小泉吉永編『庄屋心得書 親子茶呑咄』

評者:宍戸 知
「地方史研究」339(2009.6)


 江戸時代も半ばを過ぎると、村政を司る庄屋は、指導者としてその政治的力量・手腕が一段と求められるようになっていく。村では膨大な文書量の蓄積が示すごとく、村政に係る事務手続きも煩雑となり、庄屋になるには、一定の修練が必要とされ、見習役が設けられるところもあった。しかし、準備万端、庄屋に就けるならば幸せであったに違いない。庄屋を勤めていた親に急逝され、突如庄屋を勤めなければならなくなった場合、その者の苦労はひとかたならぬものがあったことであろう。

 このたび岩田書院から影印叢刊シリーズの第九冊目として刊行された『庄屋心得書 親子茶呑咄』は、そんな不幸な境遇におかれた者が、その実体験をもとに庄屋はどう勤めたらよいか、家長としてどうあるべきか、父親はどうあるべきか、を子孫に向けて論じた心得書、教訓書である。公開を目的とせず、あくまで子孫のために書かれた教訓書であるから、いわゆる家訓に分類しうるものであるが、書題は、家訓にしてはどこかユーモアがあり作者が酒ならぬ「茶」に酔って毎日、一家団欒の夕食後に家人に一方的に談じ聞かせてきた「さりこと(戯れ言)」をまとめたものという体裁となっている。

 本書は、編者小泉氏所蔵の「家風 親子茶呑咄」を底本とし、「解説」として小泉氏により作者についての深い考察、各章の概要ならびに各章の要点が五十頁にわたって付されている。「解説」によれば、本書は、但馬国気多郡の大庄屋西村次郎兵衛なる者の手によって安永八年(一七七九)五月に成立したもので、古書即売会に出品されているところを小泉氏が書題や興味深い内容に惹かれて偶然購入したものとされる。そのために、伝来の経緯やもともとの所蔵者などはわからないようであるが、作者直筆で、他に二つと見つかっていない「天下の孤本」であると述べられている。
 本文全体は三二二頁全二十六章で構成され、各章の目次表題は以下のようになっている。

 家業の恩を知る事/田畠免切相対致事/我分限を知る事/次男え分地之事/子供養育の事/隠居致す事/農家の商ひ害有る事/頼母子の人数差加る心得之事/金銀貸借・質物請判抔心得之事/奉加・勧化等附事/倹約致方の事/人と参会致す心得之事/下人召仕ふ心得の事/妻子衣類等に附申附方の事/家居普請、并諸道具の事/逼塞致方の事/諸芸の農家害多き事/酒宴の節心得有る事/身の治方心得有る事/朋友善悪の事/信心の致方心得の事/神祭福を祈る咄/訴訟致心得之事/堪忍致方心得の事/忌中致方之事/家系の咄

 内容は、庄屋の心得、倹約、つきあい、金銭貸借、信仰など生活全般にわたっていて、随所で次郎兵衛ならではのユニークな持論が展開されている。たとえば、凶作や飢饉時こそ田畑普請を行ってその雇い賃金で困窮者を救え、年貢割付の際は真面目な者や子供が多く生活が苦しい者には内証で手心を加えよ、過去十年間の平均収入の三分の二で生活せよ、奉公人が少し気に入らないからといってすぐに替えるな、等々、喩え話なども用いて具体的にとるべき態度とその理由を説明している。庄屋を勤めた者が子孫に向けて書いた教訓書は、他にも伊予の『庄屋手鏡』や肥後の『庄屋覚悟』などが知られるが、本書ほど人間関係の機微に心を配った庄屋心得書はないのではないだろうか。
 「百年に一度の大不況」とも騒がれる今日この頃であるが、本書は現代社会にも多くの示唆を与えてくれるように思う。次郎兵衛の個性のある筆致を味わいながら、先人の知恵に耳を傾けてみてはいかがであろうか。



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