大島清昭著『現代幽霊論――妖怪・幽霊・地縛霊――』 | |||||
評者:土居 浩 |
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『宗教研究』360(2009.6) | |||||
序章 「幽霊」と「日本の幽霊」 以下、各章の概要を紹介する。 「本書はこのような「日本の幽霊」と「幽霊」の間に広がる溝を埋める作業を通じ、より広い視点から「日本の幽霊」を再考することを目的としている。(八) 引用に「広がる溝」とあるように、著者は「幽霊」と「日本の幽霊」とを、「この二つの「幽霊」にはどうも距離が感じられて仕方がない」(六)として、違いを強調する。著者は、池田彌三郎・阿部正路・諏訪春雄それぞれによる「日本の幽霊」を冠した著作を参照しつつ、「日本の幽霊」の対象が前近代に偏っていること、すなわち近代以降については手薄であることを指摘する。一方、「日本の幽霊」に対して「幽霊」については、近代以降の心霊学やスピリチュアリズムの影響が大きいことを示唆する。「一九七○年代のオカルトブームを経た今日、スピリチュアリズムや心霊研究などの影響も考慮した「日本の幽霊」が必要になるのではないだろうか」(八)と説く著者が、主たる対象として試みるのが一九九○年代前後の時代である。もちろん著者も今野圓輔・宮田登を先駆者として紹介するように、これまでに近代以降とくに現代の「幽霊」に着目した研究者が皆無だったわけではない。しかし著者が幼年期を過ごした一九九○年代以降いうなれば著者にとっての「現代」は、「「幽霊」を考える上で極めて重要な時期」(一○)だとして、一柳廣孝が「「闇」への想像力の加速化」として列挙する、両世紀移行期における様々なブーム――ホラー・ジャパネスク、実話怪談、妖怪、怪談小説、ジャパニーズ・ホラー映画などなど――を踏まえ、「「幽霊」はここに挙げられた様々なブームに分散される形で、その居場所を着実に増やしている」(一○)と指摘する。序章末尾では、「学際的な「幽霊研究」を行おう」とする著者の立場が示され、本書を「日本における幽霊研究の補完を目指したもの」(一二)だとして、序章を締め括る。 第一章は、「幽霊」と「妖怪」との関係性から先行研究が整理される。大別すれば、第一章前半は柳田國男の「妖怪研究」が中心であり、後半は小松和彦の「妖怪研究」がその対象となる。第一章の最後で、本書における「妖怪」「幽霊」の定義がなされる。 「本書において、妖怪は現代で生まれた超自然的な存在・現象をモデルにしたキャラクターであると定義する。(中略)その起源を水木しげるに設定する。(中略)民俗学において「妖怪」として調査・収集された資料については括弧付きの「妖怪」で表記する。(四七) 第二章では、第一章において「妖怪」との関係性で定めた「幽霊」=「死者の霊魂の内、生者の前に可視的に出現する霊魂」との定義の有効性が、多様な霊魂の中でも有効かどうか、その妥当性を検討するために、霊魂の分類が試みられる。まず第二章第一節では、先行研究における「日本の幽霊」の範囲が確認される。江馬務いらい、池田・阿部・諏訪そして今野などの先行研究では、「日本の幽霊」の名の下に「生霊」「死霊」「怨霊」「御霊」など、広く人間の霊魂が扱われてきた。先行研究において「幽霊」の広がりは充分に確認されたものの、人間の霊魂の状態における位置付けは未だ明瞭ではないと指摘する著者は、第二章第二節において、四つの基準から霊魂の分類を試みる。まず人文科学的研究を背景とする、生者と死者との区分である。そして心理学や精神医学で見られる、可視と不可視との区分である。それぞれの境界領域も検討した上で第二章第三節では、生者と死者との区分から三つの領域(死霊/生霊/その境界に位置する霊魂)と、可視と不可視の区分から五つの形態(不可視の霊魂/視角以外で感じる霊魂/夢の中の霊魂/人魂・火の玉/可視の霊魂)とに分け、それぞれをかけあわせた合計一五のカテゴリーに区分することが「霊魂チャート」(八○)として示される。このうち「幽霊」は、「死霊の中の最も可視的な領域に属する霊魂」(一○四)として位置付けられる。