竹谷靭負著『富士塚考』

評者:中嶋信彰
「富士山文化研究会会報」28(2009.11)

 富士山に関する研究は、もともとが在野主導で行われてきたこともあって、大学等の研究機関による権威付けや論功行賞不十分のように思われる。仮に「富士山学」というような学問があるならば、故岩科小一郎氏や岡田博氏などは、優に博士号を授与されていたことだろうが・・・。最高権威たる方々が無冠なのだから、どういう「研究者」が「専門家」なのかは判断がつきがたい。既存の研究に対する知識が無くても、「富士山の専門家」と言ってしまえば、(新参者が)第一人者になれてしまうのが、この世界の恐ろしいところである。
 筆者の竹谷靭負氏は、先ほど拓殖大学を退官された。マンネリで恐縮だが、氏は教育工学を担当された、れっきとした理系の先生である。その氏が『富士山の精神史』で富士山研究の世界に鮮烈なデビューをされたのは、意外に最近のことである。この著作はいわば門外漢の方が書かれた論考であったし、多分に概念的な内容であったので、(多分に「信仰」は概念的だが‥。)古株の「研究者」たちは、対岸の火事のような感覚で余裕を感じていた。続いて『富士山の祭神論』を上梓されたときには、作中の理系特有の論理の集中攻撃に、自称「富士講研究者」は、その牙城を崩されるような不安を感じ始めたことだろう。気がつけば氏は「富士山研究」にとって欠くことのできない存在となってしまった。
 そこに今回の著作である。「富士塚」といえば、私が最初に富士講とかかわる切っ掛けとなった事象であるから、そうそう縄張り荒らしを見逃すことはできない。冒頭に挙げた「研究者」が繰り出すような、先学の調査実績をまとめただけの「夏休みの宿題」であっ
たら只ではおかないぞ、と思っていたら、只ものではなかった。

第一章・富士塚前史−富士浅間勧請
第二章・富士塚の起原と系譜
第三章・村山修験の江戸の武家檀所と富士塚
第四章・江戸大名屋敷と富士塚(1)加賀藩前田家江戸屋敷と本郷富士
第五章・江戸大名屋敷と富士塚(2)紀州藩徳川家江戸屋敷と千駄ヶ谷富士
第六章・江戸大名屋敷と富士塚(3)本荘藩六郷家江戸屋敷と浅草富士
第七章・富士塚前史を飾る代表的な現存富士塚
第八章・吉田御師と散田富士のけ築造伝承
第九章・富士講大先達藤四郎と高田富士
第十章・藤四郎と高田富士築造の心願−東身禄山

 右に記したのが、本書の主要目次だが、本書を読む際に、私は、「自称富士塚研究者」の著作を見るような気安さを感じることができない。
 巷では富士塚が「富士山の写し」だから、他書からの写しが横行するのか、富士塚に関する論考は孫引き・曾孫引きの嵐である。だから、古株の私は記載された資料は、ほぼ出典を言い当てることができる。しかし、氏の今回の論考は未見の資料の森であって、富士講文献の情報通を気取る私が、その森で彷徨っている。特に第四章から第六章にかけての大名家と「富士」の関係。第八章の旧吉田御師の手になる塚の建造についての報告などは将に初出であって、久々に新しい情報に触れる喜びを感じた。他の章でも前作同様、豊富な資料が収集・駆使されている。
 新たな塚の発見・検証という意味の「富士塚」の報告書とは異なるため、まだ一安心だが、既存の富士塚研究家にとっては、精力的な氏の活動に恐怖を感じざるを得ない。


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