中野高行著『日本古代の外交制度史』

評者:廣瀬憲雄
「日本歴史」733(2009.6)


 本書は、日本古代対外関係史の研究者、中野高行氏(以下、著者)の論文集である。著者は高校教員としての勤務の傍ら、多くの論文を発表されでおり、一連の研究が本書という形で結実したことに対して、まずは敬意を表したい。
 本書は四部十三章に序章・終章・補論を加えた構成で、以下の内容からなる。( )内は初出年である。

序 章 「外交制度史」という視座(新稿)
第一部 新羅使に対する給酒規定と入境儀礼
 第一章 延喜玄蕃寮式に見える新羅使への給酒規定(一九八九)
 第二章 相嘗祭の成立と天高市神話(一九九〇)
 第三章 難波館における給酒八社(一九九二)
 第四章 新羅使に対する給酒と入境儀礼(一九九六)
第二部 慰労詔書に関する基礎的研究
 第一章 慰労詔書に関する基礎的考察(一九八四)
 第二章 慰労詔書の「結語」の変遷(一九八五)
 第三章 慰労詔書と「対蕃使詔」の関係(一九八七)
第三部 外交使節処遇の決定主体と宝亀年間
 第一章 八・九世紀における大学明経科教官の特質(一九八五)
 第二章 八・九世紀における外記の特質−『外記補任』掲載人名の分析−(一九八七)
 第三章 八・九世紀における内記の特質(一九八八)
第四章 日本古代における外国使節処遇の決定主体(一九九七)
補 論 天平宝字八年七月甲寅条について−石井正敏氏のご指摘への回答−(新稿)
第四部 小中華意識における「帰化(人)」
  第一章 「帰化人」という用語の妥当性(一九九二)
  第二章 「帰化(人)」の成立過程と論理構造(新稿)
終 章 総括と課題(新稿)

 まず序章では、従来の「外交交渉史」(歴史的国際社会における諸国間の交渉の実態を考察)に対して、外交を担当する官司・外交儀礼や外交文書・イデオロギーなどを含む「外交制度史」という視座を提唱し、あわせて本書の概要を紹介している。
 第一部第一章では、延喜玄蕃寮式に見える新羅への給酒規定を取り上げて、敏売崎・難波館における給酒十二社の一部が、天武・持統朝に神功皇后の三韓征伐伝説へ架上されたことを論じている。
 第二章では、令制祭祀の一つである相嘗祭を取り上げ、班幣社の多くが六世紀中葉〜七世紀初頭に成立する一方、穴師・大倭・住吉三社は記紀神話完成期の天武・持統期に加わったことを示している。
 第三章では、難波館で神酒を供する神社を検討して、雄略朝前後には外国使節の入京途上で各神社が神酒を給与していたのが、六世紀中葉に難波館が成立すると、難波館で神酒を一括供給する方式に変化したことを明らかにしている。
 第四章では、前章で扱った雄略朝に給酒を行っていた六社について、それぞれ港・衢・峠・橋など、境界祭祀の場に関連付けられることから、外国使節の入境儀礼として神酒供給が行われたことを示している。
 第二部第一章では、古代日本が外交文書として使用した慰労詔書と、日本国内で外国使節に伝えられた「対蕃使詔」を取り上げ、「対審使詔」が七世紀以来の系譜を持ち口頭で伝達されること、九世紀には「対蕃使詔」は外交意思伝達の機能を消失したことを論じている。
 第二章では、慰労詔書の「結語」に注目して、天平宝字年間と延暦年間に変化が見られることを指摘し、さらに書式がほぼ確立した延暦期を、慰労詔書の対蕃国外交意志伝達機能の確立期と評価している。
 第三章では、慰労詔書と「対蕃使詔」の関係を検討して、八世紀は「対蕃使詔」の内容がそのまま慰労詔書に反映されたのに対して、九世紀では「対蕃使詔」は儀式の一部として形式化したことを論じている。
 第三部第一〜三章では、外国使節への迎接や資格審査などに関与した国内の官人、具体的には大学寮関係者(特に直講)・外記・内記を取り上げ、それぞれ官人群としての特質と変遷を明らかにしている。
 第三部第四章では、八・九世紀における外国使節の迎接担当官(検校新羅客使・存問使など)や、外国使節処遇の決定方法について検討して、宝亀年間に担当官の人選などに変化が生じ、処遇内容も奉勅を経て決定するようになったことを論じている。さらにこれらの変化は、外国使節への処遇審査を、天皇と太政官が総体となって行うように変化したものと位置づけている。
 第三部補論では、第三部第四章初出時に石井正敏氏から受けた指摘に対する回答を行っている。
 第四部第一・二章は、「帰化人」という用語を使用することの是非について論じたものである。
 終章では本書の総括を行うとともに、東アジア世界の「構造」に関して、K・E・ボールディングの「脅迫システム」を援用して展望を行っている。

 本書の特徴としては、対外関係史の著書でありながら、国内の諸制度にも言及している点を挙げることができる。具体的には、相嘗祭の面からも新羅への給酒社を検討した第一部第二・三章、外交に関与した官人群を検討した第三部第一〜三章が該当するが、このような視点は対外関係史と国内制度史の橋渡しをするものであり、書名にもなっている「外交制度史」という枠組みの有用性を示している(なお、第三部第二章の前提として、著者は尊経閣本『外記補任』の本文研究を行っているが、その成果は井上幸治氏の『外記補任』に生かされていることも参照)。
 ただし一点だけ指摘するならば、第一部第三章での給酒諸社の検討では、「難波館の成立」をより高く評価してもよいのではないか。なぜなら、倭の五王段階では倭王は冊封を受けているため、当然南朝・宋の使者は大和に入ると考えられ、それは給酒諸社が入京路に点在しているとの検討結果とも対応するが、六世紀以後の外交儀礼は難波館などの「館」で行われ、使者は大和に入らなくなること(田島公「外交と儀礼」〈『日本の古代七 まつりごとの展開』角川書店、一九八六年〉他)を念頭に置けば、著者が指摘された難波館の成立による入境儀礼の変化は、五〜六世紀における外交儀礼そのものの変化として位置づけることが可能であろう。
 以上のように、著者の諸論考は示唆に富み、評者も含めた後学の者を直接・間接に益するものである。今後も著者の研究が進展することを祈念したい。
(ひろせ・のりお 日本学術振興会特別研究員)



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