韓国宗教民俗研究会編『韓国の宗教と祖先祭祀』

評者:川上新二
「宗教研究」360(2009.6)

本書は、韓国宗教民俗研究会が二〇〇五年に韓国ソウルの民俗苑から出版した『宗教●祖上祭祀』を改訂、邦訳したものである。「はしがき」、「日本語版序文」に続いて第1章から第12章までの論考があり、その後に「あとがき」と「訳者あとがき」が記されている。「はしがき」(片茂永)によれば、宗教と民俗の相互関係に関心をもつ同研究会では、「宗教と民俗とが徐々に融合され、かつ一つに統合されていくということ」に関する「全体原理を見つけ出すために」、「祖先祭祀と儒教・仏教・プロテスタント・カトリック・新興宗教」を研究対象にしたという。第1章、第2章では、このような目的に向って研究を進めるにあたっての問題意識や留意点が述べられている。

第1章「宗教と民俗―理論と実践の方法論的考察―」(片茂永)では、宗教民俗の形成には「宗教と民俗どちらから見ても同様な親縁性」のある「媒介」、または戦争や革命、社会運動のような「非親縁性」の「媒介」が存在するとする。また「宗教的思惟」をもつ聖職者や僧侶などの「第三者」が宗教民俗の形成に介在する場合もあり、宗教民俗は「民の専有物だと断定することは難しく」、「民と第三者による合作と見るべきである」が、「非親縁性」の「媒介」や「第三者」によって「民」に受動的に与えられた場合でも、やがて「すべての宗教民俗は民の能動的精神から考えたり判断したりできる対象になっていく」とし、「媒介の親縁性と非親縁性」、「民以外の存在による宗教的思惟と民の感性が交流しながら止揚しなおかつ沈澱していく問題」を「本書で取り上げたい範疇」とする。

第2章「宗教と祖先祭祀―総論―」(片茂永)では、「多くの研究者らが関心を見せてきた祭祀の変化の問題」は「連続性と非連続性から考察すべき」であるとし、「連続性」とは「精神的な側面」であり、それに関わるのは「無意識的」な「民の世界」であるという。一方「非連続性」の側面には「意識的」な「宗教的イデオロギー、そしてそれを生み出して民に植えつける、特に宗教人のような第三者のような世界」が関わるが、しかし「キリスト教や仏教の宗教的規定が牧師や僧侶によって民に伝えられ、またそれが民によって受容」されたとしても、「受容には、時間の経過とともに受動から能動への転換も伴ったはずで」、「こういう問いを私たちは宗教民俗論の立場から提起するのであり、ひいては文化変動論の理論的枠組みが見えてくることをも期待するのである」と述べる。

続いて第3章以下の各論考が並ぶが、ここでは第1章、第2章で述べられた以上のような問題意識に関わる部分に焦点をあてて、各論考の内容を紹介する。

第3章「韓国人と祖先祭祀―儒教式祖先祭祀の社会性と宗教性―」(金美栄)は儒教祭祀について紹介しているが、本章は「日本語版序文」(片茂永)によれば、「宗教による祖先祭祀の変化を語るにあたって、変化以前を提示するのは理論的に当たり前ではないかと遅ればせながら思ったので、日本語版では急いで追加することになった」ものという。

第4章「仏教の薦度斎に投影された儒教の祭祀理念」(具美来)では、仏教寺院で行う死者儀礼は薦度斎と呼ばれるが、葬儀としてだけでなく忌祭祀(命日の祭祀)や名節祭祀(名節に行う祭祀)としても薦度斎を行う人々が増えており、このような寺院での祭祀は「死者を追慕し、子孫の礼を尽くそうとする民間の心性によく似ていて、仏教と関わりのない者たちも包容することができるようになったものと思われ」、「死者を追慕する孝を実践する民間の祭が仏教に編入され」たとする。また「寺で行う祭祀が民間により自然に受容され得るのは、薦度斎の中に祖先祭祀と類似する施食があるからである」とも述べる。

