大石学編『近世公文書論―公文書システムの形成と発展』

評者:高橋 実
「アーカイブズ学研究」11(2009.11)

 1.はじめに

 本書の母体となったのは、東京学芸大学近世史研究会の「江戸時代と公文書」共同研究会で、2000年度に共同研究会が発足してから2005年度までのあしかけ7年間にわたる共同研究活動の成果が本書である。この間、11回のシンポジウムや19回の研究会を開催し(「『江戸時代と公文書』研究会活動記録」)、議論を積み上げた上で、830頁にもおよぶ大著を上梓したそのご労苦を多としたい。
 大石学氏を指導教員とする近世史研究会は、1997年以来、「近世国家・社会の近代に連なるさまざまな要素に注目する視角・方法から共同研究を行って」おり、その研究成果としてこれまで『高家今川氏の知行所支配』(名著出版、2002年)、『近世国家の権力構造―政治・支配・行政―』(岩田書院、2003年)、『千川上水・用水と江戸・武蔵野』(名著出版、2006年)を相次いで公表してきた。それらの成果は、「熱意と全体像への見識を持った教師と自己啓発を求める学生が出会えば、たいへん大きな成果が大学で生み出されることを証明した」(深谷克己「新刊紹介 大石学編『近世国家の権力構造』」、『地方史研究』第306号、2003年、131頁)ものとして評価された。私も同感である。とくに前著『近世国家の権力構造』は「役」をキーワードとした共同研究論文集であり、共同研究のメリットをいかした取り組みの成果として高い評価が与えられた。
 そして書評・新刊紹介などで受けた「批判・評価は、本書の議論において重要な前提になっているし、また、励みにもなった」(「あとがき」)というように、評価を糧とし、好意的な受けとめを励みとしてその後続けてきた共同研究の成果が本書であるという。このような姿勢と熱意は評価されるべきであろう。

2.本書の編集意図

 本書は、前述した近世国家・社会の近代化問題究明という長い研究戦略のもとで、「前書(『近世国家の権力構造』)の成果を深める形で、『近世公文書論』にアプローチを試み」たものであり、「日本近世の公文書システムの形成・発展の実態を、近世国家・社会の展開と関連させて明らかにすることを課題」としたものである(「まえがき」)。一貫し、統一した研究戦略のもとで、それぞれの分析対象に応じた柔軟な問題意識と新しい視角での共同研究の推進は評価に値しよう。
 その新しい分析視角として空間軸と時間軸の二つを用意している。すなわち前者の空間軸の視角からは、「近世の諸地域において、公文書システムが成立・発展することにより、国家権力と地域社会の関係が、行政的・契約的性格を強めるとともに、列島規模で国家・社会を集中・統合する実態を明らかにする」というものである(「まえがき」)。後者の時間軸の視角からは、「近世全時期を通じて成立・発展する公文書システムが、行政や組織運営を合理化・客観化させる過程に迫る。この過程は、官僚制や法制の整備過程と軌を一にするものであり、日本型近代化の一側面を示すもの」と位置づけている(「まえがき」)。
 このような二つの分析視角から「近世の公文書システムが、国家・社会を列島規模で集中・統合し、社会の均質化・同質化を進める過程を明らかにすることを目指して」おり、さらにかかる研究を進めることによって「日本近世を国民国家形成過程として捉える視角・方法を提示するとともに、これら公文書システムを支える近世の公共性や、公共圏の成立・発展の実態に迫る視角・方法も提示すること」を目指したものである。かくして「各論文が、日本近世史の関係分野の研究の進化に寄与するとともに、本書全体の視角・方法が近世国家・社会の研究の進展に資する」ことを目的としたものである(「まえがき」)。
 このような認識には、評者として同感するところと必ずしも同感できないところがある。公文書システムは古代律令国家以来あり、問題はそのシステムのもっている歴史的位置、意味、役割である。また、公文書システムが新しい動向を一方的に生み出したというより、社会経済の新しい動向が、新しい統治システムを必要とし、その統治システムを支える基盤としての公文書管理法の構築が必要だったのであり、その相互作用・連関の循環構造に注目しなければならないであろう。

3.本書の構成(目次)