これに近い領域として、死霊ではなく生霊の、最も可視的な領域に属する霊魂が「分身」(一○○)とされる。また可視的ではあるが、「幽霊」や「分身」とは区別される霊魂が「人魂・火の玉」である。この「霊魂チャート」と、先行研究で「幽霊」と連続的に扱われてきた霊魂との関係を検討したのが、第二章第四節である。本書における「幽霊」の重要な基準が可視/不可視であるのに対し、従来「日本の幽霊」が論じられた際に重要な位置を占めた「怨霊」「御霊」は、その霊魂が怨みをもっていたかどうかとの「性格」が基準である。「霊魂の性格」を基準とした「怨霊」「御霊」では、「幽霊の全体像を描くことは不可能である」(一○六)。可視/不可視を問わず霊魂全般に該当するのが「霊魂チャート」なのである。「憑霊(憑依)」を対象とした研究も、直接的に幽霊とは関わり合いがなく、可視/不可視とは別の視角で議論される問題であることが確認される。 第三章では、幽霊が「何らかの装置や個人の能力の参与があって、初めて視覚的に出現する」(一二一)事例が取り上げられる。第三章第一節では鏡が、第三章第二節では心霊写真(カメラ)が、第三章第三節では電話・テープレコーダー・カーステレオ・ビデオが、第三章第四節ではコピー機が、それぞれ「幽霊発生装置を媒介に初めて幽霊として知覚し得る幽霊の事例」(一四六)として取り上げられる。一見、新しく思えるこれらの事例は、元をたどれば近代スピリチュアリズムに行き着き、決して新しくはない、と著者は指摘する。そこで著者は、前川修による心霊写真についての指摘、すなわち一九世紀半ばから二○世紀初頭に、心霊写真が真正なものとして保証された背景として、一八九○年代の数々の不可視光(X線、電磁波、放射線)が発見されたことの指摘に依拠し、それを心霊写真だけに留めず、幽霊発生装置全般に敷衍可能だと主張する。 「本来は「見えないもの」であった筈の死霊は、科学の力によって「見えるもの」として変換した。この質的な変化の背景には、「見えないがあるもの」の存在が広い範囲で共有されている状況が必要不可欠であろう。心霊写真や心霊映像によってなされる不可視から可視への変換は、単に幽霊に新しい姿を与えただけではなく、霊魂観へフィードバックすることで、より霊魂の実在に説得力を持たせる。(一四九)」 心霊写真や心霊映像は複製可能であり、マスメディアやインターネットによって増殖される「現代において、幽霊や幽霊らしきモノは、全く珍しくない、ありふれた存在である」(一五一)とする著者にとっては、第三章第五節で取り上げる「霊感」もまたその延長上に位置付けられる。「現代において「霊感のある人」とは、幽霊発生装置としての能力を有する人々のこと」(一五四)であり、「カメラを持たなくとも「見える」人がいても、殊更に否定すべきことではなくなっている」(一五五)のだ。 第四章では、従来の柳田的「妖怪/幽霊」定義においては「妖怪」に分類されてきたものの、本書においては「幽霊」と定義されるべき〈場〉に固定化した幽霊が検討される。ここでの〈場〉は場所だけでなく、建築物、乗り物、道具などを含む。第四章第一節では、もともと「地縛霊」がスピリチュアリズムの用語であることが確認されるとともに、場所に固定化する幽霊の事例として皿屋敷伝説が検討される。第四章第二節では、場所に固定化した幽霊についての先行研究として、井上・柳田・池田・今野の研究が概観される。第四章第三節では、場所に固定化した幽霊の特徴を抽出するため、「学校の怪談」の事例が検討される。著者の整理によれば、(1)屍体が存在する(した)場所 (2)自らが生命を落とした場所 (3)生前、関わりが深かった場所 に幽霊は固定する。また、ピアノのような道具に固定化する幽霊にも、共通する特徴が認められる。この特徴が、第四章第四節では「学校の怪談」以外でも検証される。幽霊の〈場〉としては、建築物・事故死現場・工場などに限らず、布団・自動車・船などの道具や乗り物が指摘できるため、「地縛霊」という概念だけではその全体像をとらえるのが困難であることが確認される。