下重 清『幕閣譜代藩の政治構造−相模小田原藩と老中政治−』
評 者:井上 攻
掲載誌:「小田原地方史研究」24(2007.10)


 本書は、著者が一九九一年以降、小田原市史編さんに従事するかたわら取り組んできた小田原藩研究の成果をまとめた論文集である。このことは、本書各章の註に『小田原市史』所収の諸史料が多く引かれていることからも窺え、市史編さんの過程で関連史料と真摯に向き合い、史料から構想した結果が本書の上梓につながっている。「あとがき」の初出一覧によれば、本書は、一九九三年から二〇〇五年に発表された論文より構成されているが、著者の博士論文であることから、既発表論文を大幅に削除・加筆し、一書として再構成した形となっている。著者は、前著『稲葉正則とその時代−江戸社会の形成−』(夢工房、二〇〇二年)で、稲葉正則の時代の小田原を素材に江戸期の社会を扱っているが、対照的に本書は同時期の藩政(藩制)や幕政といういわゆる上部構造を扱っており、あわせて読むと一七世紀の小田原世界が立体的に見えてくる。
 さらに小田原世界だけでなく、本書では新興譜代藩である小田原藩の動向を通して、たとえば、「関東御要害」構想や「寛永政治」、副題にある「老中政治」など「公儀権力の政治構造」を明らかにすることを目指しており、その際の方法論である「藩世界」概念の活用とともに、読後にこれらの点が明らかになっているかが本書の評価につながる。
 本書の構成は以下の通りである。

〔目 次〕
序 章 譜代藩研究の課題と方法
第一章 徳川忠長の蟄居・改易と「関東御要害」構想
      −稲葉正勝小田原藩入封とその軍備−
第二章 「寛永政治」の再構築
      −寛永一一年家光上洛と幕閣の再編成−
第三章 稲葉氏小田原藩の軍役負担と藩財政
 補 論 役負担から見た朝鮮通信使の通行
第四章 幕閣譜代大名の連帯
      −老中稲葉正則の人脈から見た権力構造−
第五章 譜代大名の権力構造
      −家臣団と領地支配を中心に−
第六章 老中稲葉正則の人的ネットワーク
      −黄檗憎鉄牛と河村瑞賢−
終 章 幕閣譜代大名と「老中政治」

 以下、本書の構成にそって内容と若干の感相心を述べていきたい。

 序章の「譜代藩研究の課題と方法」は、本書の課題・視点と研究史、本書の構成を記している。まず、従来の藩政史研究が権力編成論や藩の経済政策論に偏重していたとした上で、近年の「尾張藩社会」研究や岡山の「藩世界」研究に注目し、本書の方法論として「藩政史研究を止揚する『藩世界』論の手法を用いて、関東の幕閣譜代藩=小田原藩の考察を試みる」としている。そして、外様藩では見えてこない、譜代藩世界を通して、「幕藩制国家の構造的特質や幕藩制社会に特徴的な株序・システム」を浮かび上がらせることを課題としている。
 つぎに、研究動向の統計的な整理を行い、家門・譜代藩を対象とする研究が相対的に進展を見ていないとしている。さらに、譜代藩を取り上げる理由については、「幕閣譜代藩における政治参加や軍役負担の問題について、ベクトルを譜代大名側から幕府公権に向けて考察する動き」を踏まえ、「藩主が幕閣となりえる家門・譜代藩が幕藩制国家や社会……に果たした固有の役割を問いただしたい」と受け身の譜代藩政ではなく、主体的な譜代藩政のあり方を強調している。

 第一章は、徳川忠長の改易と家光の「関東御要害」構想と、稲葉正勝の小田原藩入封との関連を検討し、従来研究の無かった稲葉正勝の小田原配置の歴史的背景を探っている。駿府から小田原への防衛ラインの変更が政治的動向との関連で描かれており、説得力はあるが、「権力内部の動きと密接に連動した政策」とすると、先にどこまで具体的な「構想」があったのかの評価は慎重にならざるをえない。また、「関東御要害」構想全体の中での小田原の位置付け、つまり、他の要害担当藩との比較検討があれば、小田原藩の事例の一般化がなされ、「構想」の全体像が見えたのではないかと考える。

