大石 学編『近世公文書論―公文書システムの形成と展開―』

評者:中野目 徹
「史境」59(2009.9)歴史人類学会

 とにかく大部である。八三〇頁。
 しかし、編者である大石学氏による「まえがき」の「本書構成 概念図」(七頁)によれば、本書をもってしても取り上げることのできない領域が多いというから、「近世公文書論」という主題のもつ大きさが察せられるというものだ。近代史を専攻する評者が本書の意義をどれほど理解し、的確な批評を加えることができるか心許ないが、公文書を中心に史料学の構築を標榜している一人という立場から、書評の任を引き受けてみることにした。

 本書は、東京学芸大学の大石氏の下で江戸時代を中心とする日本近世史を専攻したメンバー、いわゆる大石ゼミOBによる東京学芸大学日本近世史研究会の研究成果の一部である。同研究会では、すでに大石氏の監修・編集で『高家今川氏の知行所支配』(二〇〇二年、名著出版)、『近世国家の権力構造』(二〇〇三年、岩田書院)及び『千川上水・用水と江戸・武蔵野』(二〇〇六年、名著出版)を上梓し、最近も『高家前田家の総合的研究』(二〇〇八年、東京堂出版)を世に問い、本書に引続き「近世国家と首都」「近世日本と国際関係」というテーマで研究書の刊行を準備しているという。「破竹の勢、大石軍団」といった趣きである。一つのゼミのメンバーでこれだけの成果を挙げることがいかに困難か、評者のささやかな経験からでも十分理解できることであり、研究会の中心メンバーが書いた「あとがき」にあるように、ゼミのOB会が指導教員の「個人的魅力」(八三〇頁)によって集い、それが「共同研究と呼ぶにふさわしい実質」(八二八頁)を備えているとしたら、本書を含めた一連の研究書群は、大学における理想的な教育・研究実践の一例といえるであろう。最初に、この点に敬意を表しておきたい。

 では、軍団は何を目がけて進撃しているのか。それは、編者の大石氏の掲げる日本近世史像の見直しという大きな目標ということになろう。大石氏はすでに、『享保改革の地域政策』(一九九六年、吉川弘文館)をはじめ多くの著書で、近世国家・社会像の捉え直しの作業を進めている。その方向性を、誤解を恐れずに概括すれば、近世国家・社会を近代国民国家に連続する時代として理解し、それを生み出す母体として位置づけようとする試みである(1)。したがって、本書の課題も、「まえがき」の冒頭にあるとおり、「日本近世の公文書システムの形成・発展の実態を、近世国家・社会の展開と関連させて明らかにすること」(一頁)とされ、さらに「近世の公文書システムが、国家・社会を列島規模で集中・統合し、社会の均質化・同質化を進める過程を明らかにすることを目指している。この作業を通じて、日本近世を国民国家形成過程として捉える視角・方法を提示するとともに、これら公文書システムを支える近世の公共性や、公共圏の成立・発展の実態に迫る視角・方法も提示することにしたい」(二頁)という抱負が述べられている。

 それにしても、「近世」という時代区分と「公文書」という分析素材の組合せに据わりの悪さを感じるのは、評者だけではないだろう。また、副題にある「公文書システム」なるものが何なのかも気になるところである。以下、それらの点に注目しつつ、とくに近代の公文書との連続と不連続を意識しながら、まず本書の内容を整理し、ついで意見や疑問を呈することにしたい。
     *     *     *
 本書は、執筆者を異にする第一章から第十四章までの本論と、「近世公文書論」に関する研究史の整理及び本書の意義について五人で分担・共同して執筆した終章の、全部で十五章から構成されている。何分高価な本なので、実際に手に取って見ることのできない読者も多いであろうから、目次を掲げることで全体像を示しておこう(カッコ内は執筆者名)。
 