 ついで本書の章別構成・執筆者を示しておきたい。

まえがき  大石  学
第1章 幕府代官所における公文書行政の成立とその継続的運営 三野 行徳
第2章 江戸廻り地域の成立と公文書行政―屋敷改の成立と作成帳面― 山端  穂
第3章 大名改易における藩領処置―城引き渡しの文書作成―     佐藤 宏之
第4章 近世百姓印と村の公文書                  千葉真由美
第5章 大岡忠相とアーカイブズ政策                大石  学
第6章 加賀藩の朝鮮人御用にみる公文書 横山 恭子
     ―越中国砺波郡十村家川合文書「朝鮮人御用馬留帳」の分析から―
第7章 用水組合運営と公文書 山口真実子
     ―吉野川第拾関分水の用水組合「井組」を事例に―
第8章 甲府町年寄の由緒と将軍年始参上              望月 良親
第9章 御三卿一橋徳川家関東領知役所における「伺書」 竹村  誠
     ―現用文書と非現用文書―
第10章 武州一宮氷川神社の代替御礼例書に関する一考察       古谷 香絵
第11章 近世における太政官印再興の歴史的意義           野村  玄
第12章 茶壺道中と数寄屋坊主―「菟道青表紙図彙」の作成を事例に― 大嶋 陽一
第13章 旗本家の知行所支配行政の実現と「在役」 野本 禎司
     ―1500石牧野家を事例に―
第14章 村落・地域社会の知的力量と「村の編纂物」 工藤 航平
     ―村役人層の資質形成と村方文書共有ネットワーク―
終 章 方法としての近世公文書論 三野 行徳ほか4名
あとがき                         三野行徳・工藤航平

4.各章の概要とコメント

 収録論文について編者大石学氏による概要紹介があるので、本書評ではできるだけ概要紹介は省略することとし、ここでは主として公文書論に関係する点について概要を述べ、コメントしておきたい。

 第1章は、幕府勘定奉行所を中心とした公文書行政の展開、勘定所―代官所―村方における公文書の特徴とその取り扱いの実態、および代官所での公文書引き継ぎの様相を検討することによって、代官所運営における公文書の役割を明らかにしようとしたものである。史料を博捜し、綿密な分析を加えた幅広く重厚な論文であり、幕府勘定所の文書作成管理政策や態勢に新たな知見を加えた論考である。幕府組織の中でもっとも分課分掌が進んだ勘定所における文書作成・管理及び文書管理専門部署の実態を体系的通時的にとらえたものと評価できる。しかし、行政文書主義にもとづいて統治に必要な文書記録を作成させることと、継続的統治や効率的事務遂行のために文書を長期に管理保存することは分けて考えるべきではなかろうか。

 第2章は、幕府の屋敷改の役職形成とその後の展開を検討しつつ、役職遂行の過程で作成される諸帳面の管理・運用の実態を追究したものである。関係史料を博捜し幅広く分析を加えたものである。とくに第四節「屋敷改帳の管理と運営」の綿密な分析は重厚であり、屋敷改施策に関係する作成帳面の管理と運営を「公文書行政」の視点から分析したもので、多くの新たな知見を加えた論考である。「幕府書物方日記」を用いて文書管理保存の問題をはじめて検討したものだけに、もう少しその実態に迫られないかという思いは残った。なお「古帳」が即非現用といえるかどうか。永年保存の現用文書ということもありえよう。

 第3章は、著者の一連の大名改易論研究の一環として、高田藩を具体的素材に大名改易における藩領処理手順及び「家産」取り扱いの実態を城授受過程で作成された公文書にもとづいて検討したものである。城引き渡し時に作成された文書記録についてその実態を明らかにしたことは大きな成果である。ただし、城付米・城付武具に関する研究の達成を踏まえて仮説として出されている「城付文書」論などについても言及してもらいたいと思った。授受の対象となる城及び城付き物品を、一定の領域・領民の統治を実現するため「公用の施設・物品」と位置づければ、もう少しわかりやすい議論になったのではなかろうか。また、記録化することによって「公的側面」「公的移動」になるとか「公的所有物」「公的世界」などという表現は評者にはなじみにくいものであった。

 第4章は、著者の一連の幅広い百姓印研究の一環として、近世中期以降の村の公文書に捺印されている百姓印の位置づけと機能について具体的に論究したものである。具体的には、村方で作成される公的文書に捺印する百姓の意識を追究し、さらに捺印基準などについて言及したもので、新しい知見を与えてくれるものである。村方文書を見ていて通常は見逃すような当たり前の事実を、体系的視点から位置づけた成果は小さくない。ただし、これまでの百姓印研究の達成や著者の実証を踏まえて、「公文書論」の視点からはどのような新たな問題が示されたかは必ずしも明確にとらえることができなかった。

