井上攻著『近世社会の成熟と宿場世界』

評者:荒木 仁朗
「関東近世史研究」66(2009.7)

 本書は、宿場財政や助郷制を中心に展開してきた宿場研究にあって、都市史・文化史・社会史の視点から神奈川宿を分析し、新たな宿場像を描こうと取り組んできた井上攻氏が、その研究成果をまとめたものである。本書の構成を示すと以下の通りである。

 序 章 問題関心と分析素材 神奈川宿の概要
 第一編 宿場の災害と宿民
  第一章 天保飢饉時の神奈川宿
  第二章 除災祈願と地域社会−雨乞儀礼を中心に−
  第三章 宿場と火災−天保二年神奈川宿の大火を事例として−
  第四章 宿場の火災と火元入寺−神奈川宿を事例に−
 第二編 宿場の文化と歳事
  第五章 神奈川宿本陣日記に見る文化交流−外出と来訪をめぐって−
  第六章 宿場の歳時記−神奈川宿本陣日記の記述から−
  第七章 神奈川宿の開帳と相撲興行
  第八章 川崎山王社の秋の祭礼
       −文政十三年「山王社御祭相撲諸入用覚之帖」の分析を中心に−
 付 論 神奈川御殿について
 終 章

 序章では、本書の問題関心と分析素材について提示する。従来の宿場の研究は、制度的研究か宿場財政の研究に終始しているという芳賀登氏を中心的に取り上げて、制度史の枠にとらわれない多様なアプローチが求められているとする。著者はとくに生活の場としての宿場の諸システムや日常生活の具体像を分析する必要性を唱える。言い換えるならば宿場内の様々な諸結合や外部との関係構造(外部世界との交流、領主との関係)、さらにこれらの諸関係から導き出せる宿場の自己認識などを通じて宿場を捉えようとしたものである。分析素材として神奈川宿本陣石井家文書に残されている文化期から天保前期の日記史料を用いて、宿場研究の新たな地平を切り開こうとしている。

 第一編は、天保期に発生した飢饉と大火を素材にして宿場内の様々な諸結合や外部との関係構造を解明し、またそれに付随する除災祈願や入寺慣行といった習俗的な部分について分析している。

 第一章は、天保飢饉時の神奈川宿の様相を分析する。まず飢饉時の宿場状況と宿役人の対応を明らかにする。そして飢饉時の米出入りに伴う幕府と神奈川宿(組合村・当地管轄の関東取締出役を含め)の対立構造が全国の飢健構造の一環として反映しているとする。次に米価高騰による窮民の騒動の検討から、騒動を止めさせようとする宿役人の動きや富裕層の合力などを解明し、特に舂米屋による窮民対策から彼らの社会的な責務を果たそうとしたことを指摘する。

 第二章は、除災祈願を村社会・地域社会の構造や集合心性の問題や領主と民衆の儀礼的な関係構造として分析する。虫送りの実施に際しては、宿役人の許可が必要であり、また当日は必ず立会っており、宿役人の果たす役割の重要性を指摘する。そして橘樹郡梶ヶ谷村周辺の雨乞の実態を明らかにする。その中で、雨乞は村内においては構成員全員の参加が原則であるため、村入用の負担が村共同体の負担で用いられる面割と高割の併用であった。また除災祈願の入用帳が相模・武蔵では文化期以降に成立することが確認でき、遊び日の増加と除災祈願が連動しているのではないかとする。

 第三章では、天保二年(一八三一)正月に神奈川宿で発生した大火を事例に、災害に対する危機管理とその対応を分析する。まず、宿場の場合宿役人が中心になり、防火対策をしていたことが判明した。その理由は家々が密集する宿場が大火になると被害が大きくなり、また宿場機能が停滞する可能性が高いことにあるとする。実際に発生した場合は、近隣村の火消しが駆け付けたり、援助物資も届き、地域間の相互援助活動体制が機能していた。そして宿駅機能の低下に伴う臨時対応や宿場の復興に駆り出される職人などの労働力需要についても明らかになった。

