書誌紹介:井上隆弘著『霜月神楽の祝祭学』
掲載誌:「日本民俗学」244(2005.11)
評者:鈴木 正崇

天竜川に沿う三信遠(三河・信濃・遠江)地域に伝わる霜月神楽の研究は、早川孝太郎の大著『花祭』以来、繰り返し調査と研究が積み重ねられてきた。特に、一九七〇年代から八〇年代にかけて武井正弘や渡辺伸夫が祭文研究を推進して、儀礼や芸能のあり方を歴史的変化を取り込んで再考し、日本各地との比較研究も進められた。しかし、未踏の分野として残されていたのは、舞という動的な動きの研究であった。本書は舞を焦点に据えて、長期にわたって独自の記述や聞書きに基づいて考察した労作である。第一部の「舞の宇宙」は、花祭の舞の考察を中心とし、第一章 花祭の舞の形態、第二章 神楽における神下ろしの舞、第三章 花祭の舞と椎葉神楽の舞、第四章 花祭の鬼、から構成される。第二部の「祭儀の森」は、霜月祭の儀礼の解明を目指し、第五章 「神子入り」と祭祀の構造、第六章 湯立・穀霊・死霊鎮め、第七章 霜月神楽における破邪の舞、終章、神楽研究の地平、から構成される。舞と祭文や儀礼の過程との照応関係を軸として、中世から近世、そして近代・現代に至る複雑な様態の変化の中に一筋の道を見出そうと試みる。祭の内的論理を読み解く独自の構造分析という手法である。その一端は既に共同研究の成果であるビデオ「花祭」(東栄町月)の解説で、究極の湯立である「湯ばやし」が「入り目」の動きを反転させて、外へと広がり世界の浄化へ向うという指摘として提示されていた。本書は歴史や社会・経済の変化よりも、舞の芸態の研究を重視し、動きから浮かび上がるコスモロジーを明確化する。花祭だけでなく、草木の霜月祭や坂部の九月祭を含めた比較研究で、ある程度の道筋がつけられている。しかし、「地割」から「入り目」、そして「湯ばやし」へという進化の図式や、どこかに原型や本質的なものがあるという想定には無理もある。やや古風なコスモロジー研究であり、対抗できる論客は山本ひろ子ぐらいしかいないだろう。但し、現代の流行の「伝統の創造」に傾斜した議論や、文献だけによる憶測的な芸能史の手法は一顧だにしないのは識見でもある。一方、岩田勝の論考を押し広げて、浄土神楽と大神楽の比較考察、神子と法者という男女の組による祭祀形態の検討、いわゆる悪霊強制型の神楽の提示、本尊勧請の作法をとる太夫のあり方の検討など魅力的な議論もある。様々な問題点を含みつつも、何か惹かれるところがあるのは、断片的な地元の語りと丹念な記録の成果が生かされているからであろう。到達点ではなく、新たな始まりとして検討に値しよう。
 
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