大藤ゆき編『母たちの民俗誌』
大藤ゆき著『子育ての民俗』―
柳田国男の伝えたもの―
評者・理恵子 掲載誌・日本民俗学No221(2000.2)

この二冊は、大藤ゆきの米寿記念として出版された。大藤は、一九一○年三月十一日生まれ、一九九八年三月十一日に米寿を迎えた。この企画の中心的役割を果たした一人、野村敬子より、二冊合わせての書評執筆の依頼を受けた。以下、この二冊の内容紹介、大藤ら執筆者たち、そして日本民俗学の抱える課題について整理する。
一 内容招介
二書刊行までの経過
刊行までの経過は、『母たちの民俗誌』の「はじめに」と「あとがき」に述べられている。それによると、大藤ゆきの米寿記念論集として企画され、「編集委員会が主となって、女性民俗学研究者有志の方々に御寄稿を依頼し、編集をすすめられていた。しかし、その後、私自身を編者としたいという希望が出され、熟慮の末、御希望に添うこととした。(一頁)」とある。また、「野村敬子が発案・企画構成し、先生(大藤ゆき)の母校・東京女子大学の後輩、日本民俗学会、日本民具学会、日本昔話学会、相模民俗学会、女性民俗学研究会などで、日頃ご縁に結ばれる方々の賛同を得て(三五三頁)」できたものであると記されている。こうした経過からは、民俗学者大藤ゆきのこれまでの足跡をうかがうことができる。それは、民俗学の研究と家庭を両立させてきた六十年近い歩みの中で、同じく民俗学に興味・関心を持つ女性たちとの人間関係を作り、広げてきた姿である。

『母たちの民俗誌』の構成と概要
『母たちの民俗誌』は、大藤ゆきを編者とし、大藤も含む一八人の執筆者による論考と資料(大藤の年譜)からなる。この本を貫くテーマは「『母』の民俗の今日的検証」(同書三五三頁)である。全体の構成と各論考の概要をまず述べる。
序章「お袋」幻想では、大藤ゆきが「家と男性」(初出:女性民俗学研究会編『女性と経験」一一号一九八六年に加筆)を書いている。この論考は、大藤の研究姿勢や研究の視点、研究上の主張などが端的にうかがえる内容である。『子育ての民俗』を貫く考え方とも言ってよいものなので、後で、『子育ての民俗』と一緒に紹介することにする。
第一章「母」の誕生は、以下の三つからなる。大林道子は、妊娠・出産が、明治以降、医療の下に管理されていったこと、近年産む側の主体性を取り戻そうとする動きが大きな流れとなっていることを概括している。小林笑子は子安講の変遷を捉えており、小林自身が民俗学とどのように出会い、関わってきたかもうかがえる。繁原幸子は、人に名前をつけることの意義を述べている。
第二章 形成される「母」は、以下の四つからなる。福尾美夜は、人の衣に対する観念の変遷を一つの軸に、人の一生の中での衣生活を捉えている。佐々木美智子は、昭和三十年代後半以降に生まれた女性たちの産育に関する儀礼の調査を通して、変化したもの、変化しなかったものを記述し、儀礼と人間との今日的関わりに注目している。花部ゆりいかは、民俗語彙を中心とした項目別の調査報告とは異なる手法として、話者の生の声、語り資料を全面に押し出す方法を採っている。話者自らの「ことば」による表現形態の中に、産育をめぐっての直截的な考え方や生活感情を読み取ってみたいという思いからだと言う。高野享子は、一九八三年の自分の日記の抜枠を紹介している。
第三章 反応する「子ども」たちは、以下の四つからなる。杉浦邦子は、昔話・子守歌・わらべ歌などを通して、母や祖母たちがなしてきた子どもへの言葉の教育の重要性を指摘し、現在でも、それが求められていることを述べている。今井登子は、西播磨の子ども盆の火祭りの変化、消滅に注目した報告をまとめている。粂智子は、自分が居住する町の祭りでの子どもたちの存在感のなさを導入に、かつて子どもたちが主体的に行っていた稲荷講の様子とその消失までの変遷を捉えている。最後に、もう一度、現在各地で行われている子どもたちが参加する祭りの意義、地域が子どもにどう関わるかなどが、自己の研究課題として提示されている。民俗学が現在の事象をいかに捉えることができるか、それを模索中であることが明示されている。保坂和子は、ケの挨拶の言葉の変化を扱っている。
第四章 「母」の転成は、以下の三つからなる。刀根卓代は、夫を見送った二人の女性の心象風景を通して、「夫の見送り」が妻の最期の役割とされてきた日本社会の「母性」性のあり方を捉えている。岡田照子は、一九八八年に行われた葬儀を例に、うまれかわりに関する人々の観念を捉えている。内藤浩誉は、静御前伝説の伝承者たちの土地との関わり、伝説の意義について述べている。
第五章 象徴としての「母」は、以下の三つからなる。川口みゆきは、一九四七年と一九九七年の『主婦の友』を比較などを通して、終戦直後の混乱期においてその雑誌が果たした役割、雑誌の創刊者石川武美の事業の意義について述べている。野上彰子は、宮島杓子の成立過程、さまざまにシンボル化される飯杓子について記述している。野村敬子は、外国人花嫁たちの多くが、当該「民俗社会」で主要な構成員となりえていないことに大きな問題を感じ、彼女たちの故国民話の聞き取り調査を通して、彼女たちが一方的に日本の社会や文化に適応させられている現状がさまざまな問題を生じさせていると指摘。今後、二つの異なる文化が相互に理解し合う形が望ましいとしている。
巻末の資料「大藤ゆき年譜」は、大藤個人の研究者としての足跡をあとづける貴重な資料となっている。特に、大藤の単著の『子育ての民俗』と合わせて読み進めていくと、その時々に大藤が遭遇した社会問題とどのように向き合ってきたかが、大変よくわかる。たとえば、戦後まもなく、地元浄妙寺町の有志で文化クラブを創設し、浄妙寺婦人会活動を通して、自分の足下からの社会変革に取り組んでいったこと。これは、大藤と個人的なつきあいのある人たちには周知のことのようだが、民俗学関係の諸論考を通してしか大藤を知らない人々(評者もまたその一人である)にとっては、大変意外な一面であるだろう。
さらに、この年譜は、大正〜昭和初期に高等教育を受けた女性たちが民俗学とどのように出会い、日本民俗学の歴史を作ってきたか、民俗学の学史を再構成する上でも大変貴重なものである。ちなみに一九九九年の時点で、その業績や一生についてある程度明らかになっている女性の民俗学研究者は、『日本民俗学のエッセンス』に紹介されている瀬川清子ただ一人である。

