北川 央著『神と旅する太夫さん−国指定重要文化財「伊勢大神楽」』

評者:橋本章彦
「宗教民俗研究」19(2009.11)

 かつて「旅と日本人」という授業を担当していたことがあった。その時教材として使用したビデオ映像のなかにNHKの放送した新日本紀行の一本があった。「旅する獅子」と題された作品で、最初の放送は、昭和四十七年(一九七二)の三月ということである。この作品は、伊勢大神楽の山本勘太夫襲名披露の旅を追った作品であったが、これに触発された私は一度本格的に伊勢大神楽について学んでみたいと思うようになった。しかし、この方面に全くの素人の私にとって適当な概説書は不可欠だが、それを簡単に見つけることができず、結局そのまま日々の忙しさに紛れてしまい、やがて興味を別の問題へうつしてしまっていた。
 最近ある仕事で琵琶湖に浮かぶ沖ノ島のお寺に縁起や絵伝などを調べに行く機会があった。授業で使ったビデオを通して、そこは山本勘太夫一行の檀那場であり、また神楽一行を迎えに行く神楽舟を操ることが若者の通過儀礼と位置づけられていたことなどを知っていたので、ことのついでにご住職にそのことを問うてみた、すると四〇年ほど昔のことが今でも続けられているとのことであった。その聞き取りを得た私は、またもやかつての興味がむくむくと首をもたげてきたのである。だが、極めて意志の弱い研究者である私は、またもや適当な入門書のないことに行く手を阻まれてしまうのではないかとあきらめていた。そんな折、ここに紹介する北川氏の書物に出会ったのである。この本は、北川氏が長年の調査に基づいて豊富な写真とともに伊勢大神楽について概説したものである。
 まずは目次を示すのがこの本を知っていただく最良の方法であろう。

 第一章 伊勢大神楽という芸能
 第二章 伊勢大神楽の本拠地・太夫村
 第三章 太夫家の変遷
 第四章 伊勢大神楽の一年−山本源太夫組
 第五章 伊勢大神楽の一年−森本忠太夫組
 第六章 伊勢大神楽の回檀と檀那場の村落
 第七章 伊勢大神楽の縁起と信仰
 第八章 各地に残る神楽墓
 付録  道具類

 第一章では、舞の各曲が紹介されており、実際に鑑賞する際に有益である。また第六章は、森本忠太夫一行の一日を追っており、現在の神楽一行の実態を知ることができる。さらに第七章では、さまざまな信仰について具体的に紹介されている。竃祓い、獅子に対する信仰、笹の枝、船の祝い、井戸の祓い、神木の祓いなどである。総舞を奉納しなかったところ村に五回も火災が起きたという伝承については、各地に調査へ出たときにしばしば類似の話を聞く。しかし、その素朴さにかえって民俗的なリアリティを感じるのは私だけであろうか。
 巻末には、参考文献が潤沢にあげられている。これは、これから学ぼうとする者にとって極めて有益である。門外漢の私は、これによって過去にいくつかの概説書のあることを初めて知った。もっと早くこの本が出版されていたなら、と思ったことである。入門的な文章や書物は、専門家の目に触れる場にあってもあまり意味をなさない。一般にも容易に知られるところにあってはじめてその責任を果たせると言えるだろう。その点で、ここに紹介する本は、後進を導くうえで意義のある出版であった。これは、この方面の学問を発展させることにもつながっていくはずだ。
 ともあれ、民俗を学ぶものであるならば、是非書架の一冊に添えておきたい本ではある。


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