落合功著『近世の地域経済と商品流通―江戸地廻り経済の展開―』 |
|||||
評者:宮坂 新 | |||||
「中央史学」33(2010.3) |
|||||
落合功氏は、二〇〇六・二〇〇七年に相次いで、著作『地域形成と近世社会―兵農分離制下の村と町―』(以下、『地域形成』と表記する)と『近世の地域経済と商品流通―江戸地廻り経済の展開―』(以下、『地域経済』と表記する)を刊行された。ここでは、この二冊の著書について、概要を紹介するとともに若干の私見を述べたい。 一 『地域形成』の概要と評価点・疑問点 (ここでは省略、以下に掲載『地域形成と近世社会』) 二 『地域経済』の概要と評価点・疑問点 次に、右に紹介した著書の翌年に刊行された『地域経済』の構成を掲げる。 序章 右に示したように、本書は、第一〜第六の章を中心に補論・付を加えた形で構成されている。以下、付1・2は省略させていただき、各章と補論について概要と若干の私見を述べていきたい。 第一章は、木更津湊を中心とする西上総地方における「領主的流通」の展開について論じたものである。「領主的流通」を年貢米輸送だけでなく、献上物輸送なども含み込んだものとして定義している点は、関東の流通を考える上で重要な視点である。本章では、村・船持ち・領主の関係を具体的に描き、領主の決定権の大きさを指摘する。近世後期に新興流通ルートが出現する点は、同時期に他地域においても確認できる事象であり、また本書第五章にも関わる論点である。 第二章は、池上幸豊を中心に、幕府による砂糖国産化政策の展開を明らかにしたものである。外国からの輸入量の変遷や価格変動のデータを駆使して砂糖市場の展開を明らかにする過程は著者の真骨頂が発揮されている。甘蔗砂糖製造の成功と伝播の過程を明らかにするほか、幸豊の思想・活動に影響を与えた人的交流にも言及されている。 第三章は、前章で取り上げた池上幸豊の活動の背景にある国益思想を、海中新田開発を素材に明らかにしたものである。幸豊の思想形成に和歌の師匠である成嶋道筑の影響を見出し、さらに「義田」という文言の解釈から、新田開発の論理が地域益・国益の両方を併せ持つ理念だったことを指摘する。また、海中新田開発の過程についても具体的に明らかにしている。前章および本章では、武蔵国橘樹郡大師河原村(現川崎市域)の村役人を務める池上幸豊の幅広い人的ネットワークが明らかにされており、その媒介項として和歌が指摘されている。この点は、関東における有力農民の文化ネットワークと思想形成という観点からも興味深い事実である。 補論1は、関東近世史研究会の一九九五年度大会で行われた笹川裕氏の報告に対する著者のコメントを改稿したものである。救荒作物である薩摩芋の試作・普及活動が享保期に行われた点や、江戸近郊農村で栽培が行われた点を重視する必要を提起する。また、創業伝承について訴願論理と由緒論の観点からまとめている。 補論2は、著者が一九九九年に刊行された『江戸内湾塩業史の研究』(吉川弘文館)の書評に対するコメントを改稿したものである。「塩浜由緒書」の史料的性格について述べるとともに、公権力的対応か保護政策かという評価の違いについて、著作の成果をもとに議論を展開する。 第四章は、武蔵国多摩郡江古田村(現中野区域)の百姓で、中規模の醤油醸造家である山崎喜兵衛家について論じたものである。第一節では、同家の店卸帳を用いて経営を分析する。その結果、同家の資産が質屋・醤油・家質・有金の四種類に大別できるとし、それぞれの動向を明らかにした。特に醤油醸造については、利益を家質金に投入していた点、文政期の資産増加は販売未回収分を示すものであり経営後退を意味する点を指摘し、その背景にある幕府政策にも言及した。本節で明らかにされた価格の決定要素のシフト(生産費対応から市場価格対応へ)について、評者は近世後期の社会が生産者主導から消費者主導へと移行していく過程を描いたものとして注目したい。 補論3は、農間質屋渡世の経営と村における位置付け、および幕府政策との関係について分析したものである。