『子育ての民俗』の構成と概要
『子育ての民俗』は、大藤がこれまでに発表してきた論文・報告書と書き下ろし、大藤編の資料(女性民俗学会小史)、解説(野村敬子)よりなる。大藤の論考は、一 子育ての民俗―現代と民俗学―、二 産育の民俗―民俗における母親像―、三 生と死の民俗―成長と老い―、四 わが師柳田国男、の四部構成である。それら論考の一つ一つを取り上げることは紙数の都合上できないので、先述の通り、『母たちの民俗誌』の序章および本書を貫く大藤の考え方をまず紹介し、それに対する評者の意見を述べる。
序章の大藤の論考「家と男性」で、大藤は、小島美子・坪井洋文・宮田登の対談の記録を読んで、自分自身が「家と女性」という問題について女性の側からの視点にのみ集中して、男性が家をどうみているかという視点が欠けていたことに気づく。が、「家にいて家を守り子どもを育てるのは女性だ」という社会規範については、それを女性の本質から生じる自明のものと見なしており、そうした社会規範が生じた背景やそれを現代にも当てはめようとすることから生じる諸問題などについては、言及していない。
『子育ての民俗』に所収の諸論考にもそうした特徴を見いだすことができる。たとえば、同書の「『待つ』こころ」では、「育児は女の本能であり、母親となればだれでも母性愛は、自然におこるものと思っていたのに…」(五○頁)という記述がある。「民俗における母親像」では、「女がもつねばり強さと根気強さ、勘の鋭さ肚(はら)の太さには、男の及ばぬものがある。」(一一一頁)、「男女平等というのは、男女が同一になることではない。男らしさ・女らしさはともに大切なものである。女の子に対しては、女の子のための教育があり、一人前の主婦、一人前の母親となるために、七歳ごろから家事を手伝わせ、感性のゆれ動く十歳〜十三歳ごろの情操教育や、やさしさを教えることを、祖母や母は意識して心がけてきた。やさしさ・やわらかな心、それは母性の素をはぐくむものである。」(一三九頁)
評者は、大藤のこれら一連の思考の根底には、男と女には本質的な違いがあるという信念があると考える。換言すれば、性差に関するセックスとジェンダーの区別という認識はないということである。確かに、妊娠・出産・授乳(母乳を直接飲ませる)は、女性にしかできない行為である。この点は、男女間の本質的な違いと言えるだろう。が、生まれてくる子ども、生まれてきた子どもを、その子の母親と父親、周囲の人々がどのように育てていくか、それはまさしく社会的・文化的な諸条件によって規定されていくものである。そして、育児における母親の役割は、女性のジェンダー(社会的・文化的性差)と深く関わって存在してきた。育児だけでなく、家事全般がそうであり、そして父親の役割もまた同様に社会的・文化的諸条件の下で常に変化してきたものである。しかし、大藤は、育児、家事、主婦権についての言及においても、それは時代を超えて不変のもののように捉え、大藤個人もそうあることを期待している。社会的な諸条件の中でのありようの変化を捉えるという研究の視点にはならないのである。
こうした大藤の認識は、一九七○年代から世界的な広がりを持ち発展してきたウィメンズ・スタディーズ(女性学)とは、明らかに大きくズレている。このズレを持ったまま、大藤が現代の子育てや母親のあり方などについて発言することは、かなり問題があるのではないだろうか。大藤は、現代の子育てや母親のあり方に対して民俗学の知恵を役立てることの重要性を述べている。評者もその主張には賛成である。が、それは、民俗学が社会的・文化的性差を「自明のこと」として子育てや母親像を描き出してきたこと、その研究の視点の問い直しを経ないままのものであってはならないと考える。