 第二章は、寛永一一年の家光上洛を機に行われた軍制改革や大名再配置の意味について考察し、再配置によって移封された幕閣譜代大名が政権から排除されたのではなく、「幕府の軍制改革・機構整備」とからめた譜代大名の再配置と捉える。関連して、従来この過程で将軍親裁政権=「寛永政治」が確立したと評価されてきたことに対し、家門・譜代大名の「老中政治」として再考することを強調している。著者は家光上洛の意義について、「軍陣と同様にまさに上洛は臨戦態勢そのもの」とし、朝廷に対する軍事的儀礼や「御威光」(=武威)の示唆との意義を抽象的と過小評価する。たしかに上洛は将軍動座そのものであるが、「朝幕融和策」という理由はさておいて、いかなる「臨戦」的な必要性から上洛=将軍動座が実施されたかの説得的な理由は示されておらず、上洛自体から様々な政策の説明・解釈がなされている点は気になった。

 第三章は、幕閣譜代藩の軍役を追求したもので、この点は譜代藩そのものの性格規定の問題にもつながる。小田原藩が勤めた様々な軍役を臨時の軍役と恒常的な軍役とに分け検討がなされ、とりわけ「『泰平の世』における平時の軍役にこそ、譜代藩軍役の特色が見出せる」としている。藩財政への影響も含め、譜代藩研究に欠かせない成果である。ただ、「内なる軍役」として軍役概念を拡散させた場合、著者自身も「軍役令を尺度とした軍役とは性格を異にする」と述べているが、もう少し厳密な説明(概念規定)が必要なように思える(果たして軍役と呼べるかの問題)。補論では、朝鮮通信使の役負担が考察されているが、行論の流れでは、この役も箱根・小田原での守衛・饗応を役割とする小田原藩にとっては「軍役」なのであろうか。朝鮮通信使の負担は当然他の宿場でもあり、ここでも役負担の性格の整理が欲しいところである。

 第四章からは稲葉正則の成長・昇進とその過程で係わりを持った人たちとの交流を通して、譜代藩さらに「老中政治」の特色を探ろうとしている。

 第四章は、家光から綱吉政権までの三政権における正則の武家人脈を追い、そこから幕閣譜代大名という江戸幕府ではいわば特別な地位が形成・維持されてきた点が検討される。また、従来将軍代替わりの度に、門閥譜代=「家門・譜代」と将軍の「近習・物頭」との対抗関係や特定の有力幕閣の失脚などで説明されてきた歴史事象を丁寧に再検証し、「対抗」のみでない評価をしている。この評価は、安易に「対抗」=政争(権力闘争)に還元し説明されてきた従来の見方を批判し、大きくは狭い政争史から政治史へと見方をシフトさせており、この見方は本書全体を通して貫かれている。その際に評価されるのが「老中政治」であり、「将軍専制を否定するものでなく下支えする組織・機構」、「あくまで集団的指導体制にこだわった政権」と「老中政治」が重視される。そして、「老中政治」を構成するのが幕閣譜代大名であることから、譜代藩世界の内実とつながってくる。ただし、集団的指導体制を評価しつつ稲葉正則の個人的資質を評価し過ぎる点は若干の違和感を覚えた。

 第五章は、藩主と家臣団、藩主と領民の関係がどのように形成・維持されたかを検討し、小田原藩世界の権力基盤を具体的に明らかにしている。家臣団編成に関しては、家臣との接触による「主従関係を軸とする強い紐帯」の形成や家中「役人」・窮乏家臣対策、領民統制に関しては、鷹狩・鹿狩の場における領民との接触や領民代表の江戸出張御目見え儀礼の検討がなされ、そこから目指されたものが「領内の経済力やマンパワー」、さらに家臣や領民に求められる他藩の手本(「脇々の手本」)となる幕閣譜代藩としての規範意識(将軍の「御為」)であった。そして、著者は正則の資質により、小田原藩は幕閣譜代藩としての組織と仕組みが兼ね備わっていたとする。正則の幕閣(老中)としての為政者観(「脇々の手本」等)の指摘は興味深いが、他の幕閣の事例紹介や他事例との比較検討から問題の一般化がはかれればより理解が深まった(無いものねだりか)。また、領民の御目見え儀礼に関して、著者は年番制を取っているなどの理由から「個人への由緒の固定化を企図した儀礼ではなかった」、「特定個人が藩主の御威光に連なろうとする意識はまだ薄い」と評価するが、評者が検討した真岡領山本村(栃木県益子町)の名主の場合には、御目見えを自身の事績に誇らしげに明記しており(井上攻『由緒書と近世の村社会』大河書房、二〇〇三年)、領民が領主権威を志向する動きは見出せる。この点は、藩主と領民世界の交流(相互・互換)という藩世界概念ともかかわってくる。ただし、領主への御目見えなどが由緒的意味を持ってくるのは、一般に後世になってからであり、その意味の追求は本書の責ではあるまい。

