井原今朝男・牛山佳幸編『論集 東国信濃の古代中世史』

評者:岩田慎平
「古代文化」61-2(2009.9)

 本書は長野市ではじめられた「研究仲間」である「古代中世史研究会」が、17年余にわたっておこなってきた地域での研究活動の成果である。まず本書の構成を掲示する。

 まえがき
 T 地域史と権力
 小林敏男「科野(信濃)国造に関する考察」
 傳田伊史「『麻績』の名称とその変遷について」
 井原今朝男「十一世紀、東国における国衙支配と坂東諸国済例の形成
       −諸国未済物・債務処理システムの登場−」
 塩原浩「一条高能とその周辺−姻戚関係と政治的役割−」
 U 前近代の技術と生業
 市川隆之「古代遺跡出土の鉄鏃」
 中澤克昭「武家の狩猟と矢開の変化」
 福嶋紀子「中世における大唐米の役割−農書の時代への序章−」
 V 寺社と信仰
 原田和彦「平安時代初期の天台教団について−恵亮を中心に−」
 牛山佳幸「善光寺信仰と女人救済−主として中世における−」
 入沢昌基「信濃国太田荘における熊野社勧請の意義について」
 祢津宗伸「小笠原貞宗開善寺開基説成立の背景」
 村石正行「地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義
      −如仲天ァとの関わりから−」
 古代中世史研究会 活動記録
 あとがき

 全体を三つのテーマから構成分けし、各論考がそれぞれにバランスよく配分されている。
 「T地域史と権力」は四つの論考からなる。
 小林敏男「科野(信濃)国造に関する考察」は、国造の成立を通じて信濃国における古代国制史を考察する。
 傳田伊史「『麻績』の名称とその変遷について」は、歴史遺産としての地名の意義を「麻績」を実例に取り上げつつ提示する。
 井原今朝男「十一世紀、東国における国衙支配と坂東諸国済例の形成−諸国未済物・債務処理システムの登場−」は、東国(とりわけ坂東地域)における国例の成立画期として藤原道長政権期を再評価しその後の受領国制成立を見通す。
 塩原浩「一条高能とその周辺−姻戚関係と政治的役割−」は、鎌倉幕府草創期の朝幕関係を、朝廷・幕府双方に広い人脈を持つ一条高能を素材として分析する。
 「U前近代の技術と生業」には三つの論考。
 市川隆之「古代遺跡出土の鉄鏃」は、8〜11世紀にわたる信濃地域における出土鉄鏃を総体的に紹介する。
 中澤克昭「武家の狩猟と矢開の変化」は、在地における狩猟の担い手たる武士としての実力を象徴的に試す儀式「矢開」に着目し、北条得宗家の矢開儀式が室町殿に継承されていた点を指摘する。鎌倉幕府から室町幕府へという武家政権の移行の問題を考える上で示唆に富む指摘である。
 福嶋紀子「中世における大唐米の役割−農書の時代への序章−」は、大唐米の流通状況を通して中世における荘園支配体制や農業の在り方などを巧みに照射する。
 「V寺社と信仰」には五つの論考。
 原田和彦「平安時代初期の天台教団について−恵亮を中心に−」は、信濃国出身の僧である恵亮を取り上げて、護持僧として朝廷内部に個人的縁故関係を持つことが天台宗内における地位に影響を及ぼしたことが実例に即して紹介されている。ただ、院政期にかけて隆盛する王法仏法相依の思想との関係についても言及が欲しかった。
 牛山佳幸「善光寺信仰と女人救済−主として中世における−」は、女人救済・如是・皇極天皇それぞれにまつわる説話と善光寺縁起との関係を関連史料の悉皆的提示によって考察する。とくに女性参詣者に関する分析を通じて中世善光寺を取り巻く状況を復元する。しかし、在地領主層の女性と善光寺との関係にまで踏み込んだ言及がなかったのは、善光寺如来が支配者の救済者という側面を持つという観点からやや物足りなさを感じてしまった。
 入沢昌基「信濃国太田荘における熊野社勧請の意義について」は、信濃国太田荘をめぐる複雑な在地の状況とそのなかでの熊野社の役割を中心に論じる。
 祢津宗伸「小笠原貞宗開善寺開基説成立の背景」は、「信濃守護」にとっての開善寺の重要性やその開山の経緯、また開善寺と室町期における小笠原氏の地位恢復運動との関わりを指摘する。
 村石正行「地方曹洞宗寺院の文書目録作成の歴史的意義−如仲天ァとの関わりから−」は、地方曹洞宗寺院の文書目録が、葬送儀礼、一族の追善供養、女性信者への供養を重視する姿勢といった15世紀以降の曹洞宗の特徴を示す好個の史料であることを指摘する。

 通読しての最も大きな実感は、まずすべての歴史家は地域史家たるべし、という思いを新たにさせてくれる書であるというものである。本書の紹介(※岩田書院HP参照)にもあるとおり、本書は地域の史料とフィールドにもとづきながら、信州や東国の視点から、アジアのなかにおける列島の歴史と文化を分析するとある。個別具体的な事例を厳密に扱う地域史家は、その成果でもって全体史を検証する姿勢を崩さないことが肝要であり、まさに本書はその姿勢を貫いているといえるだろう。
 近年、歴史学の学会レベルでも、個別分散化した研究状況への憂えから全体史への回帰を模索する動きが活発であるが、そのことは地域ごとの個別事例を扱う地域史のような研究が忘れられつつあるということではない。むしろ、地域の様々な状況に明るい研究者による精度の高い個別研究に立脚する形でこそ全体史は構想されるべきであるし、個別研究の成果でもって全体史の誤謬は正されなければならないだろう。そのような観点に立つとき、本書のような地域史研究の担い手たちによる最新の成果が世に送り出されることは、歴史学全体のためにもっと歓迎されてよいと思われる。

 筆者の力量不足から不充分であったり、誤解・誤読に基づいた紹介に終始したかもしれないが、その点はご海容をいただきたいと思う。本書をより多くの方に手にとっていただき、本書のような地域史研究の成果のさらなる公表と、それに基づく全体史の批判的検討が進むことを願いたい。
(関西学院大学大学院研究員)


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