国文学研究資料館編『藩政アーカイブズの研究−近世における文書管理と保存−』

評者:定兼 学
「アーカイブズ学研究」9(2008.11)


 2008年3月、日本アーカイブズ学研究の研究史に残る書物が世に出た。本書は、2006年に国文学研究資料館で開催された「地域支配と文書管理」を共通テーマとする共同研究会を契機として生まれたものである。したがって人間文化研究機構国文学研究資料館アーカイブズ研究系編となっているが、序章、あとがきから見て、事実上の編者はその機関に所属する高橋実氏である。あらためていうまでもないが、高橋氏は文書管理史(アーカイブズ学)研究と日本近世史研究との両面で斯界の第一人者である。同氏を中心に集った研究会であるから、日本各地の最前線の研究がここに公表されたと考えてさしつかえない。
 本書は、次の構成からなる論文集である。以下、論文ごとに、教えられたこと、そこから考えたことを述べることにする。

序 章 藩政文書管理史研究の現状と収録論文の概要  (執筆者・高橋 実)
第1章 松代藩における文書の管理と伝来  (執筆者・原田 和彦)
第2章 萩藩における文書管理と記録作成  (執筆者・山崎 一郎)
第3章 対馬藩の文書管理の変遷    (執筆者・東 昇)
     −御内書・老中奉書を中心に−
第4章 近世地方行政における藩庁部局の稟議制と農村社会 (執筆者・吉村 豊雄)
     −熊本藩民政・地方行政部局の行政処理と文書管理−
第5章 熊本藩の文書管理の特質 (執筆者・高橋 実)
第6章 鹿児島藩記録所と文書管理 (執筆者・林 匡)
     −文書集積・保管・整理・編纂と支配−
第7章 村方文書管理史研究の現状と課題   (執筆者・冨善 一敏)

 序章では、1980年代以降に展開した藩政文書管理史研究を概観し、本書収録論文の概要と位置づけをしている。諸藩で文書管理システムが導入されるようになった理由として、@藩機構の整備と吏僚化、A藩政の拡大にともなう文書量の増加、B領民の直接的間接的政治参加の3点を指摘する。文書管理方法は、留帳・類緊などの内容別記録書写編集方式から原本綴り込みないし一括保管などの方法へと変遷し、その検索・目録化が計られるようになった。維新後の国政レベルでも留帳・類聚作成方式は残っていた。廃藩置県以後の伝来過程に留意すべきであるという。また、本書収録論文は、いずれも藩文書記録の管理、保存、編纂、伝来に焦点をあてていること、本書は藩政アーカイブズの管理保存史研究を対象とした初めての論文集であるといい、この章末に関係研究文献一覧を列記してその意義を高めている。
 序章に限ったことではないが、ここでいう文書管理システムとは、「近世的文書管理システム」のことと理解して読まなくてはならない。文書管理システムとは、近年使われはじめたことばであり、現代社会の制度もしくは制度的規範である。それを近世に適用してみようとすることは、一つの研究手法とはいえ、歴史研究の視野を限定することになるおそれがある。したがって、文書管理システムに関することを抽出して分析するとしても、藩政史研究を前提とした叙述でなくてはならないことを執筆者は知っている。そこで、近世中期以後の文書管理システム導入契機について上記3点を指摘して執筆者なりの整理をした。しかし、この叙述では、それ以前には文書管理システムがなかったかのような曲解を呼ぶことになる。これは研究史の薄さによるものであるが、近代の文書管理システム概念にしばられた結果である。藩政初期にも文書は残り、管理されていた。つまり、近世中期以降とは違う「近世初期的文書管理システム」も考察する必要があったのである。

