No.18 1994年11月
【集団的自費出版】
 この言葉は思文閣出版の川島さんの造語だと思います。その初出文献は『新文化』92年4月23日号の「当世専門書営業事情」です。なかなか核心をついた表現なので、私もよく使わせてもらってます。それによると、専門書の発行部数は1000〜1500部で、日本の人口を1億2000万人とすると、10万人に1冊の割合になる。「“10万人の中の1人”である人々は、地域的にはバラバラに暮らしていても、同じ専門分野の“村人”であり、お互いの存在を多少なりとも意識しあっている。そして読者は、昨日のあるいは明日の著者でもある。つまり、この村は、読み手であり、かつ書き手でもありうる人々から構成されているのだ。村の誰かが出した本を、同じ村の人達が買うことの繰り返し…。これは実態としては“集団的自費出版”以外の何ものでもない」。以下おもしろい喩が続きますが、紙面がなくなった。
     
  紙面の都合で割愛した部分。まず前段から「のっけからスケールが小さい話題で恐縮だが、たとえば、小社[思文閣出版]のごとき版元の主力商品である日本史の研究論文集。A5判、400頁、上製本、定価8000円。初版部数は1000〜1500部。日本の人口を約1億2000万人とすると、およそ10万人あたり1冊売れば、めでたく品切れとあいなるわけだ。この種の、論述と史料引用で全編が貫かれるような「学術書」は、ふつう快楽としての読書には適さない。主として著者と同じ専門領域で研究する人が、自分の業務上“使う本“なのである。その点では、むしろ「実用書」とか「学参」(学問参考書)などと呼ばれたほうがお似合いだ」。後段は「刷部数の数パーセント、時には1割近くが村の“顔役”や“親戚”に直接配られ(著者の買上げによるケースが多い)、50〜60パーセントをその他の村人が各地の書店等を通じて購入する。村向きの本であるから、村以外では無価値であるかというと、そんなことはなく、残りの3〜4割は、たとえば神田あたりを回遊する本好きな非村人の手に取られ……とこのように運べば、まずは理想的なパターンである。とにかく、やはり「ドブ板選挙」向きなのだ。“夢”がない、と言えばそれまでだが、企業内容が一定以上の水準を保ち、地道な営業活動を積み重ねている出版社には、それ相応の成果が保証されうるのだ。全国の“村人”・大学・図書館に対して丹念にアプローチしつつ、きちんと実績を残している社が現にいくつもある」。以下は省略するが、岩田書院もこのような出版社になりたい。

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