 第5章は、大石氏のこれまでの膨大な享保改革研究の成果を踏まえて、町奉行・寺社奉行時代の大岡忠相がかかわったアーカイブズ政策の実態を明らかにしたものである。これまでの文書管理改革研究成果のまとめといってよいであろう。その研究成果は大きいが、氏のいう「公文書の利用と保存に関するアーカイブズ政策」とは、どういう意味で用いているのであろうか。司法や行政の基準となる法令の編纂や検索手段の作成は、いわゆる「記録仕法」の改善・改革であって、レコード・マネージメント政策レベルの問題ではなかろうか。たしかに前近代のアーカイブズの仕組みは近現代のアーカイブズ(文書館、記録史料)システムとは異なり、同一に論じられないが、しかし何の言及もなしに「アーカイブズ政策」という表現にはとまどいを感じた。

 第6章は、加賀藩領村の朝鮮人御用負担業務を円滑に遂行するために関係書類を収集し、作成された「朝鮮人御用馬留帳」を分析し、その性格を検討し、留帳のもつ位置や意味について論じたものである。幕府と加賀藩間文書などかなりハイレベルのものを含む文書・書状類などをどこからどのようにして収集したか必ずしも明確でないが、「朝鮮人御用馬留帳」の作成にいたる過程は明確であり、十村川合が役務を円滑に遂行するのに必要な情報収集であったという指摘は理解できよう。問題は、なぜこれを留帳化し後に残そうとしたのかという意図であり、その歴史的意味、役割ではなかろうか。

 第7章は、井組に関係する諸記録が、「井組」の管理・運営など「井組」の諸活動を支えていたことを明らかにしたもので、興味深い内容である。水の問題をめぐり地域は、対立と連合を繰り返しつつ、新たな地域秩序を形成してきたことは周知のことである。それゆえに用水組合などでは文書記録を大切に管理保存してきたし、また必要に応じて関係文書記録を収集し蓄積してきた。地域内外との交渉や訴訟などの問題解決に備えてである。また複数の村むらで構成されている組合の管理運営のためにも過去の文書記録は必須であったからである。近世は、一面で「組合の時代」といわれるほど各種組合は近世社会を構成する重要な要素であり、その組合活動をささえる基盤としての文書管理は重要な問題であるだけに、立体性にやや欠けた論述になっているのは残念である。第6章もそうであるが、論文名に「…と公文書」とするより他の表現の方がわかりやすいのではなかろうか。

 第8章は、甲府町年寄の年始御礼江戸参上の由緒と甲府町年寄坂田家の由緒形成過程の実態を解明し、その特徴を明らかにしたものであり、さらに二つの由緒を比較検討したもので、由緒論としてはたいへん興味深いものである。しかし、本書全体の共通テーマである「近世公文書論」とどのように関係するのであろうか。なお、「まえがき」で「真偽を超えて地域の利害を代表する公文書として機能する実態を明らかにする」と位置づけているが、評者は本論文でその点を読み取ることは難しかった。

 第9章は、一橋領の領知役所において代官が作成し管理保存してきた「伺書」の分析や代官交代に際して「引き継がれる文書」(現用文書)と「引き継がれない文書」(非現用文書)について検討したものである。文書管理という面でたいへん興味深い内容の論考で、「伺書」と「継添伺書」の綴り方の違いに関する鋭い認識や復元の努力は評価されるべきである。ただ、論理構成に立体性に欠ける面がみられ残念である。また、論全体として文書の現用・半現用・非現用の理解の仕方に違和感を覚えた。評者の現用・非現用理解について渡辺浩一氏らの批判があり、それらを踏まえた論究が必要だったのではなかろうか。

 第10章は、新将軍に挨拶する代替御礼儀式のとき、武州一宮氷川神社の「代替御礼例書」が果たした役割について論じたものであり、由緒論との関係では新しい知見が示されるなど興味深い分析である。たしかに例書が、儀礼参加を確認するもの、由緒・格式を象徴するもの、そして知識を伝達するもの、という三つの意味をもっていることは理解できるが、それらが本書全体のテーマである「近世公文書論」とどのように関係しているのであろうか。

 第11章は、太政官印が文化4年に再興されたことの歴史的意義を考察したものである。再興経緯を確定し、再興目的を確認した上で、朝廷の「公文書」作成に与えた影響やいかなる意識変化を生み出したかを論述したもので、その論述に興味深いものがある。しかし、「まえがき」で編者は本論文を「印の再興を、公文書を作成する天皇・朝廷の主体性の強化として位置づける論考である」というが、評者には公文書論との関係をあまり認めることができなかった。なお第4章などでもそうであるが、この章でも「公文書」と括弧付きで用いられているが、それはどういう意味であろうか。

