天野武著『野兎の民俗誌』
掲載誌・日本経済新聞(2000.10.30)


 <ウサギの伝承に耳立てる>―各地に伝わる呼び名や狩猟・調理法集めの民俗誌に―
 野ウサギを追いかけて全国を駆け回っている。と言っても、狩りが目的ではなく、各地に伝わる呼び名や狩りの方法、調理法などについて、古老や猟師らから話を聞くためだ。
 ウサギに興味を持ったきっかけは、今から三十年近く前。石川県立郷土資料館に勤務していたころだった。地元の白山山ろくの民俗資料を調べることになり、私は狩猟の担当を命じられた。結婚や家族、若者に関する民俗研究を専門にしていた私にとっては未知の領域であった。
 最初は戸惑いもあったが、調べてみるとなかなか面白い。中でも、注目したの木の棒切れでウサギを捕らえる手法だ。木の棒切れをブーメランのように投げつけて威嚇し、雪穴などに逃げ込んだところを手づかみで捕らえる。こうした猟法に使う「飛び道具」に関心を持ち、そこから野ウサギにまつわる民俗誌をたどるようになった。
 
 30年で500〜600カ所訪問
 文化財調査官の職を得て、七四年からは文化庁に勤務するため東京に出ることになった。野ウサギに関する調査は、仕事の合間に続けた。三十年間の調査で訪れた場所は五、六百力所になる。学会誌などに発表した論考や報告文は百五十本を超えた。
 猟法は落とし穴や括り罠を使う方法など多様だ。猟具を投げる方法は大抵の場合、命中させようとするのではなく、音をたてたり、投げた物の影によりウサギを威嚇するのを狙いにしている。特に、タカが襲来したような音が出れば効果はてきめんだ。
 投げ飛ばし用の猟具には、わらで編んだものもある。飛騨地方では「シュウタン」「ヒユウタン」などと呼ばれている。円盤状に編まれており、十センチほどが中空のドーナツ形をしている。投げ飛ばした時に音が立ちやすいようにと、縄やささの葉を付けたものもある。東北地方では、わらで作ったタカという意味で、「ワラダカ」「ワラダ」と言い、白山の山ろくでは「シブタ」「シュウタ」と呼んでいる。

 各地で130以上の呼び名
 野ウサギの呼び名は地域で様々だ。その異名は、全国に百三十以上あることが分かった。岐阜県飛騨地方だけでも「ネクビ(寝首)」「ヤマノダイコン(山の大根)」「アカダンベ(赤い睾丸)」「タカオトシ(鷹落とし)」「ツイハギ(継ぎはぎ)」など、十種類を超える。ネクビは野ウサギが雪穴の口に寝伏し、首から上しか見せないいことからついたようだ。ツイハギは子ウサギの呼び名で、毛の色が単一ではなく、色の違う布切れを継ぎ合わせたように見えることからきている。
 今でこそ、ウサギというと愛くるしい動物というイメージが強いが、ペットとして定着するのは、幕末から明冶初期に西洋から飼育用が入ってきてからだ。野ウサギは稲、大豆、大根など田畑の作物や、植林した杉の苗を食い荒らす害獣と見なされることが多かった。また、飼おうとしてもすぐに逃げてしまう。ウサギは月夜に誘われて逃げていくという体験談もあちこちで伝えられている。

 肉は食料、毛皮は防寒
 捕まえた野ウサギは昔、頭からしっぽまで使ったようだ。肉は食料になり、毛皮は防寒具として珍重された。太平洋戦争中には、兵隊の耳当てなどに用いるため、捕獲することが当局から奨励された。骨を砕いて団子にし、汁物の具にする地方も広範囲に見られる。また、手足の先の骨は子供のがん具にする地域もあった。「遠くのシシ(あるいはクマ)より、近くのウサギ」と言って、イノシシやクマのように高くは売れないが、用途の広い動物だった。
 ウサギは古事記や風土記に登場し、鳥獣戯画などに描かれてきた。祭り屋台や建造物にも見ることができる。飛騨高山の高山祭の屋台には、中段に飾りとして木彫りのウサギがある。国指定史跡の高山陣屋の屋内にも数多くのウサギを模した飾り金具を目にすることができる。人間と密接な小動物だったのだ。それが今では里山は荒れ、絶滅の危機にひんしているのは残念でならない。
九一年に文化庁を退官後、大学に職を得たことで、野ウサギの調査は本業の一つになった。今年、これまで足しげく通ってきた地域の一つ、飛騨地方での聞き書取り調査をまとめ、「野兎の民俗誌」という本を出版した。まだまだ未整理の資料も手元にあり、残りの生涯をすべて費やしても、まとめきれるかどうか分からない。だが、貴重な記録を後世に伝えるために、資料の整理にいそしむ毎日だ。
(あまの・たけし=帝京大学教授)
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