 第1章では、現在国文学研究資料館と真田宝物館とに所蔵されている松代藩主真田家文書群の伝来経緯を江戸時代真田家の文書管理との関連であきらかにしている。真田家文書は、徴古史料としての「吉文書」と藩政資料があり、前者が真田宝物館蔵、後者は真田宝物館と国文学研究資料館蔵に二分された。吉文書は、真田家が将軍等から受けた書状などを整理したもので、宝暦13年(1763)に「吉光御長持并御腰物箪笥」に入れられ、御広間の床の間に飾ることになった。その後天保4年(1833)の整理で最終的な吉文書の姿となり、家臣らが所蔵する真田家関係文書を明治以降まで収集追加している。一方、藩政資料の日記は松代城内の「日記蔵」で保管していた。大正時代に道具などとともに整理したとき、二番倉の書類は未調査のまま残った。この未調査部分の資料が国文学研究資料館に入り、それ以外が吉文書とともに真田宝物館に入ったと述べる。伝来経緯はよくわかった。
 ここで私は、真田家が吉文書として保存管理したのはなぜかというと、真田家の由緒を担保する家宝であるからと理解した。執筆者は真田家の大名道具類の整理や管理について「余談」として関説しているが、私は家財管理の一環として吉文書の存在を位置づけられると思った。つまり「余談」におわらせてはならない。藩主の公私弁別は難しいところであるが、あえていうなら、吉文書は大名真田家の私有財産なのである。この吉文書に関係文書が逐次収集追加されていくのは、真田家の事情からである。それを「歴史意識の高揚」の一言で片付けているが、そもそも歴史意識高揚とはどういうことなのかその質を問うことにこそ研究意義がある。さらに、藩日記を藩政アーカイブズとして重要と認識したのは何時ごろからで、日記蔵が何時成立したのかも気になったところである。

 第2章は、萩藩の藩庁文書の研究である。萩藩の文書は、毛利博物館に藩侯文書が、山口県文書館に藩庁文書の毛利家文庫と県庁伝来旧藩記録が所蔵されている。萩藩の国元中枢役所である当職所の文書は、業務上の必要性、参考性、重要性に応じて萩城下御用所か当職の屋敷、萩城櫓、萩城本丸御宝蔵に分散管理され、明和4年(1767)には当職所に記録方という文書管理専門役人が設置された。奉行役所や上勘所、目付所、代官所などでも文書を保存・管理するシステムが整備されているが、文書の廃棄・反古化の権限は当職所が握っていた。各役所では、保存資料を再整備して現在業務の手引き書の編纂事業も行なっている。
 ついで、藩全体の文書管理や記録作成の特徴を時代ごとに概観し、役人の文書保存意識について検討している。これは、萩藩の文書管理システムの変遷を提示したにとどまらず、家産官僚制といわれている藩権力の質的変遷をも読み取ることができ、近世政治史研究への貢献度も高い。萩藩で文書管理システムが確立するということは、いわゆる官僚制の「非人間化」を想起するが、役人自身の文書保存意識の上になりたっていたと述べ、その時どきの役人に注目して分析している。そこで問いたいのは、その文書保存意識が生じる淵源であり、役交代後15年間保存すべきといった下村弥三右衛門は、なぜ15年原則なのか。文意では萩藩の最終監査と読み取れるが、では、なぜ15年後に最終監査を行なったのであろうか。などが気になった。

 第3章では、対馬藩宗家の御内書と老中奉書の文書管理の変遷を検討している。宗家文書は九州国立博物館など7ケ所に分散所蔵され、総計約12万点にも及ぶ。宗家は、朝鮮と外交する日本側の窓口であったから、外交機密などの重要書類などとともに御内書と老中奉書を年寄中・表書札方が長持ちに入れて管理した。享保12年(1727)以来数度の整理でほ、内書はすべて、老中奉書は一部を成巻した。文書目録である「年寄中預御書物長持入日記」は、明和2年(1765)に作成され、追加文書は貼紙などに記載して数十年その目録が機能した。天明4年(1784)長持ちの底に腐損が発見された。寛政期には寛政重修諸家譜編纂調査に利用し、老中奉書のすべてを成巻化した。文化10年(1813)には今後の資料増加を考慮して利用しやすい方式に整理して目録を新帳にし、これは明治期まで利用されたという。
 前章の研究が個別役所の実態と藩全体の文書管理をトータルに見ようとするダイナミックなものであるのに対して、この章は、第1章の吉文書に相当するものの研究である。対馬藩が将軍と老中から受領した文書をどのように記録化、保存、管理していたかということであり、対馬藩全体の文書管理にかかる理念やらシステムはわからない。しかし、天明4年の年寄中預御書物長持の腐損事件で、その時の文書管理の責任の所在や今後の対策の記録はクローズアップできた。それを発見した執筆者の慧眼には敬服する。なお、寛政8年に老中奉書の全成巻化の一因に対馬藩財政が幕府依存体制へ転換したことを指摘しているが、幕府に依存するとなぜ成巻なのか、なぜ寛政8年なのかの説得力は弱い。古今の例格を調べる必要があることなどの実用的な要因はなかったのだろうか。

