書誌紹介:丹 和浩著『近世庶民教育と出版文化−「往来物」製作の背景−』
掲載誌:「地方史研究」318(2005.12)
評者:石山 秀和

「往来物」に関する研究は、前近代の教育史研究にとって必要不可欠な一分野であるが、その研究成果は石川謙・石川松太郎編『日本教科書大系』(講談社)や小泉吉永編『往来物解題辞典』(大空社)などによって基本的な傾向は把握された観がある。
 しかし、著者は、近世文学を学んだ立場から若干の疑問を二点提示している。
 @発達史観的な往来物の把握の仕方
 A当代の文化状況をあまり考慮せずに割り切ってしまうこと
 この二点を踏まえつつ、江戸時代の出版文化に関する研究成果と往来物の研究成果とを合わせて考察したのが本書である。
  
  目次
  序章
  第一章 「往来物」が採り入れた和歌、及び出版の問題
   第一節 「往来物」における七夕の歌
   第二節 「大坂状」「同返状」をめぐる出版書肆の問題
   付 論 『直江状』について
  第二章 「往来物」の作者と書肆
   第一節 十返舎一九の文政期往来物の典拠と教訓意識
   第二章 曲亭馬琴著『雅俗要文』の成立と意義
   付 論 明治初年の文章表現と馬琴−『こがね丸』を中心に−
  資料編

 第一章では、往来物の巻頭・巻末・頭書などから七夕の歌を集め、「類題集」などにみえる近世堂上和歌が庶民にまで浸透していることを明らかにしている。次いで、家康を非難した文言がみえる往来物の「大坂状」の改変過程を、江戸時代の出版事情から検討している。付論として、同様な往来物である「直江状」についても検討している。
 第二章では、戯作者の一九や馬琴が著した往来物の成立過程を書肆との関わりや作家の動向などから考察している。とくに一九の往来物は数多く確認されているが、こうした往来物を戯作者がどの程度意識して作成していたのかについて、彼の著作などの比較から明らかにしている。付論として、児童文学の嚆矢である巌谷小波の『こがね丸』をとりあげ、この作品の文章表現が馬琴の作品をどの程度とりいれたものであったかを考察している。
 本文でも述べられているが、往来物の研究は教育史からの考察が中心であり、文化史的な考察は十分とはいえない状況にある。本書は、江戸時代固有の制度や「雅俗」、「勧善懲悪」といった当時の人々の心性などをふまえた新機軸を提示した著作といえる。
 資料編として、山東京山著『女中用文玉手箱』、曲亭馬琴著『花鳥文素』、同著『雅俗要文』の三編を翻刻している。なお、『花鳥文素』は『国書総目録』に未掲載の書籍である。                               (石山秀和)
 
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