 第12章は、茶壺道中の実態を丹念に検討し、茶壺道中マニュアルを用いて随行した数寄屋坊主集団の実態と意識を分析したたいへん興味深い論考で、これまでの通説的認識を改めさせる研究成果と評価されよう。しかし、論述の中でマニュアルは集団共有の公文書的性格を有するものと位置づけている点について評者はすぐには納得できなかった。公的仕事に用いたものだから、すべて公的職務として作成され組織的に管理保存されていた公文書であるといえないのではあるまいか。論述の範囲では公文書論と関係しているとは認識しにくいものであった。

 第13章は、1500石旗本牧野氏を検討対象にして、幕末維新期の旗本知行所支配の実態を明らかにしようとしたもので、新たな知見を与えてくれるものである。とくに江戸役所―地方役所(在役)―知行村との間で授受される文書を通じて、かつ文書行政の展開との絡みで「在役」の実態を明らかにした労作で、多くの興味深い指摘がある。ただ、支配行政とは何かという点で必ずしも納得がいかないところがあった。また本書の統一テーマである「近世公文書論」に結びつけようとするあまり、たとえば文書行政能力と知行所・地頭所間調整とを結びつけて論述しているのはいかがなものであろうか。

 第14章は、村役人が編纂した旧記を分析して、これら旧記は訴願のためのマニュアルとして作成されたもので、支配のための文書が次に地域の利益を守り保証する記録として二次利用されることを明らかにした大部な労作である。問題意識は明確で研究史の把握は的確に行われており、分析・叙述ともに興味深いものが多く、論理的構成も着実である。文書記録は階級性を持つとともに階級性を超えるものであり、「村々の編纂物」のもつ意味、役割についての論旨は明確で、「村の編纂物」が私・家のものから地域の共有物となり、「公共的活動」に資するものになるという主張は説得性をもっているといえよう。

 終章は、「方法としての近世公文書論」について、「江戸時代と公文書」共同研究会の中心的メンバー5名による共同執筆である。本章を大きく、一近世史料研究の概観と二近世史料論の新展開、とに分けて論述をまとめている。いずれも幅広い視野から研究史を整理し、意欲的な議論を展開しているが、一の研究史の把握と論述には少し違和感を覚えた。さらに一、二ともに史料論を展開しているが、近世公文書論を展開しているとはいいがたいのではなかろうか。「近世公文書論」とはなにか。そのことについては、「近世社会特有の社会的公共性の必要から要請される<公文書>を広義の公文書ととらえることで、近世的公文書のありようを考えようとする『近世公文書論』という方法論を用いた」と言及しているが、これは説得性をもつものであろうか。さらに、「本書のねらいは、近世における公文書概念の規定でも、個別史料の史料学的分析でもない。各論考が分析対象とする史料を“公文書”と位置づけ、そのフィルターを通すことで、公文書システムの形成と発展という視角・方法を用いることにより、新たな近世国家・社会像の提示を目指すものである」というが、それは成功しているといえるだろうか。それは各論考の分析に起因するものでなく、公文書という位置づけ方や公文書システムという分析視角に起因しているのではなかろうか。この点については再論する。

 「あとがき」には、「的確なアドバイスと叱責で」研究会を主導した教員と若き研究者たちが、さまざまな試行錯誤をともないながらも研究に対する真摯な態度と熱意をもって研究会を続け、そして本書の刊行いたった過程が浮き彫りにされている。
 
5.本書の達成と課題

 本書は、近世公文書論として日本近世における公文書システムの形成と発展について論じたはじめての研究成果であり、注目に値するものである。本書は、一読すれば容易にわかるように、今後深まるであろうさまざまな論点を内包するものであると評価することができよう。また、近世における文書の作成、管理・保存、参照、編纂などの点について大きな視点から捉えようとしたもので、今後のさらなる発展が見込まれる研究成果である。それだけに、また課題を今後に残したことも否定できない。

 本書は、実に大部な論文集である。全体はもちろん、個々の論文の多くは大部な論考である。前書き8頁、終章19頁を除いて各論文平均55頁をこえたもので、その全ての論文から執筆者の熱意と努力をひしひしと感じることができた。また、それぞれの論文は、当該テーマに関しては実証・分析ともに優れたものと評価されるに違いない。各論文が、「日本近世史の関係分野の研究の進化に寄与する」(「まえがき」)という本書の意図は十分に達成されたと思う。

