国文学研究資料館 アーカイブズ研究系編『藩政アーカイブズの研究』 |
|||||
評者:大橋 毅顕 | |||||
「関東近世史研究」66(2009.7) |
|||||
本書は、二〇〇六年三月に国文学研究資料館で開催された「地域支配と文書整理」を共通テーマとする共同研究会を契機として生まれたものである。藩政文書については、一九八〇年代には岡山藩、萩藩、福岡藩などで研究が進められ、一九九〇年代以降も、いくつかの藩で文書管理史研究が進められた結果、弘前藩、松代藩、対馬藩、熊本藩、鹿児島藩などで成果が見られるようになった。それらの研究成果を集約するような形で本書が刊行された。はじめに目次をあげて全体の構成を示しておこう。 序章 藩政文書管理史の現状と収録論文の概要 高橋 実 序章と第七章で研究史を扱い、第二章から第六章は松代藩、萩藩、対馬藩、熊本藩、鹿児島藩の文書管理史に関するものである。本書では、藩政文書の管理と保存の在り方について多彩な論点が提示されているので、それぞれの内容を紹介しつつ、コメントを述べていくことにする。 序章では、一九八〇年代半ば以降の藩政文書管理史研究の研究史についてとりあげ、その現状をまとめた上で、収録論文の概要と位置づけをしている。アーカイブズ学の中で、藩政文書の管理史研究は遅れていた分野であったが、個別藩を対象とした研究が進みつつあることを確認している。高橋氏は、諸藩で文書管理システムが、近世中期から後期にかけて導入されるようになった理由として、@社会の発展にともなう藩機構の整備と吏僚化、A大きな藩政化にともなう文書記録の増加、B領民が直接的間接的に政治参加するケースの増大、の三点を指摘している。ここでは、諸藩の文書管理システムが近世前期には全く存在していなかったのかという印象を受けてしまう。近世前期にも諸藩には文書が残されており、管理されていたはずである。近世前期の諸藩の文書管理はどのように行われてきたのか、文書管理システムが導入され始めるまでの時期的変遷をみていく必要があると思われる。今後の検討が求められるのではないだろうか。なお、章末に藩政文書の管理保存史に関する研究文献リストが収録されていることは有意義である。 第一章では、現在国文学研究資料館と真田宝物館に所蔵されている松代藩真田家文書群の伝来経緯について考察したものである。真田家文書は、徴古史料としての「吉文書」と藩庁文書としての文書群(真田家文書)に分けられ、前者の多くが真田宝物館に所蔵され、後者は真田宝物館と国文学研究資料館に分割されて所蔵されている。「吉文書」のような伝来文書は、はじめ藩主の死後に引き継いでいたが、延宝期の段階で整理という手段を経て目録化されるようになり、これに伴って文書の種類や量が増えている。また、藩庁文書には多数の日記類が残されており、松代城内の「日記蔵」に保管されていた。なお、日記操出といわれる日記の記事を検索するための帳簿も作成されていた。真田家は、明治政府からの歴史編纂のための史料提供要請により、日記類を中心とした調査と整理を行った。その後、大正七年(一九一八)から一四年にかけて、真田家別邸に伝えられていた大名道具類や古書・古文書類が全面的に整理された。「吉文書」に関しては「吉光御長持入記」という目録が用いられ、藩庁文書に関しては「旧藩御日記其外書類入記」が新しく作成された。大正期の整理記録には、二番倉に「民政上累年の書留帳簿類」が残されていたこと、また「箪笥の中に所在する多数の書類や伝来の図書」があったことが述べられている。原田氏は、前者が国文学研究資料館に譲渡された藩庁文書で、後者が真田宝物館に伝えられた「吉文書」であると推定している。 第二章では、山崎氏の萩藩の文書管理研究についての一連の成果の中間的総括を行っている。萩藩の藩庁文書である毛利家文庫を対象に、萩藩の国許役所のうち、当職所、郡奉行所、上勘所、目付所、代官所における文書管理や記録作成のあり方を概観している。国許の最高職である当職所の執務場所については、藩主在国中は萩城の下御用所、在府中は当職屋敷であったとする。保存の在り方については、引継状況の分析から当職が日常業務に必要な文書は当職の屋敷に、日常業務では頻繁に利用しない文書は萩城櫓、幕府巡見使の記録をはじめとする藩全体に関する重要文書は萩城本丸御宝歳で保存したとする。当職所の文書は、業務上の必要度、重要度の違いにより分散管理されていた点に特徴があるといえる。明和四年(一七六七)には当職所に記録方という文書管理専門役人が設置された。国許諸役所においても文書の保存・管理システムは整備されていたが、所蔵文書を廃棄・反古化する場合は、当職・当職所へ届け出て、承認を得る必要があった。藩全体でみた場合、一七世紀後期から一八世紀初期は、各役所での文書保存体制の不備が認識され、各役所へ組織的に文書が残されはじめた時期とする。一八世紀中期以降は、保存文書から必要な情報を迅速に検索できるシステムを構築していった時期としている。役人の文書保存意識についても言及している。 第三章では、九州国立博物館所蔵の「対馬宗家文書」を対象に、御内書と老中奉書の文書管理の変遷について、享保期から明治期まで考察している。対馬藩では、御内書と老中奉書は表書札方が長持に入れて管理していた。また、宝暦期までは御内書と老中奉書を選別して成巻していた。享保一二年(一七二七)、宝暦五年(一七五五)の「御内書御奉書員数目録」と現存する老中奉書との比較を行った結果、御内書、朝鮮通信使関係の老中奉書のすべて、それ以外の老中奉書の約三割を選別し成巻していた。