以上を踏まえ第四章第五節では、これまでの王道ともいえる「他界」(あるいは「異界」)を前提とした「幽霊研究」の問題点が指摘される。 「〈場〉に固定化した幽霊とは生者と共存している幽霊である。ここから窺えるのは、生者と死者が共存している状態である。決して少なくはない数の死者が、現状では生者と共存している。このような霊魂観が現代において少なからず共有されていることは考慮する必要があるだろう。(一九四)」 このような前提からすれば、死者(幽霊)を他界の存在とすることはきわめて一面的な見方であると、著者は主張するのである。 終章では、最近の霊ブーム(あるいはスピリチュアルブーム)の背景として「幽霊の増殖という問題」が関係していると指摘される。「霊魂の実像を保証するような写真なり映像なりが増殖」することで「霊魂の実在を信じるような観念が浸透するのは自然な成り行き」(二○二)だと述べ、「現代人の霊魂観」においては「霊魂の形態が不可視から可視へ流動する存在として捉えられている」のであり、「その中で幽霊が果たす役割は大きいだろう」(二○三)とまとめている。可視/不可視を基軸とする幽霊が、「癒し」よりもむしろ「恐怖」を志向する怪談やホラー映画などの領域にこそ活躍が目立つことについては「これから一層考えるべきもの」(二○三)とするに留めている。 残りの紙幅を用いて、評者がとくに気になった点を指摘したい。 著者は本書について「斬新な発見をもたらすようなものではない」「重箱の隅をつつくような行為」(二○七)と述べている。その点に間違いはない。評者も著者にならい「重箱の隅」をつついておく。第一章第六節の終盤に「私は既に水木が民俗学が収集し「妖怪」というラベルを貼った資料をキャラクターへと昇華して、近世の「化物」と繋げたことを述べた」(四六)とある。これに該当するのは本書四四頁であるが、この箇所には註(63)が付され、「この経緯については、京極註(57)で詳しく述べられている」(五四)とある。つまり、あくまで京極に依拠した指摘である(書き添えれば、この京極註(57)とは、註(54)の間違いであろう)。単なる書き洩らしだと判断しがたいのは、第三章の心霊写真論だと前川修の先行研究を再度言及する際、わざわざ「既に引用したが、前川修は」(一四七)と断りを入れているからである。だからこそ第一章第六節で「私は既に、京極に依拠して、水木が」云々としていない点は、不可思議といわざるをえない。 典拠の示し方の不可思議さに比べれば、本書における「或いは/成程/尤も/大凡/勿論/殆ど/些か/鹿爪らしい/所謂/殊更に/蔓延って/然程」などの漢字使用が、読みにくさに拍車を掛けていることなど気にすらならない。今後「幽霊研究」を包含する広義の「妖怪研究」の前提として「現在の妖怪は、近世の化物と民俗学の妖怪が、水木しげるによって融合されキャラクターとなった存在だ」とする論拠に、本書が示されるか、それとも京極論考(2)が示されるかは、ひとつのリトマス試験紙となるだろう。それは引用した著者個人ではなく関連学界全体として、アカデミズムは「妖怪研究」において京極夏彦をどう位置付けるのか、注目すべき動向である。 ところで京極夏彦・多田克己・村上健司『妖怪馬鹿』(新潮OH!文庫、二○○一年)の増補版となる『完全復刻 妖怪馬鹿』(新潮文庫、二○○八年)では、本書「あとがき」に「本書は、妖怪馬鹿が書いた幽霊の本である」(二○六)と書いてあることに、京極が「びっくりした」旨が述べられている。本書については「ちゃんとした論文集」以上の踏み込んだ言及はされていないものの、このように(広義の)妖怪絡みだとすぐさま話題のひとつとして回収されてしまうのが、「現代」のメディア状況なのであろう。書評を通じ、このような「現代」において、「幽霊」や「妖怪」を論じ研究を蓄積する営為はいかにして可能か、考えるべきことが山積みだと再認識する機会を与えてくれた本書に、あらためて感謝したい。 注 |
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