二 執筆者たち、そして日本民俗学の課題
以上の紹介および評者の意見をふまえて、二書の研究上の意義を明らかにするとともに、執筆者たちの抱える方法論上の課題を二点に絞って述べる。
二書の研究上の意義
二つの問題意識を明確に提示して作られた二書は、その二点に読む者の注意を引きつけ、今後の様々な議論の発端となる可能性を持つという点において、きわめて大きな意義を持つと考える。その二つの問題意識とは、一つは、現代社会の諸事象と民俗学をつなげようとする試み。二つめは、「女性ならではの視点」で民俗学の主要なテーマとなってきた「母親としての女性」、「子育てや老いの看取りのあり方」を捉えようとした試みである。
明らかになったニつの課題
こうした二つの問題意識に基づく試みを通して、次の二つの課題が明らかになっている。一つは、現代社会の諸事象を研究対象とする際の方法論について。たとえば、妊娠、出産、子育てなど従来の民俗学が扱ってきた研究領域と、現代社会において問題化している妊娠、出産、子育てをめぐる諸事象とを、どうつなげて研究対象としていくのかについて。二書において、つながりを意識しての執筆は随所に見られるものの、現段階では、不充分なものとなっている。その原因の一つは、関連する先行研究と自己の問題関心との関連性の追求が不充分であることである。また、研究視点、方法論、概念、概念枠組みなどがほとんど用意されないままの現状にも原因がある。これらは、執筆者たちの背負うべき課題であると共に、評者も含めた日本民俗学の研究に関わる者たち全てが向き合うべき課題である。
二つめの課題は、「女性ならではの視点」に関わる問題。女性研究者でなければ扱えない研究対象や研究テーマがあるのかという問いへの答えを見つけることである。この取り組みは、かつて柳田国男が女性たちに期待した「女性ならではの視点」とは何をさすのか、その有効性や限界などの検討、さらに柳田の敷いた研究上のレールに乗ってこれまで歩んできた大藤を初めとする女性たちの研究を、日本民俗学の学史の中に正当に位置づけること、女性民俗学とはそもそも何か、という方法論上の問題の検討へと向かうことになるだろう。そして、それは、民俗学という学問を根底から見直す大変な作業となると思う。
以上の二点は、相互に関連性を持っており切り離して解決できるものではない。さらに、現在の民俗学にとって避けては通れない課題であると評者は考える。
最後に、操り返すが、この二書は、そうしたことに気づかせてくれる大きな意義を持っている。多くの人々に読んでもらいたい本である。

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