 まえがき(大石学)
 第一章 幕府代官所における公文書行政の成立とその継続的運営(三野行徳)
 第二章 江戸廻り地域の成立と公文書行政(山端穂)
 第三章 大名改易における藩領処理(佐藤宏之)
 第四章 近世百姓印と村の公文書(千葉真由美)
 第五章 大岡忠相とアーカイブズ政策(大石)
 第六章 加賀藩の朝鮮人御用にみる公文書(横山恭子)
 第七章 用水組合運営と公文書(山口真実子)
 第八章 甲府町年寄の由緒と将軍年始参上(望月良親)
 第九章 御三卿一橋家の関東領知役所における「伺書」(竹村誠)
 第十章 武州一宮氷川神社の代替御礼例書に関する一考察(古谷香絵)
 第十一章 近世における太政官印再興の歴史的意義(野村玄)
 第十二章 茶壷道中と数奇屋坊主(大嶋陽一)
 第十三章 旗本家の知行所支配行政の実現と「在役」(野本禎司)
 第十四章 村落・地域社会の知的力量と「村の編纂物」(工藤航平)
 終 章 方法としての近世公文書論(三野・野本・佐藤・竹村・工藤)
 「江戸時代と公文書」研究会活動記録
 あとがき(三野・工藤)
 
 各章は、ほぼ年代順に配列されている。それぞれの内容については、大石氏による「まえがき」のなかで要領よくまとめられているが、ここでも、評言を加えつつ改めて評者なりに整理し直しておきたい。

 第一章は、幕府代官所をめぐる文書の全体像と時期的変遷を解明すべく、まず、代官所を管轄する幕府勘定所の機構改編を、近世初期、享保期、近世後期に分けて明らかにしていく(第1表)。一方で、「勘定所―代官―村方における行政事務を行うために成立した文書類は、享保期を画期として公文書行政として確立した」(四四頁)とされる。それらをふまえ、代官関係文書を「勤要集」を基本に分類整理し(第2表)、ついで、代官の日記から代官関係文書の取扱いの実態が詳細に示される(第3表)。そして最後に、やはり代官の日記や引継目録から、代官の異動に伴う文書引継の実態が明らかにされる(第4〜6表)。以上の分析を通して、幕府の「公文書行政」確立過程を見定め、「文書が「公」性を獲得し、それとあわせて行政が公化していく近世社会を映し出すもの」(八九頁)だと結論づける。勘定所―代官―村方という近世における支配と自治のダイナミズムを文書から動態的かつ構造的に論じようとする興味深い課題設定だが、本章では「公文書行政」「文書行政」「公文書行政システム」などが併用され、また、行政や文書の「公性」や「公化」という概念も規定が曖昧で、課題と結論が結び付きにくいような印象を受ける。

 第二章は一二五頁と、本書でも最も長大な論考(ただし、その約三分の二は表。第一章も全体の約四割は表)である。江戸周辺地域を管轄する幕府屋敷改を事例に、その役職の変遷と作成した諸帳面の管理・運用の実態を解明することを課題としている。それによれば、屋敷改の職は、近世初期には臨時的で一時期は廃止されていたものが、享保期になると「事務官僚」(一一五頁)として常職化し、幕末期に及んだという。次に、「旧幕引継書」のなかから、屋敷改の作成したと判断される諸帳面と管轄地域の全体像が示され(第2〜5表)、ついで、屋敷改帳の内容が「南方地子屋敷改帳」を事例に二六八軒分紹介され(第6表)、さらに、新たな帳面が作成される場合の事例も検討される。最後に、「幕府御書物方日記」により、屋敷改帳に関する記述を悉皆的に抜き出し(第8表)、帳面が丁重に管理されていたことや、請け渡しの手続きなどが明らかにされている。以上の分析から、享保期に先立って、幕府内では屋敷地の把握という「情報管理体制の整備」(二一八頁)が行なわれ、それが屋敷改帳という文書によって継続したことが指摘される。本章でも、「公文書」や「公性」という用語が見られるが、全体としては、職制の変遷と帳面の作成を実態的に解明することに力点が置かれている。

