No.117 1998年5月
【校正 覚え書き(1) 旧字と新字】
 あいかわらずの新刊ラッシュで、今月も、この裏だよりを10回分書かなくてはならないので(書かなくてもいいのだが)、この機会に、原稿整理や校正をしていて 常に問題となることを、これから何回か書いてみよう。
 まず、漢字の字体について。漢字には、新字(常用漢字)・旧字(正字)・異体字・俗字などがあるが、ここで問題にしたいのは史料(資料)を引用する場合である。著者の原稿には、新字の中に旧字が混在してくることがままあるが、小社の場合は、原則として新字体にしている(但し、人名・地名などの固有名詞は原表記を尊重する)。
 そもそも、引用するにあたっては、完全な引用はありえないので(文字の大きさや字配りは 当然変わってくる)、引用者がなんらかの操作をして、自分の論文に引用するのであって、原文の内容がきちんと伝わればよしとすべきものだと思う。旧仮名遣いを新仮名遣いに直してしまうのは、やりすぎだが、旧字を新字に置き換えるのは、許される範囲の操作だと思う。
 旧字にこだわるなら、全て旧字にすべきであろう(旧字に統一することに、どれほどの意味があるかは問題だが)。旧字と新字の字体が大きく違う字のみ 旧字を使い、あまり違わない字は新字にする、というのは、どうも中途半端である。大きく違う字と、あまり違わない字との線引きはむずかしく、為爲、禄祿、斎齋、などはどうするんだ、ということになる。シンニュウ ひとつとっても、旧字はテンが2つで、新字は1つ、という区別がある。「辻」は新字がない(常用漢字にない)ので、テンが2つの字しかないはずだが、ここに記したように、現実にはテンが1つの字があるので、よけいややこしくなる。
 また、引用した活字資料が旧字であれば旧字を、新字であれば新字を、というように使いわける人もいるが、区別するだけの意味があまりないのではないだろうか。
 総じて、若い執筆者の中には、新字と旧字の識別ができていないフシがある。と言ってしまうのは言い過ぎだろうか。

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