中野高行著『日本古代の外交制度史』

評者:加藤順一
「藝林」57-2(2008.10)

    一、
 市場のグローバル化が進み、海外の経済情勢の変化が日常生活に与える影響を強く実感する時代になった。情報のボーダーレス化によって、国際的イベントはもちろん、他国の地域紛争や大統領選挙さえも身近に感じられるようになったが、近時各地で見られる邦人の遭難事件は、人的交流のボーダーレス化の進展の中に位置づけることができる。このように、経済・情報・人の流れに着目すれば、国境や国家を意識する機会はますます減るかに見える。しかし、一方でわが国が近隣諸国との間に抱える諸問題に鑑みれば、対外関係における国家の存在感を軽視することができないことは勿論である。「交渉による国際関係の処理」(ハロルド・ニコルソン『外交』[斎藤眞・深谷満雄訳]東京大学出版会、一九六八年、七頁)としての「外交」の重要性は決して低いものではなく、外交政策のあり方が歴代内閣の施政を特徴づけていることは、ここ三代の内閣からも容易に理解できよう。
 近時、国際政治学の領域では、現代における「外交」の意味を問う若手研究者による論著が注目を受けた(細谷雄一『外交−多文明時代の対話と交渉』有斐閣、二〇〇七年)。そこでは「外交」の概念と本質がその歴史的原点に遡って考察されているが、同著の対象は古代ギリシャ・ローマ以来の西洋世界において展開された「外交」であり、そこで意識されている日本の「外交」は明治以降に限られている。前近代の日本の「外交」の諸相は、各時代の歴史像の解明を目的とする日本史学の研究の中で扱われてきた。特に日本古代史の領域では、石母田正の「国際的契機」論により古代国家の成立・構造と国際関係との結びつきが強調されたことに触発され、多くの個別研究を生んだ。本書は、そのような研究史の流れを踏まえた上で、外交組織・外交様式の実態究明を通じて「外交制度史」という新しい視座の有効性を示そうとするものである。

    二、
 本書の構成を大別すると、序章「外交制度史という視座」、第一部「新羅使に対する給酒規定と入境儀礼」(全四章)、第二郡「慰労詔書に関する基礎的考察」(全三章)、第三部「外交使節処遇の決定主体と宝亀年間」(全四章および補論)、第四部「小中華意識における『帰化(人)』(全二章)、終章「総括と課題」から成っている。周到な著者は、序章・各章の結論部・終章で本書を構成する諸論考の要旨をその都度整理しており、読者が各論考の意図と成果を把握するのを便ならしめている。以下、著者の整理に従いながら本書の内容を通観する。

 序章「『外交制度史』という視座」は、古代日本の外交史研究を「外交交渉史」と「外交制度史」に大別し、後者のカテゴリーの明確化を図ったものである。「外交交渉史」とは従来の研究に見られる「歴史的国際社会における諸国間の交渉の実態を考察する」視座に基づくもので、外交政策、外交使節の通交事実、文化的・人的交流の経過を扱う。これに対し、「外交制度史」は外交の「ハード」と「ソフト」に着目する視座によるもので、「ハード」とは外交機関と外交官吏、「ソフト」とは執行面−外交儀礼・外交文書・貿易−とイデオロギー面−礼制・世界観−を意味する。ただし、二つのカテゴリーは全く並列的な関係にあるのではなく、外交制度の分析は外交政策の運動過程の考察の一助にもなることを著者は述べている。、

 第一部「新羅使に対する給酒規定と入境儀礼」は、次の四章から成る。
  第一章 延喜玄蕃寮式に見える新羅使への給酒規定
  第二章 相嘗祭の成立と天高市神話
  第三章 難波館における給酒八社
  第四章 新羅使に対する給酒と入境儀礼
 ここでは、『延喜玄蕃寮式』大唐使者迎船条冒頭部分の新羅使に対する給洒規定の検討を通じて、古代日本の通交対象国を意味する「蕃国」の来日外交使節の入国をめぐる外交儀礼および外交機関の運用状況を確認した。また、大化前代の入境儀礼が外交儀礼の中に内包されていることを想定することから、ヤマト王権の世界観も考察している。