 第三章は、延宝七年(一六七九)に発生した越後高田藩松平家のお家騒動の結果行なわれた改易に伴う城引渡しを事例に、その際に作成された諸文書を分析対象にしている。はじめに、改易・城引渡しを行なう手続きが、幕府・老中―大名親族集団―江戸・高田の松平家臣又は派遣された幕府役人の間で、書状や書付を取り交わすことで進んでいくことが明らかにされる。ついで、道具類が目録化されることについて、家産(「私的な所有物」)が文書化されて幕府の「公的な所有物」になると捉えられる(一方、城附のものは元来が幕府の所有物=公的な所有物だとされる)。これらの検討を通して、「所有権の変更に際して、公私間を結ぶ目録は「公文書」として機能していた」(二七四頁)とされ、改易に伴う一連の過程は「幕府の中央集権的性格を示すひとつと位置づけることができよう」(同上)という結論が導かれる。本章は、執筆者の意図が読み取りにくい論考になっているが、同時に、本書全体が抱えている「公文書」概念の曖昧さについて考えさせられるという意味では、重要な論点を包含している一章であるといえよう。この点は後段で触れる。

 第四章は、「近世の村で作成される文書のうちに「公文書」としての性格を有する文書の存在を考えた場合、百姓の捺印がどのように位置づけられるのか、どのように機能しているのかを検討する」(二八一頁)という、比較的慎重で穏当な言い回しで課題が設定される。具体的には、領主や村落間など村外に出される「公文書」と、村内で伝達されたり証拠として残される「公文書」に分けて検討され、前者では、「公文書」には捺印、「私的な文書」には自筆という意識が働いていたこと、後者では、村内の伝達文書には捺印がなく、後年の証拠とされる文書には捺印があるという結論が導かれる。事例研究であるから、もとより一般化はできないだろうが、近世中期に定着してきたといわれる「はんこ社会」の一つの実例報告といえよう。

 第五章は、すでに吉宗が主導した享保の改革における「公文書政策」について論じている大石氏が(2)、吉宗を補佐した大岡忠相が関わった「アーカイブズ政策」(「公文書政策や法令編纂」)のあらましを論じている。まず、「享保度法律類寄」、「撰要類集」、「大岡越前守御番所諸帳面目録」「公事方御定書」増補、「御触書集成」及び「寺社方御定書」編纂の各々について紹介し、次に、大岡が寺社奉行として行なった文書の保存・管理システムの整備、そして青木昆陽に命じて行なった古文書調査を挙げ、「大岡のアーカイブズ政策は、近世後期における幕府のアーカイブズ政策の起点」(三四五頁)と位置づける。本章で前提とされている「アーカイブズ」「公文書」「古文書」の関係は、本書全体の意義とも関わると思われるので、後段で再度取り上げたい。

 第六章は、享保四年(一七一九)の朝鮮通信使来訪に際して、加賀藩が十村役(砺波郡川合家)を通して行なった馬の供出という「御用」をめぐる文書の往復に注目した論考である。「川合家文書」に残る「朝鮮人御用馬留帳」を詳細に分析し(第1、2表)、「各機関における書状を媒介とした情報伝達、そして書状の指示内容による各機関の適(ママ)確な実務遂行が、加賀藩における朝鮮人御用を成立させていた」(三八六頁)とする。さらに、書状の入手方法や添付文書についてもふれ、最後に「朝鮮人御用馬留帳」の特徴を七点にわたって整理している。本章は、全体として「朝鮮人御用馬留帳」の史料分析に終始し、朝鮮通信使の処遇という幕府の「国政」レベルの問題が、文書によって村レベルにまで及んでいたと指摘する。表題にある「公文書」なる用語は本文中では使用されていない。

