星野紘著『村の伝統芸能が危ない』

評者:菊地和博
「季刊 東北学」20(2009.7)

「村の伝統芸能が危ない」とは、じつにショッキングなタイトルである。ついにこうまで書かれなければならない状況に立ち至ったか、という思いでもある。いったい「村」にある伝統芸能にいま何が起きているのか。
 愛知県北設楽郡(きたしたら)といえば「花祭」が行われることで知られている。昭和五十一年にこの地域の「花祭」が重要無形民俗文化財に指定されたときは十七集落にも及ぶ伝承団体があった。このことから「花祭」は日本の民俗芸能のなかでもとりわけ注目されてきたのである。それが、二〇〇八年になって二つの伝承地が廃絶して現在は十五集落の団体となったという。重要無形民俗文化財がそのような憂き目に遭うとは、つい数年前までは想像できなかったことである。 
 じつは花祭だけが衰退方向にあるのではない。宮崎県椎葉(しいば)地方の二十六か所に伝承され重要無形民俗文化財指定を受けている「椎葉神楽(かぐら)」は、今や四か所で休止を検討中という厳しい現実にさらされている。ほかに重要無形民俗文化財指定の民俗芸能では、花祭と同じ愛知県の「黒沢の田楽(でんがく)」、高知県の「土佐の神楽」などが同じような伝承困難な事態に直面している。

 どうやら日本の民俗芸能の伝承地にはかつてない苦難がもたらされているようだ。こういう時期に本書を上梓した著者は、この地殻変動にも似た状況変化からくる芸能の衰退傾向のさまを危機意識をもってつぶさに実見し、その背景を探りつつ対応策はどうあるべきかを提言しようとしているのである。
 長年にわたり日本の文化財保護行政を担ってきた著者は、二〇〇八年七月に民俗芸能の全国的状況を把握するための一つの方法としてアンケートによる実態調査を進めた。このことを基本にまとめたのが本書であるが、国指定・国選択、県指定などの無形民俗文化財の八十八件の芸能保存団体からアンケート回答を得たものを統計的に処理して詳細に分析を試みている。そこから著者は次のような現状を読みとっている。
 まずもって、集落の伝統芸能は過疎化・少子化・高齢化によって伝承度合いが悪化し、後継者を地域外の人に頼らざるを得ない状況にあることである。特に六十五歳以上の高齢者が集落人口の五〇パーセントを越えたいわゆる「限界集落」が増えつつあり、芸能継承がままならない深刻さを抱え込んでいる。
 さらに、学校の統廃合が進んだことにより登下校の通学時間が長くなり、児童生徒たちが芸能伝承活動に十分な時間を費やすことができなくなったという実態も浮き彫りになる。また、広域市町村合併に伴って助成金の減額やマンパワーの面での行政サービスの低下の問題もおこっている。以上のように、筆者の調査によって継承困難な実態がほぼ全国的にさらけ出されることになった。
 一方、アンケートの回答には現状脱却への取り組みや要望として、「働く場所がないから、定住できない。せめて通勤可能な状態を早く整備されたい」「長期的な展望としては、産業振興によって過疎に歯止めをかけ人口の増加を図る以外にない。即効薬としては村外から希望者を募って参加してもらう」というようなことがあったことにも触れられている。
 以上のアンケート調査の実態を踏まえて、著者は強い危機意識をもって次のようなことを訴えるのである。いま村には「重要無形民俗文化財に指定して後継者の養成を図ったりしての文化財保護行政や、小中学校生などにこれらの普及体得を促す学校教育行政などの従来の対応策だけでは太刀打ちできない状況が起こっているのだ」と。
 その「太刀打ちできない」理由・背景とは何か。すでに本書では「過疎化」「限界集落」「高齢化」「少子化」という語句でその一端が示されている。評者なりにあらためて「村」の厳しい現況の要因をみていくと次のようなものにつきあたる。
 その要因とは、まずなんといっても経済のグローバル化と一九九〇年代から世界的に急速に台頭してきた経済の市場原理主義(市場万能主義)・新自由主義である。日本においては、特に橋本内閣の「行政改革」や小泉内閣の「構造改革」路線を経て、市場原理主義にもとづく規制緩和策や自由化政策が強力に押し進められてきた。そのことによっていわゆる格差が生じ、それが都市と地方との経済格差にあらわれてきた。とりわけ農業を基幹産業としてきた農村部の疲弊が著しい。それと同時に、地域社会、会社、家庭に伝統的にみられた良き共同体(コミュニティー)の喪失も顕著である。伝承文化・伝統芸能は、少なくとも高度経済成長以前はそれらの共同体に依拠する堅固な伝承母体によって支えられてきた。しかし、近年は市町村合併や少子化の波もかぶり、いっそう危うい事態に直面しているのである。

