民俗調査報告書から抄出され、まとめられた論考が主体をなしている。本書の書名と内容との、一見、違和感を感じさせるところに、民俗芸能と舞台芸能を相対的に位置づけようとされる植木氏の姿勢が、よく示されていると思われる。村落や町中の伝統行事を、そのような視点から、文化財として意義づける作業を植木氏は、一貫して続けてこられた。ことに第一章「舞楽・田楽・猿楽」に収録されている報告を読むと、その思いを強くする。
 舞楽の系譜を引く松尾寺の仏舞。宮座の神事芸能として、丹波・丹後に十数ヶ所の伝承の見られる府下の田楽芸。中世的宮座行事のなかで、まとまった神事芸能が残される播磨の上鴨川。南山城の一人翁と異なり、式三番の芸態にこだわる丹後半島に分布する三番叟。これらの報告に、全国を視野に入れ多様性に言及された「獅子舞の伝流」が付け加わる。
 第二章「宮座の祭りと芸能」では、祭祀組織が基盤になった中世的村落における芸能的要素についての報告が収録されている。丹波、亀岡周辺の相撲神事・流鏑馬・立華・御田など。典型的な芸態を残す南山城の相楽の御田。丹後半島の宇良神社に伝わる修正会の儀礼、延年祭がとりあげられている。この宇良神社の神事が「延年」と呼ばれていることも興味深い。本章で扱われている諸地域において、神事能の記録がみられることも、本論集の編集意図と関わるように思われ、興味深く読むことができる。
 第三章「大念仏と六斎念仏」では、京都を代表する民俗芸能として知られる壬生狂言などの大念仏狂言と六斎念仏について、まとめられている。清涼寺の嵯峨大念仏狂言や六波羅蜜寺のかくれ念仏も、古刹の行事でありながら、紹介されたものは少ない。獅子の碁盤乗りや土蜘蛛が人気を集める芸能的六斎は、観光資源としても活用が計られているが、西京極、郡の念仏六斎のように、大文字などの行事との関わりが少なく、公開される機会も少ないものもある。植木氏執筆の報告のうち、数例の事例報告に限定して収録されている意図もあったのではないかと、推測されるのだが、その理由は、あきらかではない。吉祥院や梅津の六斎の報告が未収録である理由も知りたいと思った。
 第四章「おかげ踊りとその絵馬」は、幕末に流行したおかげ踊りに関する山城地域の地方文書を紹介し、絵画資料としての神社に奉納された絵馬について、概説がなされている。ともすれば、「えいじゃないか」に先行する民衆の解放運動の側面が強調されてきたおかげ踊を、風流踊の系譜に位置づけられている点が注目される。
 第五章「火の風流」は、年中行事を民俗文化財として把握するなかで、盆の精霊送りでおこなわれる送り火や柱松について解説される。これによって京都特有の盆行事と思われがちな五山の送り火の背景についても、理解を深めることができよう。
 続いて、亀岡市郊外の稗田野神社の祭礼で上演される佐伯灯籠人形の調査報告が、収録されており、盆の風流の作り物の系譜に、串人形の舞台となる台灯籠が位置づけられている。
 第六章「山・鉾・屋台の祭り」では、同名の前著刊行後にまとめられた、犬山のからくり、桑名の石取祭、城端の曳山について、報告が収録されており、積極的にライフワークの補填に努められている姿勢が窺われる。

