村井早苗著『キリシタン禁制の地域的展開』
評者:しらが康義
掲載誌:「日本歴史」718(2008.3)


 村井氏は、豊後臼杵藩におけるキリシタン禁制の展開、キリシタン禁制をめぐる天皇と統一権力の結合・連携、禅僧による排耶活動などについて、いくつかの著作を世に問われてきた。氏の研究は、キリシタン禁制を幕藩制国家史研究のなかに位置づけることを課題とするものであった。
 こうした課題に、キリシタン禁制の下に生きた諸階層の人々にとって、キリシタン禁制がどのような意味をもち、その後の歴史にどのような刻印をしるしたのかという新たな課題を加え、本書は構成されている。このため本書では、直接的なキリシタン禁制にとどまらず、寺請制度を担う村落寺院の様々な機能や村落にみられる多様な宗教活動にまで言及されており、従来のキリシタン禁制に関する研究書にくらべ、意欲的なものとなっている。内容を紹介しながら、いくつかの点について意見を述べ、書評のせめをふさぎたい。

 第一編「キリシタン禁制史の概要」では、江戸幕府によるキリシタン禁制の展開を、寛文期までやや細かく時期区分し、さらにキリシタン存在の多少により地域を九州各地、岡山藩などに区分し、追究されている。
 その結果、元和期まではキリシタン禁制を実施しない大名が存在することや、島原の乱以降幕府は、幕閣の井上政重や長崎奉行などを担当者として本格的に藩政に介入し、キリシタン禁制を厳しく大名に強制したとされる。また明暦寛文期のキリシタンの大量露顕のなかで、寺請制度・宗門改帳の作成が全国化し、キリシタン禁制制度が完成したとされている。
 しかし、禁制制度の完成は、類族監視制度が整う貞享元禄期とすべきではなかろうか。本書のいくつかの箇所で触れられているように、島原の乱以降幕府は棄教者の立ち返りを危惧しており、このことが寛文期の大量露顕によって増幅され、貞享元禄期の類族監視制度につながっていったのではなかろうか。この点、批判しておきたい。

 第二編「キリシタン禁制と岡山藩」では寛永二十年(一六四三)以降における岡山藩のキリシタン摘発は、複数の藩のあいだで仕官と致仕を繰り返す移動性の高い下級武士を主たる対象とするもので、全国各地で摘発されたキリシタンの自白を一手に掌握した幕閣井上政重の指示にもとづいて行われたとされる。つまり、岡山藩独自の詮索によるものではなく、結果として、岡山藩は、キリシタン禁制について自分仕置権を失うことになったと指摘されている。

 第三編「琉球・蝦夷島におけるキリシタン禁制」において、琉球ではキリシタン禁制が実施され、寛永年間にはキリシタンの処刑も行われたが、仏教が人々に浸透していないため、寺請制度は行われなかったとされる。蝦夷島のうち和人地では、島原の乱以降キリシタン禁制が実施され、寺請制度も行われた。一方蝦夷地のアイヌ民族には、キリシタン禁制は及んでいなかったが、蝦夷地幕領化以後は、ロシアが南下することへの対抗上、蝦夷地に寺院を新たに建立し、アイヌ民族への仏教化や宗門改が行われるようになったとされている。

 第四編「地域における寺社の役割」では下総高根村の幕末の「村議定」を用い、村落における多様な年中行事を考察し、村民の寺請先となっている村内寺院が、寺請や葬祭以外に、生活と生産の安定のため様々な役割を果たしていたことを明らかにされている。
 つぎに、江戸近郊の名勝地となっていた角筈村の熊野十二社権現について、開帳などが行われ人々の交流の場となっていたとされる。さらに、下総藤原新田の文政期の村方騒動の際、この村を支配していた前代官の名前をつけた石の祠を、「徒党守護神」として小前方が新たに設置したことに言及されている。
 続いて、文化期豊後における百姓一揆の際に、村落の寺請寺院が一揆の解散を説得する一方で、一揆の要求を藩当局に取り次いでいることを示されている。寺請寺院が支配の末端としての役割にとどまらず、日頃から領民との密接な関係を維持していたことを前提としなければ、このような藩と領民との間における調停者としての機能は果たせないと指摘されている。先に「村議定」を用いて説明された、寺請寺院が果たしている村落の生活と生産の安定のための様々な役割が前提となっているのであろう。

 角筈村熊野十二社権現や「徒党守護神」については、キリシタン禁制の下にあった人々の如何なる宗教心の発露なのか、またその宗教心がキリシタン禁制および寺請制度とどのように切り結ぶのか、切り結ばないのか、よくわからなかった。しかし、寺請寺院の寺請以外の村落における役割・機能に着目しながら、寺請制度と関わる家・祖先意識また葬祭観念などとの位相に注意し、人々の宗教心の世界を捉え行く必要があることを、本書によって強く教えられた思いがする。
 直接的に心の内面を語ることのない、様々な年中行事にみられる信仰儀礼や寺請寺院の宗教活動から、我々は、キリシタン禁制の下にいた人々の宗教心を読み解いていかなければならないのである。そのことに思いを致すとき、本書が如何に意欲的な研究書であるか、お分かりいただけると思う。
(しらが・やすよし)


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