 第四章では、近年急速に研究が進みつつある入寺慣行について、神奈川宿における火元入寺の実態を明らかにした。まず、出火届を中心に、出火・入寺関係文書を検討し、書式の定式化が確認された。そして本陣日記から火元入寺の手続きを検討した。特に訴書中の文言には支障がないとするも現実には宿場が大火のため動揺したり、火災を内分に済まそうとしたりする宿役人の動向が存在し、現実的には火元入寺を運用する宿役人の裁量の重要性を指摘する。

 第二編では、神奈川宿を事例にして「近世社会の成熟」の文化的側面を分析する。特に神奈川宿が江戸近郊であることを留意して、江戸との文化面での関係を中心に検討する。

 第五章では、日記より「外出」と「来訪」の記事を拾い出し、データ化することにより、ここから見える神奈川宿像を提示する。まず「外出」については日記の著者石井順孝を中心に江戸出府、近郊・遠方への外出、近親者・宿民の外出に分類して概観する。ここから江戸への神奈川人の出府が神奈川宿の文化を江戸化していったとする。また江戸以外への外出先が江戸近郊地であり、この地域へ旅をすることによって自分自身の住んでいる神奈川を相対化する価値基準の形成にもつながると指摘する。また「来訪」では、宗教者や芸能・文芸人など取り上げて、その多くが江戸から来たものであり、そのものたちが集会や興行をおこなうことを明らかにする。そのため江戸近郊の神奈川は、江戸の芸能・文化の出先となっていき、神奈川自身の文化的力量も次第に高っていくとする。そして「外出」と「来訪」の分析を通じて、神奈川宿の宿泊機能が江戸人の行楽文化に支えられていたと指摘する。

 第六章では、本陣日記から催事関係の記事を分析し、神奈川宿の催事の具体像を抽出する。具体的に「繁栄」をキーワードに三点を指摘する。まず第一点は、祭りや法要など寺社の仏事・神事に対する興味である。その理由は名主としての地域催事管理者の立場と、いつどのような催事が行われていたのかという「遊観」者の立場とのものがあるとする。第二点は、節句や祝儀などで行われる礼のやり取り、贈答・振舞・共同飲食などへの興味である。これらの催事は神奈川宿の社会関係を確認する場であったとする。第三点は、神奈川宿を通行する参詣者への興味である。そして三つの指摘から、日記の歳時記事が神奈川的なものに対する地域認識を如実に示していると指摘する。

 第七章では、文政三年(一八二〇)九月に神奈川宿で実施された浦島観音開帳と能満寺相撲興行を分析し、特に神奈川宿における文化基盤整備を考察する。浦島観音の修復・観福寺で行なった浦島観音入仏開帳は、神奈川宿が観福寺や付随する浦島観音(浦島伝説のシンボル)・浦島伝説(具体的には縁起)を宿場の文化基盤(観光資源=名所資源)として取り込み、時の旅行ブームに乗じて、神奈川宿の名所として創出・整備していったとする。それに対して並行して実施された相撲興行は、飯盛旅籠屋を中心に開催されたものであり、宿場の文化基盤の整備が宿場全体の振興に寄与し、延いては飯盛旅籠屋の利益にもつながったと指摘する。

 第八章では、川崎宿山王社の秋の祭礼について文政一三年「山王社御祭礼相撲諸入用覚之帖」を分析し、その実態と祭りを支える氏子組織の動向を検討した。祭礼の内容は、神楽の奉納であったが、近世のある時期には奉納相撲が行われていて、入用帳には多くの費用が記載されていることが判明した。しかし、相撲興行は飢饉が原因で天保四年から中止となり、のちに復活することはなかった。かわりに神楽興行が実施されるが、その規模は小さく、経費も格段と減少した。また祭礼の費用をみると、その収入は、主に氏子町村の負担金や寄付金であった。そして神楽は山王社の神事としての色彩を強めながらその後も続いていくとする。