 第二部「慰労詔書に関する基礎的研究」は、次の三章から成る。
  第一章 慰労詔書に関する基礎的考察
  第二章 慰労詔書の「結語」の変遷
  第三章 慰労詔書と「対蕃使詔」との関係
 ここでは、外交文書研究の一環として、古代東アジア諸国が用いた国書のうち君主による慰労詔書を取り上げ、これに口頭によって天皇の意思を伝達する「対蕃使詔」を併せた古文書学的分析を行っている。蕃国の使節に発給する宣命体の対蕃使詔が大化前代から用いられて来たのに対し、蕃国の王に直接宛てる中国的な慰労詔書が八世紀後半に成立し、九世紀には外交意思伝達方法が慰労詔書に一本化したことが明らかにされた。

 第三部「外交使節処遇の決定主体と宝亀年間」は、次の四章と補論から成る。
  第一章 八・九世紀における大学明経科教官の特質
  第二章 八・九世紀における外記の特質−『外記補任』掲載人名の分析
  第三章 八・九世紀における内記の特質
  第四章 日本古代における外国使節処遇の決定主体
  補 論 天平宝字八年七月甲寅条について−石井正敏氏のご指摘への回答
 ここでは、来日する蕃国使節の迎接の冒頭に位置づけられる、使節の資格検査−外交儀礼の対象となる「賓客」と認めるべきか否か−を担当した官僚群(大学直講・外記・内記)を検討することにより、外交機関・外交官吏の特性を考察している。外交に関係の深い各官職就任者群の分析結果と太政官の蕃使検査への関わり方を総合すると、政治的判断が優先する太政官主導の蕃使検査が、八世紀末を境に中国礼制に精通する「文化的テクノラート」の手に委ねられていく変化が明らかとなる。

 第四部「小中華意識における『帰化(人)』」は、次の二章から成る。
  第一章 「帰化人」という用語の妥当性
  第二章 「帰化(人)」の成立過程と論理構造
 ここでは、一九八〇年代に盛んに唱えられた「帰化人という用語は適切ではない」とする主張を科学的根拠に欠けたものと批判し、律令制国家の世界観と帰化人概念の関係を考察している。「帰化人」の語は律令国家の支配イデオロギーの解明に不可欠な用語であることを強調し、「帰化」概念の先行学説を踏まえて、それが「小中華意識」と結びつく「律令制国家における外国人の内国民化の装置」の性格を有することを述べている。

 終章「総括と課題」では、まず各部ごとの結論と課題を整理し、全体を通した結論をまとめた後、東アジア世界の「構造」に関してK.E.ボールディングの「脅迫システム」を援用した展望を述べる。著者の挙げる「課題」とは第三部で扱った蕃国使節の迎接に関するもので、@延喜式などに規定された迎接官の考察、A「日本の外交儀礼の変遷」と「中国の賓礼との関係」に関する考察の深化、B蕃国使節がもたらす国書の開封を上陸地の国司等に許す際に与えられたとされる「国書開封権」概念(石井正敏)の慎重な史料批判、である。
 全体的な総括では、外交様式の「中国化」と、「中国化」の中に大化前代以来の固有の外交方式も残存していたことを指摘する。前者については、「古代日本の外交に関与した〈外交機関〉〈外交官吏〉は、ヤマト王権と関係の深い氏族・神社だったものから、律令制成立期のヤマト王権の〈世界観〉や中国の《礼制》を体現する律令制的官人・官庁へと推移していった」ことを述べ、その中に慰労詔書や帰化(人)概念の導入を位置づけた。後者については、「古態をとどめる国譲り神話に関係する神社」が蕃使迎接に関与することで伝統的入境儀礼が展開されたことが想定できること、蕃使検査のあり方に天皇と太政官の古来の関係が反映されていたこと、大王の意思伝達方式として古態をとどめる「対蕃使詔」が八世紀においても実効性を有していたことを挙げている。
 ボールディングの「脅迫システム」とは社会組織を形成する三つのプロセス(脅迫・交換・統合)の一つで、脅迫者Aと披脅迫者Bとの影響(支配)関係を基盤に形成される社会組織の強度が両者の時間的・空間的距離と反比例すること、BはAの脅迫を無視することがでれば独自の「脅迫システム」(「対抗脅迫システム」)を作り始めることなどを模式化した概念である。著者は〈脅迫−対抗脅迫〉システムが国家間の政治力学的枠組みに援用可能であることに着目し、「加羅諸国をめぐる多国間関係の一モデル」を試案に示すことで、これが東アジア諸国の関係の説明概念として有効であることを主張する。そして、このシステムが内包する対外的な「交通」を行うための「機関」が、「各システム内の発展や、システム間の関係の変化により変遷していく様子を考察する視座」として「外交制度史」を設定することができると述べている。