選別成巻した老中奉書は、将軍就任、交代をはじめ、幕府、朝廷、対馬藩、朝鮮関係の臨時的な内容であった。なお、未成巻の老中奉書は、将軍への挨拶、祝儀、献上など定例的な内容であった。明和二年に作成された「年寄中預御書物長持入日記」は、追加文書は貼紙などに記載して数十年間にわたって目録が機能した。天明四年(一七八四)には文書破損事件が起き、寛政八年(一七九六)に御内書と老中奉書を全て成巻化するという管理方法に転換した。転換の要因は、文書管理を担当する表書札方の効率化、日朝貿易衰退に伴う対馬藩財政の幕府依存体制への変化と考えられることを明らかにした。文化一〇年(一八一三)には、これまでの目録「古帳」に加えて「新帳」を作成して、藩主別に整理し、「古帳」と「新帳」が明治期まで利用された。 第四章は、熊本藩の藩庁民政・地方行政担当部局=郡方の部局帳簿「覚帳」の系統的分析である。「覚帳」は、藩政初期から明治初年までの長期系統的な記録帳簿類である。熊本藩では、宝暦の藩政改革以降、農村社会からの上申文書を藩庁部局の稟議制の起案書として扱うようになった。寛政期以降は、村の百姓や庄屋が手永の惣庄屋に宛てた願書・伺書の類の上申文書が、惣庄屋を介して郡の郡代に宛てられ、さらに郡代から郡方の部局長、奉行に宛てられて藩政中枢に達している。農村社会からの上申文書を藩庁部局の稟議別の起案書として扱うようになった。寛政期以降は、村の百姓や庄屋が手永の惣庄屋に宛てた願書・伺書の類の上申文書が、惣庄屋を介して郡の郡代に宛てられ、さらに郡代から都万の部局長、奉行に宛てられて藩政中枢に達している。農村社会からの上申文書が藩庁部局で受理されれば、農村社会の様々なレベルで作成される願書・伺書の類の上申文書が、そのままの形で部局稟議の起案書となり、民政・地方行政に関わる主要な政策形成を行うに至っている。このように、農村社会から訴願や提案を受け入れ、実施する藩の政治姿勢が部局への上申文書を急増させることになった。一九世紀には、定型の用紙に書かれた上申文書を部局起案文書に添付し稟議にかけ、決裁されると後の参照に備えてそのまま保存する原文書綴じ込み方式が確立した。 第五章では、近世中後期から幕末期にかけての熊本藩の文書管理の具体相と管理システムの特質について考察したものである。熊本藩の文書管理・保存には、各部局→御蔵→坤櫓という三段階があった。現用・半現用の文書は各部局で管理保管されていた。各部局では、不定期に保管文書を評価・選別し、長期保存を必要とする文書は文書記録専管部局である諸帳方に引き渡した。各部局から引き継いだ諸帳方はそれらの文書記録を整理し、入目録を作成し、御蔵に配架し管理保存していた。御蔵に入った文書の中あるいは藩庁内部局から永年保存文書を坤櫓に移し替えることが行われた。熊本藩では、近世後期から文書記録のライフサイクルという考え方が生まれており、かつまた文書専管部局である諸帳方が設置されており、各部局からの移管システムが存在し、御蔵・坤櫓を収蔵庫とした文書記録の長期・永年保存システムが確立していたことを明らかにした。 第六章は、鹿児島藩島津家における記録所の成立過程とその職務内容について検討したものである。近世前期に置かれていた文書奉行や初期の記録奉行は、島津氏本宗家の相伝文書や系図の収納保管、家譜編纂が重要な任務であったが、島津氏本宗家を頂点とした島津氏支族および藩内諸家の由緒・家筋を調査する藩の公的機関に変化した。一七世紀後半から藩の職制・役格が整備されていき、記録所の体制も制度化されていった。記録所は家譜編纂以外にも、家老座や諸役座の文書を管理保管する機能を果たすようになった。さらに、幕府への調査報告・国絵図、地誌編纂など、藩の政策に対応する様々な調査機能が記録所に求められていた。記録所以外の各役座の文書管理は、近世中後期に文書による行政的手続きが発達したことから、諸報告や願書などの書式の統一化や各役座での文書の作成・提出・保管・整理について簡素化・簡略化が求められたことを明らかにした。 第七章は、日本近世の村方文書管理史の研究史整理である。冨善氏は「アーカイブズ学的文書管理史」と「儀礼・由緒論的文書管理史」の二つの流れに整理している。前者は、文書管理史が日本近世史において独自の研究分野として定立したことを確認し、ピークは一九九七年だと指摘している。後者は、日本近世史研究独自の由緒論・儀礼論という視点から、近世特有の文書認識・価値認識との関連で文書管理を扱う研究動向があることを指摘している。今後の課題として、@近世村方文書の作成過程、A幕藩領主の文書管理と村方文書の保存・管理との連関、B「近世文書社会の質を問う」研究が求められていること、C「発見」型文書管理史研究から地域間での比較による類型化を行う研究方法、の四点を指摘している。藩政文書管理史を扱っている論文ではないが、近世の文書管理史において藩政アーカイブズの研究は有効性を持つものである。 以上、本書の内容を簡単ではあるが紹介してきた。書名にもある「藩政アーカイブズの研究」は、藩政文書記録が検討の対象であること、藩の文書記録の管理、保存、編纂、伝来ということに分析の焦点を当てていること、藩政文書の管理・保存に関しては、文書の管理・保存台帳などに記されている文言、保存されていた場所などの痕跡から文書管理・保存の実態を復元している点が特徴である。 以上、本書の内容について検討をしてきたが、評者の力量不足から各執筆者の意図や本旨から外れた指摘や、本書の持つ研究上の重要性について十分に述べられなかった点が多々あろうかと思われるが、その点はご寛恕して頂きたい。 |
|||||
|