 付論では、近世初期に存在した神奈川御殿に関する史料を整理し、御殿の成立時期と廃絶時期、御殿の利用実態、御殿の位置、御殿の規模と構造を考察する。

 終章では、本書のまとめと本書のキーワードである「宿場世界」について論じる。本書の序章で言及した従来「宿駅(交通制度下の町)」として捉える傾向が強かった宿場の実態を、「宿場世界」として相対化したため、拡散された宿場像の提示となったが、現段階では宿場像をさらに拡散させる作業が必要だと述べる。本書で取り上げた神奈川宿の場合は、外部世界との交流関係の展開や宿内外の集団結合の活発化が「宿駅」としての神奈川宿の性格をより相対化させたとする。また一方では外部世界との交流が自己を相対化し、地域を認識する契機ともなり、江戸的なものに対する神奈川宿自身の地域認識やローカルアイデンティティの主張も見えてくるとする。最後に神奈川宿で認識された「宿場世界」の傾向は、この時期の江戸近郊宿場において共通なものであったと指摘する。

 以下では、本書に関するいくつかの疑問や感想を述べてみたい。まず本書の分析視角である「宿場世界」についてである。最初にも述べたが、「宿場世界」とは宿場内の様々な諸結合や外部との関係構造(外部世界との交流、領主との関係)、さらにこれらの諸関係から導き出せる宿場の自己認識などを通じて宿場を捉えようとしたものである。何度も述べることになるが往年の宿財政や助郷といった交通史研究に特化してしまった宿場研究に対して強烈なアンチテーゼと言えるだろう。

 また第一編についてであるが、天保期に発生した飢饉と大火を素材にし、宿役人がどのように宿場ないし村・町において行動していたかがあきらかになり、本書の提示する「宿場世界」とは別に宿役人論(宿役人が宿場ないしは町・村をどのように運営するのかといった意味)としても非常に興味深いと言えるだろう。そして第二編第五章・第六章については本陣日記から抽出した「外出」・「来訪」・「催事」データは、近年研究が飛躍的に展開している参詣旅行史の成果と比較していく中で、読み替えても非常に面白いだろう。

 しかし「宿場世界」という分析視角に立つ時、本書では、第一編では飢饉や大火を素材に非日常な状況から外部世界との交流関係の展開や宿内外の集団結合を解明するだけで良いのであろうか。例えば、一年間を通じて宿役人である石井家は、日常的に宿業務および町運営を行う中で、参勤交代する大名や宿内の居住者などとの関係が必ず発生するはずである。このように日常的な社会関係を分析することで「宿場世界」の全容が見えてくるのではないだろうか。また、本書を通読する中で感じた印象ではあるが、宿場とはそもそも本質的にはどんな性格であろうか。当然神奈川宿は江戸に近いため、都市的な側面がかなり強く描かれている。しかし神奈川宿は、本書でも言及しているように農村的要素と町場的要素、漁村的要素を合わせ持っている。特に、鈴木良明氏が提示した安政六年の神奈川町宗門人別帳のデータによると、石井家と思われる本陣名主の本町源左衛門は九石余りしか所持していないが、荒宿の宗次郎の所持高五九石余り、荒宿の六郎兵衛の所持高三五石余りと多くの土地を集積している(鈴木良明「近世神奈川宿の社寺と宗教環境」〈山本光正編『東海道神奈川宿の都市的展開』文献出版、一九九六年〉)。単純な疑問であるが、この土地には誰が小作に入っていてまた宿場ではどのように農作業を行っていたのだろうか、そしてこの土地に関係する人々も本書で言う宿内外の集団結合と考えることが必要ではないだろうか。当然日記史料を分析素材に据えているため、あまり史料には現れてこないとは考えられるが、村落を研究対象としている評者としてぜひとも知りたいことである。

 以上、本書の概要と評者の私見を述べさせて頂いた。評者の力量不足から認識不足な点や的外れな私見を述べてしまった部分があるかもしれない。何卒ご寛恕願いたい。いずれにせよ本書で提示されたさまざま論点は、宿場研究において重要であることは間違いない。ぜひ多くの読者が手にされることを期待して、擱筆したい。


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