    三、
 著者は、従来は「対外関係史(対外交渉史)」「外交史」の中に一括されてきた研究領域の中に「外交制度史」というカテゴリーが成立しうることを主張し、そこに一連の研究を位置づけた。外交学ならびに近現代の外交史(国際政治史)研究では、組織・官僚・政策決定や外交実務などのシステム面に着目する視座が分析枠組みの中に定立されているが(例えば坂野正高『現代外交の分析』東京大学出版会 一九七一年、ハリソン・M・ホ−ランド[池井優監訳]『日米外交比較論』慶應通信 一九八六年、他は細谷前掲書所引書目を参照のこと)、前近代の日本外交・対外関係史研究の中では、近世におけるロナルド・トビ(『近世日本の国家形成と外交』創文社 一九九〇年)の研究はあるにせよ、各時代の外交のシステムを体系化する研究は未だ発展途上と言ってよいであろう。しかし、本書の序章にも述べるように、近年の日本古代史研究では、外交のシステム面に関心を寄せる研究が増える傾向にある。早くから「日本の外交交渉史が政治史の一部として論じられているにもかかわらず、外交を担当する官司の体系や、天皇権力の関わり方など、外交制度がほとんど研究されていない」問題を指摘してきた(本書第二部第三章の旧稿、一九八六年)著者の論集が、「外交制度史」のカテゴリー化を主唱する趣旨の下に公刊され七ことは時宜を得たものと言うべきである。

 著者はすでに本書の中でいくつか今後の課題を挙げているが、「外交制度史」の観点からさらに付け加えるならば、氏族制原理の下における外交実務の運営状況、遣唐使など外交使節の官制・官人的側面、治部省・玄蕃寮など令制上外交職掌を与えられている官司・官人のシステム運営上の役割、九世紀から十世紀における外交システムのあり方、「外交官吏」の資質の東アジア的視点からの位置づけ、中国・北東アジア諸国の外交官制との比較分析、なども数え上げることができるであろう。本書が「外交制度史」の視座を打ち出したことによって、当該領域に関心を寄せる研究者に、外交システム面に関する研究の今後の方向性や個別研究テーマの相互関係を、改めて意識させることを期待したい。

 日本において外交・国際政治を論じる者は、ほとんど全てが明治以降の日本外交を念頭に置いているが、日本の「外交」そのものは明治に始まったものではない。評者は本稿の冒頭で現代の「外交の本質」に迫る好著に言及したが、これに関連して、二十一世紀の世界的課題の中で現代の「外交」を再定義するためには非西洋世界における「外交」の歴史と概念に対する視野が欠かせないとする意見も出されている(小倉和夫「外交の意味をあらためて問う−細谷雄一著『外交‥多文明時代の対話と交渉』を読んで」『書斎の窓』五七二 有斐閣、二〇〇八年)。無論、各時代における内外の社会的環境によって「外交」の姿は様々であろう。しかし、去る碩学の「物事のはじめを理解することは、物事のはじめが物事全体を制約するのであるから、物事全体を理解することに他ならない」という言葉(倉本一宏『日本古代国家成立期の政権構造』吉川弘文館、一九九七年、「はじめに」)もある。「システム」への強い志向性を有する本書の刊行によって、日本古代の「外交」像の解明に重要な布石が打たれたものと考えたい。

(筆者 尚美学園大学総合政策学部教授)


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