 第4章は、熊本藩の郡方の民政に関する行政処理過程を「覚帳」の丹念な分析から解き明かしたものである。藩制初期から作成している郡方系統の覚帳は、事案の行政処理が完了してから記録していたが、宝暦改革以降は農村からの上申文書とその処理過程も記録するようになり、寛政末年以降は、上申文書の原物そのものを起案の原本として、事案の処理過程を記録化している。これを執筆者は稟議別の成熟化・高度化という。さらに、覚帳も郡別編成され概ね月日順綴じ込みとなり、事案検索に配慮して整備され、継続性の高い特定事業も帳簿化が進む。これは、農村社会の行政ニーズが、藩庁部局まで上申されなくても郡代・惣庄屋段階で処理できるような農村社会の自律的運営能力に立脚して成り立った。藩庁で稟議にかかる文書は、農村社会で生成される要望・願書のほんの一部であり、受理に至らない文書量は増大したという。
 この章では、史料を逐一掲載して丁寧に解説しているので文書処理経過がよくわかった。しかし、叙述が85頁にも及ぶと、論旨のわりには冗長であることも否めない。一方、執筆者には自明である熊本藩の宝暦改革、寛政末年の改革の中身の具体的な説明がないので、稟議書類の記録方法が変化した理由は説明不足である。しかし、「農村社会の自律的運営能力」と対峙するかたちで藩政アーカイブズおよび日本近世領主制の行政段階の歴史的展開を論じているてんは圧巻であり説得力があった。これは執筆者が洞察する独自の近世史像を披瀝したものといえ、近世政治史研究に投じられた卓見といえよう。ところがその「農村社会の自律的運営能力」なるものを所与の前提としてはいまいか。農村社会の多様なニーズ、文書量の増大、成熟化、覚帳の冊数、記載事案件数などの数値上・質的変化についての具体的な叙述も欲しいところであった。

 第5章は、題名通り熊本藩の文書管理の特質を分析したものである。同じ熊本藩のアーカイブズ研究であっても、第4章が文書行政について研究した史料解析であるのに対して、本章は文書管理そのものの研究である。熊本藩では職制に応じた各部局ごとに必要な簿冊管理を行なっていたとし、天保4年(1833)刑法方の諸帳目録を分析することによって、文書の評価選別、移管、現用文書、半現用、永年保存、廃棄など、現代に通じる文書のライフサイクル概念や管理システムが整えられていたことを証明している。文久2年(1862)の寺社方・町方の諸帳目録を分析することによって、記録シリーズ毎の整理方法、出所原則にもとづく管理・保管を実証する。また文書記録管理を専門にする諸帳方の存在と役割を明らかにした。諸帳方は、各部局の権限で移管された文書を長期保存文書として御蔵で保管し、そこからさらに選別され永年保存文書として坤櫓で保管した。
 この章では、近世中後期熊本藩における細やかな文書管理の有様を思い描くことができた。しかし、執筆者の文体かもしれないが、推測文(文末が「あろう」)が多いので、論旨の真正性が疑われる。例えば、刑法方の諸帳目録を分析している208〜210頁だけをみても、@諸帳目録を全部局が整備した、A文書記録の保管は執務する場所か近在の書庫である、B坤櫓入の段階で諸帳全体の評価選別をした、C書物箱は執務場所にあった、D注記のない朱書削除は廃棄文書、E書物箱入が現用でそれ以外が半現用、などが事実表記ではなく推測表記である。ともあれ、近世後期熊本藩の文書管理保存体制の大きな特徴として、それを所掌する諸帳方が藩政中枢部門に設置されたことであることはよくわかった。しかしそこに移管される文書はほんの一部であり、第4章でみた覚帳などは現用文書として原局の乾櫓に保管されていたはずである。諸帳方は、原局で行なわれた独自の文書管理のうえに乗ったものであったと考えると、部局ごとのさらなる実証研究がのぞまれる。