 第七章は、阿波国吉野川流域の第拾関分水に作られた「井組」という用水組合が、関の維持・管理と円滑な運用のために行なった活動のなかで作成された文書に注目し、その役割について考察を加えたものである。分析対象とされたのは、まず「第十関出来申伝運記録」であり、この記録から関と組合の概要が示される。次に、「第拾御関御普請ニ付諸窺留書並ニ諸配書控共」によって、阿波藩―惣裁判(組合の役人)―裁判人(普請の現場監督)―村浦(組頭庄屋)の関係が文書によって成り立っていたことが明らかにされる。最後に、「第拾御繕御普請御入目割賦帳」によって、関の管理費である井料米の実態が紹介される。これらを通して、関の運営に際して作成された文書は、組合や村浦にとって「公文書」として機能し、それは「井組という地域社会の自治能力、また、その力量の一端を証明している」(四五五頁)と結論される。評者も一万点を超える水利組合・土地改良区の所蔵文書の整理に従事したことがあるが(3)、そこには近世以来の用水組合や明治初期の水利土功会の文書は含まれていなかった。近代の水利組合は公法人として成立するので、その所蔵文書は公文書として位置づけることができるが、本章によって用水・水利組合文書に見る近世―近代の連続、不連続という問題に興味がそそられた。

 第八章は、安永五年(一七七六)に始まった甲府町年寄坂田・山本両家の将軍への年始参上という事例を取り上げ、それに至る過程で作成された由緒を検討素材にする。本章は、近年盛んな由緒研究の一つと位置づけられ、本文中でも「公文書」という言葉は一度も使用されていないが、大石氏による「まえがき」では、「由緒が、真偽を超えて地域の利害を代表する公文書として機能する実態を明らかにする」(四頁)と紹介されている。

 第九章は、幕府御三卿の一橋家の領知支配における「伺書」(代官が領知を支配するにあたって作成された文書)を例に、支配所である領知役所が「政策を決定・持続する保障の仕組みを明らかに」(四九一頁)することを課題とする。やや分かりにくい課題の設定だが、副題にもある現用文書と非現用文書というアーカイブズ学的な分析の枠組みを用い、まず、茨城県立歴史館が所蔵する「一橋徳川家文書」のうち関東に関する「伺書」が、有用期限と引継ぎという観点から悉皆的に分析される(三三頁にわたる第2表)。ついで、「伺書」が「継添」(効力延長の手続き)によって現用文書としての期限を延長される事例が紹介され、おわりに、これら「伺書」の内容が実際の地方支配で機能していたことが確認される。

 第十章は、武蔵国一宮氷川神社が将軍代替わりの際に挨拶参上する儀式(代替御礼)にあたって、神社から寺社奉行に差し出される「例書」と呼ばれる文書を、埼玉県立文書館が所蔵する「西角井家文書」を例に検討する。それによれば、「例書」は登城の証明書と由緒を兼ねたもので、争論などの場合によっては神主家の権力の象徴としての機能も有していたという。さらに、次回の代替御礼儀式のための知識の伝達という側面ももっており、結論として、「例書」は以上三つの意味を兼ねた「公文書」であったとされる。

 第十一章は、近世期の朝廷文書における太政官印(外印)再興の経緯を明らかにしながら、朝廷の「公文書」が次第に実効性を有していく過程を、実態に即して説明することを課題としている。評者もかつて、近代以降の御璽(内印)の有する機能を国政の意思決定過程と関わらせて解明しようと試みたことがあるので(4)、本章を大変興味深く読んだ。ここでまず注目されるのは、文化四年(一八〇七)から翌五年にかけての朝幕関係であり、太政官印再興の理由は武家官位に関わる位記の現状改善であったという。一方では、御璽の伝来や保管に問題も発生していた。次に、再興なった太政官印の保管・運用の実態が、国立公文書館所蔵「太政官印之図」や「押小路家文書」のうち「大外記師贇記」などによって明らかにされる。それによれば、「幕末までに、内外印請印儀の開催場所が少納言の私邸から禁裏御所内に移っていった」(六〇〇頁)ほか、「朝廷発行の「公文書」に内外印を押印する際の施行規則が、幕末までに定められた」(同上)という指摘がなされる。以上の事例から、朝廷内で文書に対する「意識改革」が進み、「明治太政官制度の助走として評価することが可能なのではなかろうか」(六〇四頁)と結論される。