 第三分冊『風流踊とその展開』では、風流踊の系譜をたどる論考がまとめられている。前著『山・鉾・屋台の祭り』が、都市的環境を背景とした、祇園祭に代表される山鉾の祭礼を対象とした論集であったのに対し、村落的環境を背景とする風流踊を対象として、その展開過程を論述した論集となっている。
 第一章「風流という芸能」では、民俗芸能のなかでも、各地域において類型的な同種の芸能が集中的に分布するのが、風流の名称でまとめられる拍子物や風流踊を主体とする諸芸能の大きな特色であると、指摘されている。近畿圏に分布する風流系の芸能を、長期にわたり、精査されてきた植木氏は、まず「囃す機能を本質とする拍子物」と、「組歌形式の踊歌で踊られる風流踊」の二類型にわけることを、提言されている。さらに風流踊を踊歌の形態と踊りの芸態の双方から考察され、ジンヤク踊、カッコ踊、振踊、小歌踊に分類される。
 各地の太鼓踊に含みこまれているジンヤク踊を、一類型として類別する視点は、従来の歌謡研究を主体とする個別報告には、みられない視点で、踊の史的展開を類推する視点が導入されている。「目的と機能を無視した風流の研究はありえない」という、提言の意味は重い。
 第二章「拍子物とその伝承」では、丹波の踊子、近江のサンヤレとケンケト、志摩・伊勢の大念仏、さらに中国地方の囃田がとりあげられている。京都府の田楽の調査の過程で報告された丹後、舟木の踊子や遠下のチイライ踊は、拍子物の芸能として類別されて、本書に収録されている。このことからも、京都府下の芸能を総合的見地から、見つめ直そうとされる植木氏の姿勢を読みとることができよう。
 ケンケト、サンヤレという呼称から、囃し詞が印象的な拍子物の芸能であることを、長刀振を主体とする近江の祭礼の報告書の総論において、冒頭に言及されている。民俗芸能を、拍子物の系譜をたどる芸能史の視点にたって見据えられている植木氏の姿勢を、ここにもみることができる。
 第三章「風流踊の展開」では、山城・丹波・丹後各地域の風流踊、近江の太鼓踊、伊勢・志摩のカンコ踊、各地の長刀振の調査報告が収録されている。
 南山城村、田山では大規模な太鼓踊を秋祭に伝承しているが、祭の宵宮で翁舞が奉納されていることに、今一度注意しておきたい。また、精霊踊が伝承されている上狛地区は、山城国一揆の拠点でもあり、南都両神事の翁猿楽に出仕していた長命家の居住地でもあった。村落に伝承される諸芸能について考えるさい、各々の芸能のもつ特性を把握するばかりでなく、各地域の芸能の重層性に注目する視点が必要であることを、改めて考える必要があるように思われた。
 丹波一之宮の出雲大神宮の花鎮祭に奉納される風流花踊の華麗な装束は、昭和四年に風俗考証家、吉川観方氏の監修によって作られたことも、記述されている。京都や奈良周辺の古風を残すとされる祭礼には、近代以降、研究者の関与した複元の試みが伝承されている事例も少なくない。これも風流の芸能のもつ一つの側面でもあるのだが、各時代における社会的背景との関わりにおいて、歴史的変遷について、正確な叙述が、報告書には必要なことを、改めて考えさせられた。
 植木氏には「民俗芸能分布圏試論」(『民俗文化分布圏論』巻頭)という、丹後の花踊と笹ばやしの分布と芸態の差異から、研究の課題と方法について問題提起された論考がある。植木氏の研究姿勢がよく示されており、あわせて読まれるべきであろう。
 定年後、植木氏の風流踊の伝承を追求する調査は、滋賀県、三重県へと及ぶ。事例を可能な限り収集し、考察を加える民俗調査の基本に徹した報告として、本章の報告書の集成は、一つの規範になるといって過言でなかろう。
 第三章「風流の作り物とはやし」には、前著「山・鉾・屋台の祭り」の補遺として、甲賀の大原祇園の灯籠と花奪い、伊賀市陽夫多祇園の花傘と願之山の報告に続き、都市祭礼の屋台における囃子の展開を、祇園囃子や関東や長崎を含む全国の都市祭礼を視野に入れて論じた「山・鉾・屋台の祭りとハヤシの展開」が収録されている。論集の末尾に位置し、中世の風流の面影を色濃く残す鞨鼓稚児や動物風流を論じた「山鉾を囃す稚児舞」とあわせ、祭礼を構成する風流の踊や作り物を、トータルに把握し、地域的特性と歴史的変遷を考察される植木氏の祭礼芸能研究のエッセンスが、つまっているという印象をもった。

 限られた紙数で、広汎で長期にわたる植木氏の三部作の論集を紹介し、批評することは、民俗芸能のフィールド調査から、遠ざかって久しく、見聞も遥かに及ばない私のなし得ることではない。
 古典芸能を上演する公的機関として、国立文楽劇場の資料部門に勤務する自己の立場を考えるならば、文化財行政のなかでの国立劇場の位置づけが、以前より希薄になっていることを、日常的な危惧として感じざるをえない私にとっては、植木氏の本書における問題意識を、どのように仕事にいかしていくかを、自己の課題としていかなければならないと思っている。


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