 以上が評者から見た「村の伝続芸能」を衰退へと向かわせる諸々の理由である。さて、ならばその対応策とはいったいどういうものがあるのか。本書では次に示すような問題提起が行われていることは注目される。
 一つは、特に後継者を確保するには集落外の人々の協力を必要とすることもありうるということである。二つは、衰退消滅を目前にした場合などは、復活を期しての記録作成に取り組むことで再興への期待が込められたり、実際中断の止むなきに至っても復活の際の手本とできることである。三つは、山形県真室川(まむろがわ)町に伝承される「修験系神楽」の二つの番楽のように、時期や内容、持ち方など地域のニ−ズにあった公開公演の形式を創設することである。四つは、大企業や公共機関が中心となって、ふるさとの祭りや芸能のために会社員に積極的に休みをとることを勧めるような体制が確立されるべきであり、それには社会的コンセンサスが必要であるということである。特に四つ目の提案などは、国の行政を含めた社会全体が一致して取り組むべき大きな課題といえる。

 他方、このような厳しい状況にもかかわらず、評者の目から見て地域固有の取り組みを行っている事例もみられるので簡潔に紹介する。例えば、熊本県上益城(かみましき)郡清和村(せいわそん)(現山都町(やまとちょう))は人口約三千人の過疎の村である。ここには百六十年前から文楽が伝承されるが、一九九二年に清和文楽館を建設してから公演回数が年間二百回前後に増え、昨年までに修学旅行生や外国人も含め二十四万人が観客として訪れた。そのお陰で村の観光収入も年間二億円を突破したという。
 また、山形県最上郡大蔵村に伝承される「合海(あいかい)田植踊」は、本来の門付(かどづけ)芸能の本質を失っておらず六月の第一日曜日に百四十軒の家々を踊り歩いている。田植踊りを担う若者の定住率も高く、二年前にはすでに死語と化した感のある「青年団」も復活させ、夏祭り素人演芸会を立ち上げて賑わいを創出している。地元の小学生にも伝承活動が活発に行われている。
 同じ山形県米沢市に伝承される「綱木(つなぎ)獅子踊」は、現在七戸・十人だけが住むまさに「限界集落」のかかえる伝統芸能である。獅子踊を支える伝承母体そのものが危機的状況であることは誰の目から見ても明らかである。どうしてそのような過疎集落に芸能継承が可能なのか。それは、すでに集落を離れていった人々が綱木の伝承芸能をこれまで通り継承しようと一念発起して練習を始め、八月十五日公演で集落の人々とともに踊るのである。そうして三年が経過した結果、現在の保存会員数は四十三名にものぼっている。
 以上が元気のある事例紹介であるが、たしかに本書が明らかにしたように、想像以上に村の伝統芸能には厳しい現実にさらされているものが多い。他方、今紹介したようにこれに抗うかのように現実に立ち向かい、地域とともに復活再生の方向にある伝承芸能も散見されるのである。思うに、このような復活再生に奮闘している各地の事例をモデルケースとして本書に少しでも多く盛り込んでもらえたならば、伝承関係者にとってよりいっそう今後の展望も描きやすいものとなったろう。
 ともあれ、本書を読んだ伝承地の人々は危機意識を共有して克服に向けて知恵と勇気を発揮しようとするにちがいない。本書は衰退期のただ中におかれた芸能関係者が危機からどのように脱却を図るのか、その再生の方途をつかむことができる時宜を得た好著なのである。


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