国文学研究資料館アーカイブズ研究系編『藩政アーカイブズの研究』

評者:中野美智子
「日本歴史」733(2009.6)


 本書は二〇〇六年三月に国文学研究資料館で開催された「地域支配と文書管理」を共通テーマとする共同研究会の成果として刊行された。「地域支配を前提とした近世の藩政文書の管理・保存」を研究テーマとし、編集責任者高橋実氏は「藩政アーカイブズの管理保存史研究を対象とした初めての論文集」と位置づけている。
 本書の構成と概要は次のようである。

 序 章 藩政文書管理史研究の現状と収録論文の概要 高橋  実
 第一章 松代藩における文書の管理と伝来        原田 和彦
 第二章 萩藩における文書管理と記録作成        山崎 一郎
 第三章 対馬藩の文書管理の変遷−御内書・老中奉書を中心に− 東 昇
 第四章 近世地方行政における藩庁部局の稟議制と農村社会
      −熊本藩民政・地方行政担当部局の行政処理と文書管理−  吉村 豊雄
 第五章 熊本藩の文書管理の特質             高橋  実
 第六章 鹿児島藩記録所と文書管理
      −文書集積・保管・整理・編纂と支配−      林 匡
 第七章 村方文書管理史研究の現状と課題       冨善 一敏

 序章の高橋論文は、一九八〇年代半ば以降の藩政文書管理史研究の経緯と個別藩の研究の現状を概括し、本書収録論文の概要をふまえて、藩政「文書管理システム」の導入時期、文書管理方式の特徴と変化について概観したもの。「藩政文書管理保存史」に関する研究文献一覧が付されている。
 第一章の原田論文は真田家文書を対象に、主に真田宝物館所蔵の「吉文書」と称される徴古資料、いわゆる藩侯文書について成立と伝来経緯を考察したもの。国文学研究資料館に分割譲渡され、諸役所の日記類を主体とする藩庁文書については今後の課題としている。
 第二章の山崎論文は、山口県文書館所蔵の萩藩毛利家文庫(藩庁文書)を対象に、萩藩の国許役所のうち、当職所、郡奉行所、上勘所、目付所、代官所における文書管理・記録作成のあり方を概観したもの。萩藩では藩の中枢当職所への申請と許可を前提に、各役所でそれぞれ文書管理が行われたことを明らかにした。これをふまえて萩藩の文書管理の歴史的な経緯を考察し、それを支えた藩士の文書保存意識の養成を特徴の一つとして指摘した。また、「密用方」の職務に関して、従前からの定説である藩庁全体の文書管理担当説を批判している。
 第三章の東論文は、韓国を含め七カ所に分散所蔵される対馬藩宗家文書約一二万点のうち、御内書・老中奉書の享保期以降の文書管理の変遷について、九州国立博物館所蔵「対馬宗家文書」の文書箱・長持と現用目録「年寄中預御書物長持入日記」の照合により考察したもの。対馬藩、宗家文書全体の文書管理は今後の課題としている。
 第四章の吉村論文は、熊本藩の郡方の部局帳簿「覚書」の分析を通して、宝暦期以降、農村からの上申文書(願書等)を藩庁担当部局の稟議の起案書として扱い、それに依拠した行政処理が展開され、文書保存も行われるという、地方行政処理と文書管理システムの実態を提示したもの。
 第五章の高橋論文は、熊本大学附属図書館寄託永青文庫蔵「細川家文書」を対象に、近世中後期から幕末期の熊本藩「文書記録管理システム」の具体相と特質を考察したもの。同藩では現用・半現用の文書記録は各部局で管理保管され、評価・選別をへて専管部局である諸帳方に渡され、長期保存用は御蔵に、さらに永年保存用の文書記録は坤櫓に移管された。その過程で、各段階の管理保存台帳が作成された。文書記録のライフサイクルの考え方に基づいて、収蔵庫とともに長期・永年保存システムが組織的に機能していたと指摘する。
 第六章の林論文は、薩摩藩の文書保管機能の中心的役割を担った記録所の成立過程と職務内容について考察したもの。薩摩藩記録所は系図・系譜編纂と古文書の保管、現用文書の収納保管、諸役座作成・保管文書(家老座等)の移管、島津一門以下、諸家の筋目・系図由緒の調査機関として機能した。その職務はさらに幕府への調査報告、国絵図、地誌編纂など多面化し、文書行政に関与を深めていった。記録所外の各役座保管文書や外城(郷)保管文書については今後の課題としている。
 第七章の冨善論文は、村方文書の管理史研究のレビューである。文書管理史を日本近世史の独自の研究分野として定立し、近世社会の文書管理に現代の文書館的システムを発見した高橋実氏に対し、近世特有の文書認識、価値認識との関連で近世史研究の視点から批判提示が行われ、その動向を「儀礼・由緒論的文書管理史」と評価している。今後の課題として、幕藩領主の文書管理史研究をふまえた近世文書社会の全体像と本質の探究、異なる地域間の比較研究による類型化の必要性等を指摘している。

 以上のように、本書はアーキビスト(吉村論文を除く)による藩政文書の管理と保存のあり方についての研究で、高橋氏は序章で独自に「文書管理史」と称している。安藤正人氏提唱のアーカイブズ学が主張する、記録史料群の構造認識のための方法論の一つに位置づけてある。そうであるならば、藩政アーカイブズの構造的把握による階層構造の再構成というアーキビストの史料整理論の段階についても、現状と課題について言及がほしかった。
 本書の意義は、諸藩の個別研究の進展によって、冨善氏が指摘するような比較研究が可能となってきた状況が提示されたことにある。たとえば萩藩当職所記録方や薩摩藩の記録所である。とくに萩藩記録方の機能や性格は序章で紹介されている拙稿と対比すれば、岡山藩留方と類似しており、萩藩の地方役所における法令通達類の記録編纂のあり方は、岡山藩「法令集」が維新期に「郡方(郡会所)」で保存管理されていた事実の経緯を推測する好個の事例である。また、薩摩藩記録所の職務も岡山藩留方のそれと重なるところが多い。
 冨善氏は、近世村方文書の管理史研究は、従来管理の局面に集中しがちで、現用投階での文書の作成・利用、文書相互の関係(または文書システム)に意識的に取り組む必要性を指摘している。この点は本書で高橋氏が提唱する藩政アーカイブズの「文書記録管理保存システム」も保管・管理に視点がおかれているといえる。
 現代社会のマネジメントシステムにおいても、文書管理は文書を作成・承認する責任と権限を明確にすること、最新版が必要なときに必要な人が使用できることを要求事項としている。岡山藩留方は、藩中枢の御用所の指示のもとで、各種留帳や家譜・奉公書の編纂等、二次的な保存・照会用の文書作成と保管を主要な職務とし、それが今日岡山藩政史研究の主要資料を構成している。今後、近世的な文書管理システムの特質はなにか、についての論究とともに、研究用語の明確化が望まれる。
(なかの・みちこ 就実大学教授)



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