第5章「仏教祭礼の意味と行法―施餓鬼会を中心に―」(正覚)は、施餓鬼会に代表される死者を対象とする仏教祭礼に関して、経典を通じてインドや中国での状況を検討し、続いて韓国で編纂された施餓鬼会に関連する儀軌について考察している。

第6章「奉安堂と仏教祭祀」(李昌植)では、火葬率が上昇し、仏教寺院も布教手段として奉安堂(納骨堂)の造成に力を注いでいる現在、「信者を含む一般人に葬礼文化観を正しく理解させる」ために「応用民俗学的視点が必要」であり、それを「今日の仏教民俗学の一つのテーマであると認識し、対応策を模索しなければならない」と述べる。「ユビキタス時代に符合する祭祀管理概念、すなわち生前の生涯ストーリー映像の普及、遺言のまた違った交感のし方、モバイルの接続可能、瞑想中心の祖先祀りなどを探索し、顧客を感動させる祭祀管理システムを構築できる専門家を育てなければなら」ず、「祭祀の人間的原理を基に、魂魄と子孫が感動できる映像の世界を先端コンテンツ化できる人生儀礼工学が必要なのだ」と指摘する。

第7章「韓国カトリックと祖先祭祀に対する歴史民俗学的接近」(金栄洙)では、一七八三年の韓国カトリック教会成立以降とられた祖先祭祀禁止は中国での宣教と関連して教皇庁によって決定されたものであり、一九三〇年代にとられた「祖先に対する恭敬」の許容については、日本が強要した神社参拝を日本カトリック教会が許容したため「植民地下で日本カトリック教会に属した韓国カトリック教会」も神社参拝を容認するしかなく、その延長線上で教皇庁でも「祖先恭敬儀式」を許容するようになったとする。そして、このように「祖先祭祀の禁止や許容措置すべてに韓国人は自身の意見を述べる機会さえもなかった」のであり、「われわれの問題を解決するのに「われわれ」がそこにいなかったのだと解釈でき」、「周辺の論理によって私たちの問題が決定されてしまった」と述べる。

 第8章「初期韓国プロテスタントと祭祀問題」(玉聖得)では、韓国プロテスタント初期(一八八〇−一九一〇)、禁止された祖先祭祀に代って「伝道のためにもキリスト教的代案が準備されなければならなかった」とし、「天地万物の創造主であり万人の父である神様を、「天父」とし」、「イエスを聖父である神様に孝道する聖子の息子とし」、「死んだ先祖の霊魂の代わりに、生きている父母に孝行するように強調」する孝道神学が発展したと述べる。また「韓国の信者たちは、亡くなった父母や祖先のために土着的な追悼会を捧げるようになった」が、「家庭追悼会は、祭祀が行われた時間と場所及び一部形式をそのままにし、信者たちを招請し賛美・祈祷・聖書奉読などの簡単な礼拝をして飲食を分け合い、亡くなった者を思う形式が追加された」として、「このような孝道神学と追悼会が発展したのは、儒教的孝道神学と祭祀にキリスト教が接ぎ木されたためである」とする。

 第9章「韓国プロテスタント追悼式の現況」(李福揆)では、現在韓国プロテスタントで行われている「亡くなった日を記念した追悼式や追悼礼拝」は「既存の忌祭祀文化と関連して形成された儀礼だといえる」として、儒教祭祀との相違点と共通点を指摘する。相違点として追悼式は「故人に捧げるのではなく、あくまで神に捧げる」、「故人の霊魂のために飲食や杯や礼を捧げない」、「生きている人同士が故人について回想する時間」であり、「故人のための祈祷は認められない」。「もっとも重要な点は、祭祀が故人に捧げられるものならば、追悼式(追悼礼拝)は故人を追慕し、神様に礼拝を捧げるという点」であり、共通点は「故人が死亡した日に追慕の集まりを持つ」、「長男の家で責任を持つことが原則である」、「追悼式後に食事を一緒にするという点」であると指摘する。

