長曽我部光義・押川周弘共著
『六十六部廻国供養塔−「石に聴く」宮崎県の石塔探訪記−』

評者:小嶋博巳
「みやざき民俗」61(2009.2)

 六十六部は、ある時期まで民俗社会における異人・来訪者の代名詞であった。実際にも、とくに江戸時代の中後期には、わたしたちが想像していたよりもはるかに多くの人びとが、六十六部となって諸国を旅していたと考えなければならない。しかしそれにもかかわらず、六十六部廻国は謎の多い巡礼である。この巡礼者たちは、たとえば経典を収めた銅製経筒を埋納して経塚を築く納経聖であったり、諸国の一宮・国分寺はじめ数多の寺社を巡拝して何冊にもわたる納経帳を遺す廻国行者であったり、また鉦を叩いて念仏をあげ、笈仏を拝ませて布施を乞う、そしてときに所持する金子ゆえに殺される六部であったりと、さまざまな姿でわたしたちの前に現れる。わたしたちは、西国巡礼や四国遍路のようには、六十六部の姿を明瞭に思い描くことができない。いや、そもそも六十六部を巡礼と呼ぶのが本当に正しいのかどうかも、いまだきちんと議論されてはいないと言うべきかもしれない。彼らの納経地は三十三カ所や八十八カ所のようには固定していなかったし、巡礼路と言えるような特定のルートがあったわけでもない。そして、数年以上の歳月を掛けて日本全土を巡り歩き、諸国のさまぎまな神仏を拝するという行為がいったいどのような理念によって意味づけられ統合されていたのか、その根幹のところが十分に解明されてはいないのである。

 六十六部の理解がかくも困難なのは、特定の寺社と結びつかないその構造がまとまった史料を遺りにくくしたことにも一因があろう。ただ、ただちに六十六部の全貌を解き明かしてくれるような史料群はいまだ発見されていないとしても、目を凝らせば、一つ一つは断片的でありながら、集積されればまちがいなく有力な手掛かりとなる史料がないのではない。たとえばそれは地方文書における六十六部への言及であり、彼らの遺した納経帳や札であり、そして全国津々浦々に点在する供養塔である。ことに供養塔(廻国供養塔・廻国塔)は、確実に全国で万を超える数が遺存する最大の史料群である。そのあるものは願主の子孫や地域によっていまも祭祀が続けられ、またあるものは文化財調査の網にすくい上げられて銘文や形態が記録されてはいる。しかし、そうした幸運な一部を除けば、大半は、路傍や堂庵の傍ら、墓地の一角でひたすら黙して風化に耐えている。六十六部という日本で最大の、そして多くの未解明の点を抱えた巡礼を理解するためには、それらを一つ一つ訪ねあて、語らせ、その声を書き留める作業−気の遠くなるような「石に聴く」作業を誰かがしなければならないのである。

 長曽我部光義・押川周弘両氏は、宮崎県下を中心にこうした作業を丹念に続けてこられた。『石に聴く』誌上で報告されてきた調査成果は、両氏の行動力と熱意に裏打ちされた高い信頼度を誇るとともに、伝承や文献史料にも目配りを忘れないもので、かかる問題意識にもとづく調査の一つの範型となるものと言えよう。そして、その結果として明らかになっていった宮崎県内の廻国供養塔をめぐる様相は、注目すべき多くの点−たとえば十六世紀における六基の造立例、たとえば井崎甚吉や寺原仲次郎の事例、あるいは専業の六部集団の活動を示唆する近世末期の供養塔群等々−を含み、おそらく今後の研究がくりかえし参照すべきものになると思われる。

 『石に聴く』の愛読者であり、そこから大きな学恩をいただいた者のひとりとして、本書の刊行を心から喜び、これが六十六部研究をおおきく加速してくれることを期待する。
〔以上同書 序より〕
(ノートルダム清心女子大学教授)


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