 第6章は、鹿児島藩記録所の設立過程とその業務内容を通覧している。鹿児島藩では近世前期から記録奉行あるいは文書奉行という機関があった。はじめは島津家の家譜編纂と古文書管理をする一家政機関であったが、島津氏のみならず、家臣諸家の由緒も調査する鹿児島藩の公的機関に転換した。18世紀初頭に記録奉行の3人体制や江戸詰奉行の設置などの制度整備が行なわれ、系図・系譜編纂と古文書の保管、諸家の系図由緒調査などに加えて、諸役座の文書を保管する機関として確立した。享保5年(1720)に白木箱が用意され、逐次収納された。収納文書には箱番号や記録所が文書を受け取った経緯や日時を付箋や包紙・袋に記している。諸役座から記録所へ移管された文書は、文書発給年月順ではなく、移管年月順に順次保管された。また、18世紀末以降は、家譜編纂・由緒調査機関としてだけではなく、「島津国史」や地誌編纂、絵図作成なども業務としている。
 この章もまた80頁に及ぶ大作である。史料掲載が多い第4章にくらべて、この章は註記が148もあり、本文叙述の論拠検証に丁寧であるが、読むのに疲れた。第1節と第2節で18世紀中期までの記録所の文書保管体制について述べていたのが、18世紀中期以降について述べた第3節では島津氏家譜編纂・由緒調査の記述が中心となっている。ここから鹿児島藩記録所の特徴は調査研究機能が充実してくることといえよう。系図・家譜編纂、絵図や地誌編纂などの調査研究業務は、文書保管業務と密接な両輪関係であった。であるから、293頁に「そのベースが文書保管機能であるのは勿論」と記したのであろう。しかし、その文言のみで文書保管の実証がないので、近世後期の記録所は、家譜編纂など調査研究のための文書収集と保存であったと理解されかねない。近世後期記録所で日常的に生成される文書をどのように管理していたのか記述がなかったのは残念である。

 第7章は、関連研究として村方文書管理史の研究史整理をした論文である。本書には異色なものであるが、藩政アーカイブズ研究を、近世社会の他のアーカイブズ研究と対比する意味での収録と理解した。それは、幕政アーカイブズでも商家でも寺社でもよかったかもしれないが、日本近世の文書管理史研究は最初に村方文書の研究が先行した。そのトレンドの一翼を担っている執筆者が今後の課題として、@現用文書相互の関係性、A幕藩領主と村方との文書管理面での関係性・規定性、B近世文書社会の質を問うこと、C発見型の研究から地域間比較・地域類型化へ、という4点を指摘している。
 この整理は、藩政アーカイブズ研究にも通用する提言であり掲載の意義が高い。本書では、第4章をのぞいて、文書管理の方法やらシステム研究に限定されたものとなっているが、今後は、藩政アーカイブズ研究も射程を広げ、近世的文書認識・価値認識の研究、さらには藩世界、藩地域、藩社会、藩輔研究などの視角からのアプローチが展開すると思う。

 以上のように、各章から多くを学んだ。それにより全体として、次の疑問が生じた。諸藩の文書管理の近似性と独自性である。将軍や老中の書状を重要書類扱いすることや、整理目録などの第2次資料を作成して元の資料を管理すること、一括管理して永年保存する発想が生じることなどの近似性が認められる。一方、諸藩の文書保存意識や政治文化に大きなギャップと独自性があった。萩藩の記録方、対馬藩の表書札方、熊本藩の諸帳方、鹿児島藩の記録奉行など、文書管理担当の部署が存在することが近似性で、その守備範囲、権限、管理方法の違いの大きさが独自性である。なぜ諸藩で似たようなことが起こったのであろうか。また諸藩の独自性はどのような政治形態、地域性から生じたのであろうか。興味が尽きなかった。

 ところで、本書収録の諸論文の多くは、自分の所属する機関の所蔵する史料を、−般閲覧室ではなく、収蔵庫や研究室内で手に取り縦横にくまなく観察することによってはじめてできた研究であった。−般の利用者ではわかり得ない情報が満載である。これは「アーキビストが所属機関の所蔵資料を用いて個人研究や著作発表を行なう場合、その資料を利用できる条件や範囲は、一般利用者と同じでなければならない。」というアーキビストの倫理綱領とどのように折り合えばいいのであろうか。自館の資料を利用する際に、利用者と同じように利用申請を書いて利用しても自己満足の行為にすぎず、陳腐な偽善である。この倫理綱領に文字通り従えば、アーキビストは、目録作成過程等を通じて、一般利用者とは違う情報を知っている以上、−般利用者とは同じ条件にはなりえず、本質的に−般利用はできない。
 では、どのように考えるかというと、アーキビストが所蔵館資料の研究をすることは義務なのである。一般利用を促進するため、アーキビストは所蔵資料の研究をしなくてはならない。むしろアーキビストが所蔵館資料の研究をしないことが倫理違反と考えたい。
 藩政アーカイブズ研究はこれからの学問である。全国のアーキビストが今後このような論文を続々と公表するか、もしくはこころざしある研究者へ惜しみないサポートすることを切望する。



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