 第10章「伝統祭祀から追悼礼拝への転換過程―プロテスタント李o栄牧師の場合―」(李福揆)は、メソジスト派元老牧師の家庭での祭祀の変化の様子を牧師の語りを通じて紹介している。牧師の父(一九〇六−一九九八)は教会に通うようになっても儒教祭祀の実施を主張したが、同家で追悼礼拝の執行を担当した当時の長老は、祖先への礼、紙の位牌である紙榜や飲食物の供えを許容するなど「大変融和的な態度で追悼礼拝を執行して徐々に変化を誘導し」、やがて牧師の父も「キリスト教真理について次第に理解を深めながら」、「完全に今日で一般化したのと同じキリスト教的追悼礼拝、すなわち祭祀飲食を供えず、礼もしない形態に変った」と紹介し、このような事例は、今日のキリスト教信者と非信者との祭祀をめぐる葛藤にも解決のきっかけを与えるものではないかと述べる。

 第11章「天道教の祭祀民俗誌―新興宗教の場合―」(金時徳)は、二つの家で行われた天道教式の祖先祭祀の事例を報告し、「天道教で父母はすなわち天(ハヌル)と同じ存在として認識されている。したがって、亡くなった祖先を崇拝し祭祀することは、天を崇拝し祭祀することと同じであると認識されており」、「故人を追慕する祭祀は天道教の重要な儀礼の一つとなっている」という。そして、天道教式祭祀は「祭祀の奉祀代数、種類などは儒教式祭祀と多くの部分で似通っている。それだけでなく、祭祀を行う心持や態度には儒教式に通じる部分が多い。したがって、天道教の祭祀に対する認識は、韓民族の文化的伝統の範疇のなかにあるといえる」とする。

 第12章「在日韓国・朝鮮人のクリスチャンの祖先祭祀」(陳大哲)は、「在日韓国・朝鮮人のキリスト教信者のライフヒストリーを提示し、それを通して儒教式の祖先祭祀がどのように変容しているのかを浮き彫りにしてみたい」とするが、「事例提示が少なく在日韓国・朝鮮人のキリスト教信者の祖先祭祀の全体的な実態について言及するにはまだまだ課題が多すぎる」ようである。なお、在日韓国・朝鮮人による「追悼礼拝は教会の礼拝に忠実な形で行っているが、追悼礼拝に捧げる供物は忌祭祀に忠実な祭祀供物を用意」し、追悼礼拝時には参加者が共に食事をする「飲福」が行われると指摘している。

 各論考の内容は以上のようであるが、各論考を通じてのまとめが第2章や「はしがき」に記されている。それによれば「各論の共通点は、外来宗教と祖先祭祀が遭遇して葛藤段階を経由し共存段階へと進み、そして一つに統合されていく弁証法的かつ沈澱過程に立脚した論旨だった」とする(第2章)。そして、各論考を通じて「個別宗教が祖先祭祀と交流を持つことになった時代性や社会的背景などは異なっても、(中略)大半が葛藤や排除段階を通過したにもかかわらず、結局は共存もしくは新しい文化の創出に繋がった、という意見に辿り着いた」と述べ、「他意によって祖先祭祀に宗教が受容されたものの、能動的に理解しようとする姿勢へと漸次移り変わり、そのため宗教と祖先祭祀から共通分母を生み出すや、それを基に新たな文化を作り出した。そしてその能動性の根本には必ず民の論理が横たわっていた。この民の論理こそ、それぞれ異なる宗教をもつ韓国人を一つに束ねる普遍性だった」と指摘するとともに、「各論からわかったもう一つのきわめて重要なことは」、宗教民俗の形成には「宗教人をはじめとする、いわば民以外の論理が介入している事実が明らかになったこと」であるとも述べている(「はしがき」)。