 本書の成果、意義は大きいことは確かであり、おそらく多くの方が高い評価を与えることであろう。評者はそれを十分踏まえた上で、以下いくつか率直な指摘をしておきたい。
 まず、「本書全体の視角・方法が近世国家・社会の研究の進展に資する」(「まえがき」)という目的が十分に達成されたとは必ずしもいえないのではなかろうか。その理由の一つに、研究史の整理が十分でなく、分析視角である方法としての「近世公文書論」のもつ位置、意味が分かりにくいということにあったのではなかろうか。

 前著『近世国家の権力構造―政治・支配・行政―』に対して深谷克己氏が指摘していたように(前掲、『地方史研究』所載の新刊紹介)、評者も藩は「地方自治体」であるかのような近世史像は受け入れにくく、本書全体に貫いている大石学氏らの近世国家論・社会論には必ずしも賛成しがたいものがある。戦後歴史学に対する反動のような手放しの近代化論、前提なしの明るい近世史像は着実な近世史研究に結びつきにくいのではなかろうか。本書は大石氏の近世=「初期近代論」を前提にしており、それぞれの個別分析の上に、「公文書」ないし「公文書」的なものの作成・編成、参照、管理・保存などを結びつけていることが全体としての理解を難しくさせている原因ではないだろうか。

 各論考の叙述の多くは個別テーマに関するもので、それに関連して派生的に文書論的論述が行われているというのが実情ではなかろうか。そういうことで、本書全体がやや焦点を絞りきれないものになったのではあるまいか。またおなじことであるが、全体として「公文書論」「公文書行政」「公性」「公共性」「公的機関」に無理に結びつけようとしたことが、結果として全体のシャープさに欠ける結果を生み出したのではなかろうか。

 第1章をはじめ、いくつかの論考に「公性」という用語が出てくる。役所運営に「公性」を持たせるのが文書であるということはどういう意味であろうか。文書が「公性」を獲得し、行政が「公化」していく近世社会を映し出すものなどという叙述に「公性」、「公化」の言葉が出てくるが、それはなかなか理解に苦しむ用語法である。同じく、大石氏の「行政が公共化する過程」という場合の意味もわかりにくい。全体として、「公」にかかわる用語の定義が必要不可欠である。そもそも「公文書システム」論とはどのようなものであろうか。終章では、「公文書システムの形成・発展をより具体的に描く」といいながら、第一節、第二節とも、近世史料研究、近世史料論であって、公文書論、公文書システム論究を掲げながらも「史料研究」「史料論」にとどまっているのは残念である。

 また同じく終章で、本書は「近代的な概念にもとづく『公文書』を狭義の公文書と位置づけ、近世社会特有の社会的公共性の必要から要請される<公文書>を広義の公文書ととらえることで、近世的公文書のありようを考えようとする『近世公文書論』という方法論を用いた」ものであるというが、それぞれの時代の社会に「公共性」は存在するわけであるから、「近世社会特有の社会的公共性」は説明しているようで何を具体的に説明しているかが明確でないし、必ずしも共有される考えでもないであろう。

 本書と密接な関係にある文書管理史についての先行研究、基本的研究についての言及が少なく、的確な研究史把握に至っていないのはどういうわけであろうか。「方法としての近世公文書論」としながらも、その具体像が結びにくいのは、研究史の位置づけや、公文書論や公文書システム論についての説明が不足しているからではなかろうか。いずれにしても、「公文書」と何か、方法としての「公文書」論とは何かについてもう少し明確な定義と説明が必要であろう。