熊川村(現福生市域)で農間質屋渡世を営んでいた次郎兵衛家の質物帳の分析により、質屋が質物の管理・保管機能を有していたことを指摘し、金銭貸付だけではない側面を明らかにした。また、盗品質入れ防止や利足引下げなど、質屋に関する幕府政策も明らかにしている。 補論4は、補論3で取り上げた質物帳において最も多く質入れを行っている熊川村の新蔵に注目したものである。新蔵は世直し騒動に参加しており、その背景に「質入れの雪だるま現象」があった点を指摘した。 第五章は、近世後期から幕末にかけての関東の商品流通と幕府の対応を見ることにより、全国市場における江戸・関東の位置付けを検討したものである。まず、江戸への入津動向の分析から物資の性格を五つに分類。その上で、異なる性格を持つ米・塩・醤油を素材とし、「諸品払底」をキーワードに幕末期関東における商品流通を分析した。この結果、幕末期における江戸市場について、求心性を持った市場とは言えず、産地・商人にとっては選択肢のひとつに過ぎなかった点を明らかにした。また、幕府の対応については、@問屋仲間の掌握、A産業統制、という二つの方向性が見られる点、および関東という枠組が重視されるようになった点を指摘した。従来、開港による影響が重視されてきた「諸品払底」状況について、江戸市場の性格変化という観点からアプローチした点は重要である。また、江戸地廻り経済論に対しても、消費地としての関東という視点を加えており大変興味深い。なお、本章は関東近世史研究会の一九九六年度大会における著者の報告を元に執筆されたものであり、同報告に対する谷本雅之氏のコメントが『関東近世史研究』第四一号(一九九七年)に掲載されている。そちらも併せて参照いただきたい。 補論5は、上総国請西藩の財政政策の一環として、幕末期に行われた積金惣潤講の内容を紹介したものである。 第六章は、本書に収められた他の研究とは異なり、中京地域を素材としたものである。これは、他地域の事例を比較検討することで、江戸地廻り経済の特質をより鮮明にすることが可能となる、という意図による。四日市湊における商品流通を分析し、近世初期から幕末・維新期に至るまでの四日市が持つ役割・性格の変化を明らかにした。また、四日市に出店を持つ内田佐七家を事例に、内海船の活動における四日市の重要性を指摘した。本書に収められた他の章との関係では、新たな生産地の出現や新規流通ルートの開拓、新興商人と既存商人との対立など、江戸地廻り経済において確認できる様相が四日市湊においても見られる点に注目したい。 右に挙げた各章をふまえ、終章では流通・経済思想・地域経済という三つの視点からまとめ、さらに中京地域との比較検討を加えることにより、江戸地廻り経済の展開と特質について整理している。 以上、各章・補論の概要とともに若干の私見を述べてきた。本書に収められた各論文は、そのすべてが緻密な分析によって実証されたものであり、江戸地廻り経済論および商品流通史研究に新たな成果をもたらすものと言える。しかし、それだけでなく、本書は在地社会論としても評価できる内容を伴っている。これは、商品流通史を専門とされる著者のもう一方の側面に、『地域形成』に代表されるような地域・村落に根ざした研究があるからであろう。データ分析を駆使し、思想形成や政策論を取り上げながらも、その視座は常に在地社会に置いているのが著者の研究姿勢の特徴であり、それが発揮されているのが本書なのではないかと感じた。 以上、落合氏の著書『地域形成』と『地域経済』について、概要と私見を述べてきた。評者の能力不足により誤読や的外れの指摘があったと思われるが、その点はご海容いただければ幸いである。また、右のような無いものねだりをしたところで、両著書の魅力は全く失われるものではなく、特に近世の関東地域をフィールドとする研究者にとって必読の書であることは間違いない。著者は、大学院および研究会において評者の大先輩であるとともに、江戸周辺地域の研究者としても多くを学ばせていただいている。『地域経済』のあとがきには、しばらくは関東論を離れ、瀬戸内研究へとシフトするとの決意表明がなされているが、一読者として今後も著者の関東および江戸周辺地域論を待ち望みたい。 |
|||||
|