佐伯和香子著『菅江真澄の旅と和歌伝承』

評者:小堀光夫
「昔話伝説研究」29(2009.12)

 菅江真澄が「真澄遊覧記」と総称される旅日記をはじめとした数多くの著作に書き残した記事は、柳田國男を筆頭に、民俗学、考古学、口承文芸学等の研究者によって研究資料として活用されてきた。
 その一方で、「真澄遊覧記」に記された真澄が詠んだ和歌、また引用した古歌等については、近年まで、あまり注目されて来なかった。平凡社刊『菅江真澄遊覧記』(全五冊)では、民俗の記事を際立たせるために和歌とそれに関する記事が丁寧に取り除かれている。つまり、その記事の資料性を重視するあまり、「真澄遊覧記」を文学として読むという視点が、置き去りにされて来た結果といえよう。
 本書の著者である佐伯和香子氏は、資料として「真澄遊覧記」を読むのではなく、特に真澄が引用した古歌、伝承歌に注目して真澄の旅への思いと、そこから生み出された「真澄遊覧記」を文学テキストとして読み解くという、まさに平凡社刊『菅江真澄遊覧記』(全五冊)を相対化するという興味深い試みを本書で行なっている。
 目次は、次のようになっている。

序論
T 研究史
 第一章 真崎勇助から柳田國男まで
 第二章 内田武志から現在
U 菅江真澄の旅
 第一章 菅江真澄の著作
 第二章 旅を支えた学問
 第三章 旅の極北
V 菅江真澄と和歌
 第一章 「委寧能中路」の性格
 第二章 古歌の引用と詠歌の方法
 第三章 信濃の日記における古歌の引用
     ―『夫木和歌抄』と『歌枕名寄』、そして地誌―
W 東北の旅
 第一章 「旅」をつくる真澄
     ―「齶田濃刈寝」における歌枕の記事を中心に―
 第二章 真澄と飢饉
 第三章 大館市十二所の三哲伝説
     ―「雪能飽田寝」の記述をめぐって―
付『真澄遊覧記』引用和歌・伝承和歌資料

 目次からもわかるように本書は、「序論」「研究史」「菅江真澄の旅」「菅江真澄と和歌」「東北の旅」といったテーマで括られた各論文と、「付『真澄遊覧記』引用和歌・伝承和歌資料」から構成されている。

 「序論」では、真澄の旅日記における和歌と説話の執筆姿勢、およびその日記の虚構性を明らかにするという本書の課題とともに、旅日記から真澄の旅を支えた各地の文化サークルの人々との交流を読み解き、江戸後期の地方文化の状況を、そこに見ようとしている。

 「研究史」第一章では、明徳館本から漏れた真澄の著作の収集に力を注いだ真崎勇助と、真澄の旅日記に記された地方の人々の生活の「具体的な見聞」といった資料性を評価しつつ、学問の系統、正確なる本質、郷里を出てしまった事情など、真澄自身の出自に強い関心を持っていた柳田國男の真澄研究についてまとめている。第二章では、柳田の仕事を引き継ぎ『菅江真澄全集』をまとめ、今に至まで真澄研究の大きな山脈となっている内田武志と、それ以降の真澄研究者たちの研究成果を振り返りつつ、そこに欠けている真澄の旅日記を、紀行文学として読むという視点の重要性を指摘している。

 「菅江真澄の旅」第一章では、真澄の略歴と著作を概観し、旅日記に見られる未発見本について考察している。第二章では、真澄の旅を支えた国学、本草学といった学問の学統を検討している。第三章では、真澄の旅立ちの理由について、旧友と楽しく交わる姿から、従来考えられて来た重苦しい事情よりも、古歌、悲劇的な流され人の伝承、漂泊の歌人の歌を旅日記に記すことによって、自らの漂泊の思いを日記に刻みつける真澄の創作方法ではないかとしている。

 「菅江真澄と和歌」第一章では、日記における和歌をめぐるその執筆方法について考察している。特に、旅のはじまりを告げる初期の日記「委寧能中路」について、折句、回文、物名といった技巧的な和歌を数多く記している事から、「和歌秘伝書」とともに旅先での名刺代わりの日記であった事を指摘しているのは卓見である。第二章では、引用している古歌から、その和歌の素養と学風について、どのような歌集、歌学書に接して来たのか、その一端を明徳館本「委寧能中路」と草稿である三本の異文との比較によって明らかにしている。第三章では、さらに、「委寧能中路」をはじめとした信濃路の日記、四冊を中心に『夫木和歌抄』『歌枕名寄』地元の名所記、地誌といった引用文献から真澄の日記の記述法について考察している。

 「東北の旅」第一章では、「齶田濃刈寝」における、恋の山、阿古屋の松、最上川といった歌枕をめぐる真澄の記述が、歌枕のもつ豊かなイメージを利用した物語化によって日記の旅の場を、理想の旅として作り上げていることを指摘している。第二章では、飢饉に関する日記の記事を抽出しながら、その飢饉に対する記述の変化と、真澄から思わず出てしまった批判的精神を、「楚堵賀浜風」「雪の母呂太奇」に記された女性の歌徳によって年貢を軽減させる白沢説話から読み解いている。第三章では、「雪能飽田寝」に記された飢饉に際して年貢米を奪い、人々に分け与えて殺された医師、三哲の伝説をめぐって、代官を悪者とする現在の伝承との話の違いを、人々が義人を求める苦しい時代に真澄が聞いたことによる話の差異と指摘している。佐伯氏は、三哲を「をこ」と表現する真澄に注目しているが、筆者は、この「をこ」を宮沢賢治のいう「デクノボー」と同様に「無垢なる者」として読んだ。

 最後に収載されている「付『真澄遊覧記』引用和歌・伝承和歌資料」は、今後の真澄研究において「真澄遊覧記」を文学作品として読むための重要な資料となる労作である。

 本書は「真澄遊覧記」を古典として研究するための必読書である。また、佐伯和香子氏の学位論文・博士(文学)でもある。


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