韓国の祖先崇拝について儒教祭祀を中心に研究が行われてきた従来の傾向に対して、韓国の祖先崇拝の総合的研究のためには儒教祭祀のみならず仏教、キリスト教、新興宗教など各方面からの研究が重要であるとの指摘がなされてきた。しかしかかる指摘にもかかわらず、仏教やキリスト教、新興宗教における祖先祭祀の研究は十分には行われてこなかったと思われる。そのような中、仏教、キリスト教、天道教と祖先祭祀との関係を考察した本書が出版されたことは非常に意義あることであり、本書の業績は何よりもまずこの点にあるであろう。ただ、本書ではたびたび「民俗学」という語が語られており、本書は民俗学の立場から記されたものと思われるが、宗教学における民俗宗教研究の視点から本書を読んだ評者には、読後いくつかの気になる点が残った。民俗学の立場から研究した本書の執筆者たちにとって宗教学の視点からの評者の感想はまとをはずしたものかもしれないが、本書の業績をもとに宗教学の立場からどのように韓国の祖先祭祀の研究を展開させ得るかということを確認する意味もあると思われるので、以下、評者の感想を記してみたい。

宗教学には民俗宗教をコンテキスト(生活の脈絡)に応じた宗教、人々の日常生活で実践されている宗教としてとらえる視点があるが、評者が最も感じたことは、本書がとりあげている宗教および祖先祭祀はテキスト(教義、理念)に重点をおいたものとなっているのではないかということである。例えば、各論考では主として儒教祭祀と各宗教との関係に焦点が当てられているが、その儒教祭祀を紹介した第3章では、「儒教では祖先祭祀を孝の一種として考えて」おり、儒教祭祀は「長男のみが祖先祭祀を継承でき」るなど、「家族制度を実践・維持する手段として利用された」とする。そして四代前までの祖先は「忌日(命日)になると個別祭祀である忌祭を受け」、家の敷地内の「祠堂に祀られ」、「親が生きていたときとまったく変わりのない生の領域、すなわち日常領域で」扱われる存在であるので、「個別的祖先神としての地位におかれ」、五代前より上の世代の祖先は祀られる場所が「祠堂という日常的な空間から、非日常的空間である墓所」すなわち「先祖の集団空間である山に移動」して「死の領域に完全に帰属する」ようになり、「一年に一度執り行われる集団祭祀である墓祭の対象」となるところから、「個性的主体としての先祖神ではなく、没個性的つまり集団的先祖神として分類される」としているが、これらは本章でも言及されている『朱子家礼』などのテキストに従っての指摘と思われる。

ところで文化人類学による研究が明らかにしているように、儒教祭祀はテキストに記された規定に従ってすべての人々の間で一律に実践されているわけではない。長男以外の者が祭祀を受けもつ場合、忌日(命日)に祀るのを三代前の祖先までとする場合、五代前の祖先から墓祭を行うのではなく死後直ちに忌日の祭祀と併行して墓祭も実施される場合、位牌を用いずに祭祀を行う場合など、地域や階層によってテキストに規定されているものとは異なるさまざまな型の儒教祭祀が行われている。また地域によっては、確かに儒教祭祀は祖先に対する孝の表現とはされるが、形式を踏んだ儒教祭祀の儀礼行為によって孝が表現されるのであり、儒教祭祀はその形式性によって成立するとの見方も研究者からは提出されている(1)。このように実践されている儒教祭祀に焦点をあてた場合、儒教祭祀は多様性をもつものとしてとらえることができるのである。

本書は「民の理論」や「民の感性」、「媒介」などと表現されるものによって諸宗教が人々に「能動的」に受容され、「新たな文化」が創出されると指摘している、と評者には受け取られたが、読後、評者の理解不足もあろうが極端にいえば、孝の観念と「飲福」と呼ばれる儀礼後の食事の存在が仏教、キリスト教、新興宗教と儒教祭祀とをむすぶ役割を果たしているということなのか、との感想をもった。

