本康宏史『からくり師 大野弁吉とその時代』

評者:梅田千尋
「歴史学研究」850(2009.2)

 本書のタイトルにある大野弁吉(1801−70)は,幕末期に金沢周辺で活躍し,同地にさまざまな「弁吉伝承」を残した伝説的なからくり職人である。
 本書では,在来技術の担い手である「機巧(からくり)師」という像と,近代科学技術の先駆者という評価に二分されてきた弁吉の実像について,交友関係や技術・知識の伝播という視点から再構築を試みる。つまり,特定の人物という「点」の研究ではなく,時間的・空間的なひろがりのなかで彼を位置づけ,それを通して同時代の科学・技術者たちの群像が立ち現れてゆくのである。
 化政期以降の加賀藩は,本多利明門下の藩士を中心に,地域蘭学や高島流砲術・天文暦学・測量など実学の導入が進み,幕末期には藩営殖産興業事業も行われた特徴的な地域であった。そうした加賀藩科学者グループの系譜をさかのぼり、科学受容の文化的土壌という背景をふまえることで,弁吉の立ち位置はより鮮明になる。
 さらに,弁吉が後の世代に与えた影響として,殖産興業の拠点として開拓され「幕末在来技術の展開が近代技術(外来技術)と避逅するに至った」(341頁)場である卯辰山の写真局や,七尾軍艦所・製鉄所での弁吉の「弟子」とされる技術者たちの活躍も描かれる。とりわけ,力織機の発明を試み,擬洋風建築として著名な尾山神社の設計にも携わった津田吉之助の事例は,近代的技術者への転成の好例である。
 つまり,近世的「職人」が,どのように近代の技術者に影響を及ぼしていったか。その基盤となった「在来」技術の具体的内容とは何か。一種の特殊例として語られてきた弁吉を,19世紀近世近代移行期の科学技術を体現する人物として普遍的な文脈に位置づけている。その際,単なる「科学技術」ではなく,科学技術をめぐる諸研究・制度・教育・交流そのものを「技術文化」というキーワードのもとに括りだし,地域社会論の一環としての視点から捉えることも,本書の特徴である。
 近世科学技術史は,魅力的かつ困難な分野である。よるべき史資料は,膨大にある。しかし,それらの技術内容を読み解き,評価するための土台が十分に整っているとはいえない。さまざまな関心に基づくアプローチが可能であるがゆえに,対象は細分化され,いきおい趣味的なトピックや人物顕彰,あるいは文化的ナルシズムを刺激する過大評価に繋がりかねない。
 本書では,加賀・金沢という独自の文化・学問の中心地となった地域社会−もしくは藩社会−という枠組みのなかで西洋科学の受容と技術文化の展開を描くことで,こうした問題を乗り越える道筋を示している。
 近年,文系・理系を横断した科研の特定領域研究「江戸のモノづくり」などにより,良質な史料の紹介やデータベースの公開が進んだ当該分野であるが,一時的なブームを超えて残る研究成果があるとすれば,本書は,その一つにあげられるだろう。


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