 評者は近世の政治・社会と文書の作成・管理の関係を次のように考えている。中世から近世への移行の過程で構築された幕藩制国家は、戦国期に成立する自律的・自立的な社会集団である村や町を基礎とした国家体制であり(勝俣鎮夫『戦国法成立史論』、東京大学出版会、1979年)、制約された条件の下であったが「公共性」「公平性」を基調とする支配を展開する国家であった。また、2世紀半あまり続いた幕藩制国家の支配の強さは、訴訟を厳禁し、百姓を力で圧倒したところにあったのではない。訴願を受け入れ、献策に対応する「柔軟性のある支配」に持続の秘密があった。これまで、村が百姓の共同体として自立的要素の色濃い独自の運営方式をもっており(水本邦彦『近世の村社会と国家』、東京大学出版会、1987年)、村や村をこえた地域社会の共同管理の実際、組合村など村連合の役割、あるいは重層的かつ広域的結合の機能などが明らかにされている(藪田貫『国訴と百姓一揆研究』、校倉書房、1992年、谷山正道『近世民衆運動の展開』、高科書店、1994年など)。さらに近年では、近世民衆の積極的政治参加が明らかにされている(水本邦彦『近世郷村自治と行政』、東京大学出版会、1993年)。それによって18世紀以降、輿論が幕藩領主を拘束し、幕藩領主もまた輿論を抜きにして政治を行うことが難しくなったことが明らかにされている(平川新『紛争と世論―近世民衆の政治参加―』、東京大学出版会、1996年。)。実際、輿論の動向が一定程度施策に反映し、百姓が献策などを行って政策決定に参画することも少なくなかった。このような民間社会の厚みが、幕藩支配システムの水準や支配姿勢に影響を与え、かつ民間社会もその反作用を受けるという相互連関によって近世社会が推移してきている(深谷克己『江戸時代』、岩波書店、2000年)。ところで重層的に存在し機能する自律団体による地域管理体制の発展は、日本近世社会の特徴であると指摘されているが、そうであれば当然、その地域管理体制の発展は文書の作成・移動・管理などのあり方に大きな影響を与えずにおかない(久留島浩「百姓と村の変質」『岩波講座日本通史 近世5』第15巻、岩波書店、1995年)。一般的にみても社会経済の拡大は、大きな幕藩政を生み出す。幕藩が「調停者」としてさまざまな社会問題に関与することが増大してきたからである。それは幕藩庁内で作成し授受する文書記録量を増加させるものであった(大藤修「近世の社会・組織体と記録――近世文書の特質とその歴史的背景」、国文学研究資料館史料館編『アーカイブズの科学』上、柏書房、2003年)。このような変化は、とうぜん諸藩の支配のあり方を変化させることとなった。それは、重臣による行政請負から組織による官僚担当制へ、支配の継続性・公平性を保証する運営態勢への変化であった。このような新しい支配システムと支配基調は、文書管理方法の転換を必要不可欠とした。徳川幕府も諸藩も、社会的変容、つまり民間社会の厚みが増してきたことに対応して法と官僚機構を整備し、これを基礎づける公文書作成・管理システムを整えることを重要な政治課題としたのである。このような民間社会の変容と支配姿勢の転換の相互進展は、支配の「恣意性」「個別性」を排除し、支配の「公平性」、「安定性」、「継続性」を要請するようになる。ここにも支配の質を担保するために文書の管理・保存と参照態勢を整える必要が拡大し、文書記録の管理・保存および利用は社会共通の課題となっていったのである。

 評者は、このような近世社会構造との厳しい相互関係のもとに幕藩領主の統治システムが構築されているのであり、その一環に統治文書の作成、管理・保存システムが整備されているのだと考えている。幕藩領主は「決して、民衆の要望や要求に沿った政策を実施する『慈悲深い』存在ではな」いのである(藤田覚「書評・坂本忠久『近世都市社会の「訴訟」と「行政」』」、『史学雑誌』第188編第2号、2009年)。時代、世代による近世史認識に違いがあることは分かるが、しかし近世は、「厳しい身分制」を基礎とした社会であり、少なくない人びとが生存し生活することが必ずしも容易な社会でなかったことを忘れてはならないであろう。

 前にも述べたが、共同研究のメリットとデメリットを自覚しつつ、メリットを十分に発揮しようという強い姿勢が共有されていることは評価されるべきである。そのことを前提に本書評では率直な感想を述べさせてもらった。それだけ本書執筆者に今後の発展の可能性が高いという評者の認識があるからである。また、研究の厚みに欠ける当該分野にあえて挑戦したその勇気と姿勢を高く評価しているからである。
 周知のように、我が国におけるアーカイブズ学は、歴史の浅い分野である。今後とも間口の幅を広げ、奥行きを深めていかなくてはならない。実証のレベルも高めて行かなくてはならない。何よりもアーカイブズ学研究者を増やして行かなくてはならないのである。
 本書を執筆したいずれの方も今後の成長、発展の可能性を多く持っている方ばかりである。さらに新鮮な視点から議論を深め、大胆に論点を広げていってもらいたい。本書の踏切板としてそれぞれの専門分野において研究をさらに深め、研究者としてのますますの発展を祈念したい。
 また、本書の視角・方法を深化させるべく、続編として二つの論文集を計画されているとのことである。充実した研究成果となることを期待したい。


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