 第六章は、第四章が正則の武家人脈を追ったのに対し、黄檗僧鉄牛と新興商人河村瑞賢との交流を検討している。鉄牛との交流は単に宗教・文化世界にとどまらず、大規模新田開発事業と絡んでおり、時代性(新田開発の時代)の問題や正則の幕閣内での位置とも関係してくる。河村瑞賢は、畿内治水事業→大坂港湾機能拡張→東廻り・西廻り両航路の整備とつながる家綱政権から綱吉政権にかけての流通改革の「コーディネーター」的存在であり、彼の活動を正則等の「老中政治」が支える構図が見える。著者は序章で本章の展望を「一七世紀後半の宗教・文化世界の動向や経済世界の変容が、稲葉正則という譜代大名を介して幕府政治世界と密接に関わっていた」と整理しているが、本章は、宗教・文化世界や経済世界との交流、また、譜代藩世界から幕府政治世界への広がりなど「藩世界の概念」を用いた好論と評価できよう。

 終章は、本書の結論章である。著者は、終章で「譜代大名の役・奉公は、この幕府軍としての軍役負担と幕政運営への参加に尽きる」としており、譜代藩の軍役負担の問題が本書の大きな柱であることを示している。譜代藩の軍事的役割については、本書刊行と同年に岩城卓二氏の著書『近世畿内・近国支配の構造』(柏書房、二〇〇六年)が出て、畿内・近国における譜代藩(尼崎藩と岸和田藩)の軍事的位置づけを論証している。関東と畿内、そして分析対象時期に違いはあるものの同年に譜代藩の軍事的役割を論じた著書が二冊刊行されたことは、現在の譜代藩研究にとって象徴的なことである。本書は、その軍事的役割の問題を一七世紀中・後期における「公儀権力の政治構造」「政治史」にまで広げ、または関連づけて考察した点が大きな成果といえよう。気になった点としては、第一に、前述した「内なる軍役」の概念規定の問題で、この問題は小田原藩の役負担の体系、ひいては著者も指摘するように兵農分離や身分制の問題とも関わってくる。「平時の軍役」が譜代藩を特色づけるものであるならば、なおさら求められる論理的整理である。この問題と関連して第二に、領主−領民の関係意識の問題がある。若い頃の稲葉正則はその私的空間で、相撲や鹿狩などを藩主・家臣・領民一体で行い、藩主のもとに統率されるマンパワーの確認をしたという。物理的強制のみでは統治が困難なことは当然だが、「相互的・互換的な交流を通じての人心掌握」とした場合、その前提にある領主−領民の関係意識(精神的領有)の中身は知りたいところである。本書からはほとんど領民の声なり意識が聞こえてこないし、伝わってこないのである。第三に、譜代藩の軍役について「名誉な負担」という「譜代藩に特徴的な軍役観」が示される。これも物理的問題だけでは説明の付かない「精神的領有」の範疇で、興味深い指摘だけに今少しの論証が欲しいところである。

 もう一つの柱である「幕政運営への参加」の問題は、そのまま「老中政治」の内実と評価の問題である。これも前述したが、「老中政治」概念を用い明らかになったことは、第一に狭い政争(権力闘争)史観から政治史を解き放った点である。従来の政争史のいくつかは、広く「老中政治」概念で説明がつき、「公儀権力の政治構造」を一貫して説明している。第二に、終章の題名(「幕閣譜代大名と「老中政治」」)に示されているように、「老中政治」は幕閣譜代大名の性格なり役割を特徴づける概念でもある。論証の過程で気になった点は、これも前述したように稲葉正則の資質を高く評価する余り、「老中政治」の運用が正則個人の資質によるものか、組織的になされたものなのかが曖昧になった点である。つまり、幕閣譜代大名の組織論・役割論になるべきところが、正則の政治家論になっているところが随所に見られる。「老中政治」の特徴を集団的指導体制とするなら正則以外の幕閣の参政実態も、正則と比較の上知りたいところである。

 最後に「藩世界」という概念の問題である。「藩社会」論にしても、「藩世界」論にしても、単に従来の藩に関連する対象を拡散させているようで、たとえ「総合化」するといっても、その方法ははっきりと示されていない。また、従来、藩政(藩制)史と幕政史、さらに地域史などが関連し合って行ってきた研究とどこに違いがあるのか、もはっきりしない。本質を探る際には、対象を拡散させる段階があっても良いが、広げた対象を収斂させ、関連させながら藩の世界像を構築する方法論が確固たるものになっているのか、いまだに評者自身も整理ができていない。

 本書は、いわゆる一七世紀の幕政史、政治史に関して貴重な史実を明らかにしており、この点も多いに評価されるところである。この分野に関して評者はまったくの門外漢であり、踏み込めなかった。この点に関してはただただ評者の非力を深謝するのみである。


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