 第十二章は、幕府によって行なわれ今なお名高い「茶壷道中」を「権力論の視点から検討」(六一〇頁)するために、数寄屋坊主(若年寄の配下にあり、幕臣の就く「職」であった)によって文化七年(一八一〇)以降に作成された「菟道青表紙図彙」の分析を通して、その性格と実態を解明することを目標とする。本章では、はじめに、「茶壷道中」の開始と制度化のありさまが紹介され、「「公儀」による支配の正統性に関わる国家的儀礼の一端を担う、公的な使節」(六二二頁)と位置づける。ついで、「菟道青表紙図彙」の記載内容により、「茶壷道中」の実際を行程に沿って再現していく。この文書はいわば「官僚制的なマニュアル」(六五三頁)であり、作成の背景には「江戸幕府内での官僚制の進展、享保改革における公文書行政の整備など、幕府機構・行政の確立があることは言うまでもない」(同上)と総括される。

 第十三章は、旗本牧野家の知行所を事例に、「江戸屋敷―地方役所―知行所各村との間でやりとりされる文書の授受関係(伝達経路)に着目して、旗本家の知行所支配のメカニズムを明らかにしたい」(六六四頁)という課題が提示される。そこでまず、「在役」と呼ばれる地方役所の役人の成立と職務が検討される。ついで、「在方御役所」とされた地方役所における「文書行政」の実態を、年貢納入(徴税権)、村役人任命(行政権)、公事訴訟(裁判権)及び公金貸付(公儀支配との関連)という四つの側面から解明し、幕末期には「在役」が村方支配の中心を担っていたが、その前提には「文書行政能力」(六九九頁)があり、「文書行政」は制度として定着していたとしている。

 第十四章は、村役人層が複雑化・多様化する地域運営を担うための「実務経験と文化的力量」(七一九頁)を習得する手段として、村方文書における編纂物の存在に注目する。検討対象は、武蔵国埼玉郡西方村に伝わった「西方村旧記」である。最初に「伝馬」「旧記」「触書」から成るこの記録の構造が明らかにされたあと、これが複数の村役人によって明確な情報収集という目的をもって編纂されたものであることが推定される。次に、編纂の背景には小前層からの要求もあって、文書の調査・整備が必要になってきたこと、とくに訴願事件に対処するためには情報の集積が求められ、村内だけでなく広く郡(領)内で記録文書の収集作業が行なわれたことなどが指摘されている。このような記録編纂、情報共有化に際しては、「村役人の責務として村・村民の利益確保・安定的運営を第一に考えており、それを実現するためのマニュアルとして情報蒐集や編纂物作成を行った」(七七七頁)のであり、それらを通して「村役人としての資質形成が行われていた」(同上)と考えられる。さらに、「編纂物が地域に広まることで、その記述に基づいて地域秩序が再編された」(七七八頁)という指摘も重要であろう。

 終章は、五人の分担執筆により、近世史料研究の流れと新展開が整理され、概念整理や本書のねらいが書かれている。本書全体の評価に関わる記述も見られることから、後段のなかで改めて取り上げたい。
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 さて、以上まとめたような内容をもつ本書は、その分量にかかわらず意外と負担感なく読み進むことができる。それは、各執筆者がそれぞれの役割分担を強く意識し、一書としての統一感を保持しようと努力しているからであろう。各章のなかには、長大な表をかなり大胆に多用するものもあり、本書は全体として事例報告集の性格を有するアンソロジーと位置づけることができる。内容的な成果としては、近世国家・社会の各層で文書による支配・自治が進展した様子を実証的に示した点に認められる。日頃は近世史の論文を敬遠して読む機会の少ない評者としては、このような機会に恵まれたことに感謝しつつ、本書が多くの読者を得ることを希望する。

 しかしながら、評者の職責として、本書の問題点もまた指摘しておかなくてはならない。その第一は、はじめにも書いたように、好篇揃いの本書を「公文書論」として束ねたことの功罪に関してである。前段で述べたような成果を認めるにしても、それが日本近世史像の見直しという大きな目標とどう関わるのか、この点が問われるべきであろう。