本書は、宗教民俗に関するこれまでの研究が「フィールドワークを過度に重視するあまり、普遍的な答えは産出されないケースが多い」とし、宗教と民俗について「なぜ二つが一つになるのか、またそのように止揚あるいは沈澱していく過程とは何かに関する理論展開」を試みたものというが(第1章)、儒教祭祀が生活の脈絡の中で多様性をもって行われているならば、仏教、キリスト教、新興宗教について考察するに際しても、それらを生活の脈絡の中でとらえるという視点、すなわち、どこの、どのような人がどのような実践を行っているのかという個々の状況に目配りしたフィールドワークによる研究も依然として必要なのではないかと思われる。そのような視点に立つ評者としては各論の中の、例えば仏教寺院で故人の祭祀を行うのは故人に「息子あるいは子孫がいない場合」や「祭祀の準備の面倒を軽減するため」という指摘(第4章)、プロテスタント信者が追悼会で「祖先霊魂救援のために」祈ることがあったという指摘(第8章)、天道教信者が行う祭祀には天道教のテキストで提示されたものと異なる状況も見られるという指摘(第11章)などに関心がひかれた。仏教、キリスト教、新興宗教においても個々の状況に従った多様な儀礼の姿が見いだされるかもしれない。第9章ではプロテスタント信者の家庭での追悼式の事例、第10章ではプロテスタント牧師の家庭での追悼礼拝の事例がそれぞれ報告され、追悼礼拝を「キリスト教では一つの習慣としてその祖先への感謝の気持ちを感じ、追慕する記念儀礼としてだけ見なしている」というが(第10章)、第9章の事例は学生から、第10章の事例は牧師から得たものとされており、一般信者たちは追悼礼拝にどのような意味を見いだしているのであろうか関心がもたれる。

韓国の人々にとって孝の観念と儀礼後の食事は重要なものであるかもしれないが、諸宗教と儒教祭祀をそれらでつなげる前に、生活で実践されている各宗教儀礼を丹念に把握することも必要ではなかろうか。

「応用民俗学」を主張する第6章についても民俗宗教研究の立場から見ると、祭祀に関わる人々の思いが十分には取り上げられていないのではないかということが気になった。「本章では、祖先祭祀の事例研究による問題意識を具体化しなかった」とはあるが、例えば文化人類学でも「実践」や「応用」が主張されており、そこでは、社会の高所から眺めるのではなく、日常生活における相互関係の中での人々の思いや苦しみに目を向けての「実践」や「応用」が指摘されている(2)。民俗宗教の研究においてもかかる視点は忘れてはならないであろう。本章は「行き過ぎた物質的産業主義は警戒しなければならない」としながら、「伝統的先祖祀りに現代的先端トレンドを相生的に接ぎ木させる代案」としての「祭祀コンテンツの開発」が必要であり、「葬礼を含む祭祀コンテンツの展望は明るい」とするが、ある調査では「インターネットの仮想空間で祭祀を行う:賛成八・三%、反対九一・七%」などの結果も出ているとのことであり(3)、韓国の祭祀を「応用民俗学」の立場からとらえようとする場合にも、まずは祭祀を実践する人々の思いとどう向き合うかという視点が必要ではないかと思われた。

本書に対して評者が最も感じた点を記してみた。先述のようにこの感想は、本書の成果をもとに宗教学における民俗宗教研究の立場から韓国の祖先祭祀の研究を如何に発展させることができるかという視点によるものである。仏教での祖先祭祀の現況、死者儀礼に関する仏教儀軌の問題、キリスト教や天道教における祖先祭祀の位置づけなど、評者は本書から多くのことを学んだ。本書はフィールドワークに臨む者にとって、基本的知識を身につけるのに有益な書であるといえるであろう。


(1)末成道男「東浦の祖先祭祀」(『聖心女子大学論叢』六五集、一九八五年)、五―九六頁、秀村研二「位牌をもちいない祖先祭祀」(『伝統と前衛』明星大学日本文化学部共同論集第四輯、二〇〇一年)、二四五―二六二頁、など。
(2)関根久雄「実践論」(綾部恒雄編『文化人類学20の理論』弘文堂、二〇〇六年)、三三八―三五五頁、など。


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