大石 学編『近世公文書論 公文書システムの形成と発展』

評者:冨善一敏
「日本歴史」740(2010.1)

 本書は、前著『近世国家の権力構造−政治・支配・行政−』(岩田書院、二〇〇三年)に続く、東京学芸大学大石学ゼミによる共同研究「近世国家・社会と公文書」の論文集である。
 その方法論は、「近代的な概念にもとづく『公文書』を狭義の公文書と位置づけ、近世社会固有の社会的公共性の必要から要請される<公文書>を広義の公文書ととらえることで、近世的公文書のありようを考えようとする『近世公文書論』」であり、その目的は「各論考が分析対象とする史料を“公文書”と位置づけ、そのフィルターを通すことで、公文書システムの形成と発展という視角・方法を用いることにより、新たな近世国家・社会像の提示を目指す」ことである(本書八〇六〜七頁)。次に各論文の内容について簡単に述べよう。

 「まえがき」(大石学)では、本書の目的について、日本近世の公文書システムの形成・発展の実態を、近世国家・社会の展開と関連させて解明すること、分析視角として空間軸・時間軸の二つを設定し、近世の公文書システムが国家・社会を列島規模で集中・統合し、社会の均質化・同質化を進める過程を追究すること、公文書システムを支える近世の公共性や、公共圏の成立・発展の実態に迫る視角・方法を提示すること、と述べる。

 第一章「幕府代官所における公文書行政の成立とその継続的運営」(三野行徳)は、幕府勘定所が管轄する代官所を中心とする文書行政の成立と展開について、代官所関係文書の分類と管理形態・取り扱いの実態を、包括的かつ詳細に分析し、近世初期の年貢関係文書の成立、勘定所の機構整備を経て、享保期には文書取り扱いが専門化され、公文書行政として確立するとし、文書が社会の「公」性を獲得するものと意義づけている。

 第二章「江戸廻り地域の成立と公文書行政−屋敷改の成立と作成帳面−」(山瑞穂)は、江戸廻り地域の武家屋敷支配を担った屋敷改を対象に、その職制の変化や文書作成の方法・管理・運用の実態を検討し、幕府の公文書システムの一端を解明したものである。

 第三章「大名改易における藩領処理−城引き渡しの文書作成−」(佐藤宏之)は、一七世紀末期に起きた越後高田藩の改易の結果行われた、幕府への高田城引き渡しの実態を検討する。城内の道具類の目録化を、私的から公的な所有物への変化のための公文書作成と位置づけ、幕府による大名家産掌握の意義をもつことを指摘する。

 第四章「近世百姓印と村の公文書」(千葉真由美)は、近世中後期関東地域の事例から、近世の村の公文書と百姓印との関連について、百姓の捺印意識および、捺印の有無と公文書との関係を検討し、捺印の有無は作成された文書自体が後の証拠となるか否かに関わるとする。

 第五章「大岡忠相とアーカイブズ政策」(大石学)は、享保改革の過程で大岡忠相が関与したアーカイブズ政策について、町奉行時代の「撰要類集」、寺社奉行時代の「御触書集成」の編纂、寺社奉行関係の公文書システム整備、青木昆陽による幕府・民間の古文書蒐集を明らかにし、近世後期の幕府のアー・カイブズ政策の基点として位置づける。

 第六章「加賀藩の朝鮮人御用にみる公文書−越中国砺波郡十村家川合文書『朝鮮人御用馬留帳』の分析から−」(横山恭子)は、一七一九年の朝鮮通信使来朝時に加賀藩が馬の提供を命じられた際、十村の川合又右衛門が上位レベルの書状類を収集し作成した「朝鮮人御用馬留帳」の内容を分析し、残す価値のある情報を意図的にまとめた公文書と評価する。

 第七章「用水組合運営と公文書−吉野川第拾関分水の用水組合『井組』を事例に−」(山口真実子)は、阿波藩領内の吉野川第拾関分水流域に結成された用水組合「井組」の活動の分析を行い、「第十関出来申伝運記録」ほか二冊の史料は、その編纂により井組という社会にとっての公文書と位置づけられ、藩に対しても公性を獲得したとする。

 第八章「甲府町年寄の由緒と将軍年始参上」(望月良親)は、甲府町年寄坂田家の江戸参上(江戸城での将軍への年始儀礼)の許可運動の分析を通して、江戸参上の由緒の形成過程および、坂田家の由緒へのその影響および関係性について検討したものである。

 第九章「御三卿一橋徳川家の関東領知役所における『伺書』−現用文書と非現用文書−」(竹村誠)は、一橋徳川家の関東支配を担当する領知役所で、代官が地方支配の際に作成した「伺書」を分析し、「継添伺書」の作成、代官交代の際に引き継がれる文書(現用文書)と引き継がれない文書(非現用文書)との分類など、その文書管理を検討した。

 第十章「武州一宮氷川神社の代替御礼例書に関する一考察」(古谷香絵)は、将軍の代替儀礼の際、各寺社から寺社奉行に提出される例書について、武蔵国一宮氷川神社を例に考察し、@儀礼への参加を寺社奉行所が確認する文書、A神社・神主の由緒・格式を象徴する文書、B次の代替儀礼に向けた知識の伝達文書、の三つの意味をもつ公文書であるとする。

 第十一章「近世における太政官印再興の歴史的意義」(野村玄)は、平安末期以降中絶していた太政官印が一八〇七年に再興されたことを、「天皇御璽」の発見や、一七四三年の桜町天皇による再興の検討などとからめて分析し、公文書を作成する天皇・朝廷の主体性の強化と位置づけ、明治太政官制度の助走と評価する。

 第十二章「茶壺道中と数寄屋坊主−『菟道青表紙図彙』の作成を事例に−」(大嶋陽一)は、江戸城の数寄屋坊主集団が記した茶壺道中のマニュアルの「菟道青表紙図彙」を分析し、茶壺道中という将軍御用や禁裏御用などの公的・国家的課役に関する情報を、数寄屋坊主集団が共有するための公文書的性格をもつ史料と位置づける。

 第十三章「旗本家の知行所支配行政の実現と『在役』−一五〇〇石牧野家を事例に−」(野本禎司)は、幕末期における旗本の知行所支配の実態を、旗本牧野家江戸役所−地方役所(在役)−知行村間の文書収受を通じて明らかにし、「行政の文書主義」が各村と在役との間で制度として定着したとする。

 第十四章「村落・地域社会の知的力量と『村の編纂物』−村役人層の資質形成と村方文書共有ネットワーク−」(工藤航平)は、近世後期に武蔵国八条領西方村の村役人が編纂した西方村旧記が、越谷宿定助郷回避訴願マニュアルであること、一次的役割を終えた幕府行政文書は、村役人の下で村の経験として蓄積され、幕府を相対化し地域の論理を保証する証拠書物として二次利用され、村や地域の共有財産として位置づけられることを述べる。

 終章「方法としての近世公文書論」(三野・野本・佐藤・竹村・工藤)では、これまでの近世史料研究を概観し、近世史料論の新展開として、@近世書物の史料論、A図像資料と近世史研究、B村・地域の編纂物をあげている。

 もはや予定の紙幅を超過してしまったので、本書の意義について述べる余裕はないが、一点だけ述べたいのは、本書のキーワードである「公性」の説明がないことである。近似の概念である「公共性」との共通点と相違点など、概念をより明確化して提示すべきである。『近世国家と首都』など、今後予定されている続編に期待したい。

(とみぜん・かずとし 東京大学経済学部図書館非常勤職員)


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