 まず、「功」の部分については、執筆者側の意図が終章のなかで次のように書かれていることが参考になる。「公文書は明治以降の概念であり、(中略)本書は、近代的な概念もとづく「公文書」を狭義の公文書と位置づけ、近世社会特有の社会的公共性の必要から要請される〈公文書〉を広義の公文書ととらえることで、近世公文書のありようを考えようとする「近世公文書論」という方法論を用いた」(八〇六〜八〇七頁)。さらに、「本書のねらいは、近世における公文書概念の規定でも、個別史料の史料学的分析でもない。各論考が分析対象とする史料を公文書≠ニ位置づけ、そのフィルターを通すことで、公文書システムの形成と発展という視角・方法を用いることにより、新たな近世国家・社会像の提示を目指すものである」(八〇七頁)。要するに、執筆者たちは「確信犯」なのであって、「近世国家・社会像」見直しのため、あえて「公文書」という分析概念を「視角・方法」として用い、それによって近世を通じて国家・社会の各層に、しだいに「公的」世界とそれを支える官僚制的世界が定着してきたことを描き出すことを目指したわけである。そのような世界の形成を、豊富な事例をもって示し得たことは、近代国家・社会の成立前提というものを想定したとき、本書の有する意義として確認しておきたいと思う。

 ところが、すでに各章の紹介でも触れておいたように、いずれの章も史料の分析をふまえた歴史の実態研究であり、執筆者によっては全く「公文書」という概念を用いていない者や、あるいは慎重な言い回しを心がけている者もいる。つまり、本書の鍵概念である「公文書」は、執筆者間においても、必ずしも統一見解を獲得するまでには熟成していないように見えるのである。この点からいえば、やはり最初に編者の大石氏によって、「近世的公文書」の明確な概念規定がなされて然るべきであったろう。その際、丑木幸男氏の概念整理は参考になろう(5)。

 この結果本書では、例えば幕府直轄領の支配をめぐる第一章のような、いずれも一面的な「公性」を帯びた勘定所―代官―村方という階層構造のなかで作成され、上申下達される文書が「公文書」と見なされているのと、第三章で、幕府(公)と松平家臣(私)の間に位置する大名親族集団や高田藩松平家は、上下との関係性のなかで公―私いずれへも転換される性格のものだとされているのを較べると、そこには当然だが「公文書」の意味に自ずから違いが生じている。第五章で、大石氏自身は「アーカイブズ」という言葉を躊躇なく用いており、それならば第十章の「公文書」も、神社・神主家のアーカイブズと言い換えた方が分かりやすい。近代法的な公―私概念が導入・定着する以前の段階で、実態を説明する概念として「公文書」を全篇に貫徹させるのには少しく無理を伴う。本書が背負った「罪」の部分といえよう。

 これと関連して第二に、「公文書システム」なる用語に関しても、その意味内容を曖昧にしたまま終始してしまっており、本書の行論上において有効に機能していない場合もあることを問題点として挙げておきたい。忖度するに、この「公文書システム」とは、各層で顕在化した官僚制的な組織運用によって、公共的空間の維持・管理がなされている国家・社会制度、換言すれば公的性格を有する組織を文書をもって官僚制的に運用する仕組みという意味をもつらしいのだが、この場合、官僚制と公共性という概念の近世と近代における共通性と差異性が問題になってくる。

 公共性の問題は、かつて日本史研究会などの場で論じられたこともあるので、ここでは官僚制の問題にだけふれておくと、本書では、いくつかの章で、M・ウェーバーの『支配の社会学』のうち、近代における正統的支配の一類型としての官僚制的支配と文書主義の部分が議論の前提として引かれるのだが、むしろ次のような部分、すなわち「家産制的官吏制度は、職務の分割と合理化とが進むにつれて、特に文書の利用が増大し、秩序ある審級制度が作られると、官僚制的特徴を備えるようになることもある。しかしその社会学的本質からすれば、純家産制的な官職と官僚制的な官職とは、両者のそれぞれの型が純粋に打出されれば打出されるほど、ますます相互に異ってくる」(6)という部分にも注意が向けられるべきであろう。この官僚制における近世と近代の連続、不連続の問題については、職務形態・内容の表面的な類似性だけでなく、それを取りまく社会の意識レベルで解明する必要を感じている。水谷三公氏の『江戸は夢か』(一九九二年、筑摩書房)は、その際に参考となろう。このような面ではむしろ、自治体としての性格を有する村の文書においてこそ、近世と近代の連続の側面が強く現れているように思われる。

 以上のように、大石氏が本書で大胆に「公文書」概念を導入し、「公文書システム」の形成と展開に注目することになった原因の一端は、実は評者にもある。今からおよそ十年前の一九九七年と九八年に連続して開催された歴史人類学会の大会シンポジウム「国民国家とアーカイブズ」において、パネリストを他ならぬ大石氏にお願いして、日本の近代国民国家の淵源として享保期におけるアーカイブズ政策を論じてもらったからである。近世史の分野ではそれ以前から、尾藤正英氏や朝尾直弘氏らによって、江戸時代を近代国民国家のプレ・モダン期と見ていこうという提案もなされていた。その席で大石氏は、幕府享保改革における「archives(アーカイブズ、記録・公文書・古文書およびその保管所、文書局)政策」(7)、とくに勘定所の「公文書管理システム」の整備に注目する報告を行なった。「公文書」や「公文書システム」、「官僚制」や「アーカイブズ」など、本書で中心に置かれている概念は、その際すでに提示されていたものであり、『近世国家の権力構造』や
『高家前田家の総合的研究』でも、基本的に踏襲されている。

 シンポジウムの総括でも述べておいたように、大石氏の指摘は「日本では支配の問題との深いつながりがその後のアーカイブズの特質を規定している」(8)ことに注意を向けたという点で重要なものであったが、同時に近代以降も「保存されたアーカイブズの公開へと進まなかったのかという問題については、(中略)相変わらずアポリアというほかありません」(9)という状況は変わっていないなかで、「近世公文書論」という「視角・方法」で近代国民国家の成立過程を描き出すことは、幾重もの留保を付した慎重な課題設定の下でないと難しいと思われる。近代日本が国民国家としては特異な性格を有し(「大日本帝国憲法」はその第二章を「臣民権利義務」として、そもそも「国民」の存在を認めていなかった)、公文書が非公開を前提に統治・支配の道具として整備されたことをふまえると、そうした感慨をことさら深くする。近代の官僚制や文書主義の問題については、いずれ評者の見解を示したい。

 なお、本書の構成を各章が扱っている時代による年代順にしていることは、近世国家・社会がもつ構造を見えにくくしているのではないか。これを第三の問題として挙げておきたい。「まえがき」では、本書は「時間軸」と「空間軸」を分析視角とする旨が述べられているが、後者すなわち近世国家・社会の空間構造への着目は比較的弱いように感じられる。この点では、さしあたり国文学研究資料館アーカイブズ研究系が中心に推進している「藩政アーカイブズ」や「地方名望家アーカイブズ」に関する成果との接点を模索することが有効であろうし、近代史の研究者との対話がとくに必要となろう。本書の執筆者たちは、幸い「様々な研究分野との協力」(八〇七頁)を望んでいるのである。

 以上のほかにも、そもそも国家・社会を一体として捉えている点なども気にかかるところではあるが、すでに制限紙数を大幅に超過しているので指摘のみにとどめる。

  註
(1)大石学「江戸時代像の再検討」(『史境』第五六号、二〇〇八年)参照。
(2)大石「日本近世国家における公文書管理」(歴史人類学会編『国民国家とアーカイブズ』一九九九年、日本図書センター)参照。
(3)『伊奈町史文書目録』第五、六集(二〇〇〇年、茨城県伊奈町)。第五集に解説として、拙稿「福岡堰土地改良区所蔵文書の整理とその全体像」を載せておいた。
(4)拙著『近代史料学の射程』(二〇〇〇年、弘文堂)の第十二章参照。
(5)丑木幸男「近代日本の「公」と「私」」(『教育研究プロジェクト特別講義』第九号、二〇〇七年)参照。
(6)M・ウェーバー『支配の社会学』T(一九六〇年、創文社)一九五頁。
(7)前掲『国民国家とアーカイブズ』一七頁。
(8)(9)同右二七八頁。

(筑波大学人文社会科学研究科)


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