藤木久志・小林岳編『山間荘園の地頭と村落 丹波国和知荘を歩く』

評者:白水 智
「日本歴史」731(2009.4)


 サブタイトルにあるように、丹波国和知荘という−荘園を対象にフィールドワークを行い、中世から近世にかけての様相を分析した論文集である。そもそも本書の中心的テーマであり、和知というフィールド選定のもとになったのは、片山氏という鎌倉期の西遷御家人であった。
 承久の乱の勲功地として同荘を与えられた武蔵国の御家人片山氏は、その後領家仁和寺との下地中分を経て在地に根を張り、南北朝・室町期の動乱も乗り切って、やがて稀有なことに、近世にはそのまま百姓として現地への土着を果たす。そしてさらに稀有なことには、今に当地に居住する片山氏の許には、鎌倉期古文書の案文を含む中世文書・近世文書が残されてきた。多くの僥倖に彩られた魅力的なフィールドということができよう。
 果たして片山氏はどのように動乱を乗り越え、どのように所領を経営し、どのように土着を果たしていったのか、そして今に残るかつての地頭家の痕跡は、というのが本書の目論む課題であった。編者の一人小林一岳の言葉によれば、「村々や地域社会の視点から、在地領主とされる彼らの姿を明らかにすること、つまり「在地」の持つ意味について真摯に考え直すこと」を目指したとある。そしてここに十本の論文を集め、中世を中心とする片山文書の写真・片山文書一覧を付録として一書が編成されている。
 ここで本書の構成を書き上げておく。

 はしがき                         (小林 一岳)
 第一部 和知荘と地頭片山氏
  第一章 片山文書の世界                 (小林 一岳)
  第二章 仁和寺・九条家と和知荘             (櫻井  彦)
  第三章 和知荘における下地中分と地頭片山氏       (蔵持 重裕)
  第四章 室町期片山氏と一宮・八幡宮           (松本  保)
  第五章 室町〜戦国期の和知荘と片山氏        (黒田 基樹)
 第二部 片山氏と村落
  第六章 和知下荘の百姓と片山氏             (窪田 涼子)
  第七章 株のある村−和知荘安栖里村に関する一考察−(遠藤ゆり子)
  第八章 和知下荘中村にみる片山株と村落       (長谷川裕子)
  第九章 上下和知荘の結節点升谷地域と土豪野間氏 (増山 智宏)
  第十章 和知の山論 (藤木 久志)
  付 録 片山文書
   一 主要写真
   二 文書一覧
 あとがき                         (藤木 久志)

 本書の課題とするところは本来、大きく分けると西遷御家人の在地土着化の過程に関わる問題とそれに絡めた近世以来「株」の問題、そして山間荘園としての在地支配・経営の実態の二つであったとみてよいだろう。しかしながら、与えられた紙幅ですべての論考についてコメントを付することはできず、また論点も広げられないので、ここでは後者の視点、すなわち山間荘園としての特質という、本書を特色づける一つの観点からのみ論評を加えてみたいと思う。

 和知荘域は九割以上が山林で占められた山間地で、小林が「はしがき」に「私たちは、山の荘園や山間村落の研究を進める中から、この和知荘とそこに移住した片山氏に興味・関心を持った」と書いているように、本書はそこが山であることを意識した論文集であるといえる。とすれば、山であるがゆえに平野部と異なるどのような展開や特徴があったのか、それを知りたいところである。しかしながら、書名とは裏腹に、山の問題を直接にテーマとした論文は第十章の藤木のもの以外にはないといっていい。藤木は十七世紀に起きた八件の山論を分析し、実力行使の実態・提訴の形態・内済の実情などを分析している。ただ本書全体で見れば、全体に山を見る視点は後景に追いやられた印象で、この点は残念といわざるを得ない。もちろん端々にそこが山間地としての条件をもつことには触れている。しかしそれ以上の深まりが見られない。
 第九章の増山論文は、升谷地域の土豪野間氏について、「田畠を所有する色彩よりも、その境界地域の山林を所有する色彩が強かった土豪である」とし、「山林と深い関わり」があったと述べて、山間地ならではの生産や流通・交通の問題に触れようと志している。その点は共感できるのだが、どのように「深く」関わったのか、その中身が充分には語られない。野間株が山林共同所有の組織として形成されてきたかのように述べてもいるが、その点も充分立証されたとは言い難い。
 遠藤も立地環境から「畑作や養蚕、林業が主な生業であったものと思われる」と述べ (傍点白水。以下同)、長谷川は中村について「山がちな村」で「生業としては、農業とともに、林業も行われていたと考えられる」と述べているが、しかしそれはあくまで前振りとしての記述で、それ以上に深まるものとはなっていない。山の生業は林業だけにとどまるものではないし、「山がち=林業」というだけではあまりに皮相な連想にとどまる。そもそもここでの林業自体、何をイメージしているのか明確ではない。林業といっても、大規模伐採を行うようなものから、家族経営で営む小規模なものまで、また屋根材となる細かい割板を生産するものから、柱材などの大材を伐り出すものまで、その内実もさまざまである。遠藤は、近世鐘打山相論で桑木伐採が、高たらび山相論で杉・檜・松伐採が問題化しているので、それら木材の採取がわかるとしているが、単に一時的な自家用伐採の問題なのか、広く商品としての伐採が拡大していたのかなど、掘り下げた議論にはなっていない。
 両者ともに林業の問題が主テーマではないので、これ以上に検討していないのは仕方のないことではあるが、本書全体として「山」への関心がごく薄いことは否定できない。中世文書では充分果たせなくとも、在方の近世史料調査によってある程度の実態が明らかにできたのではないかと思うし、それをもって中世への推測の足がかりにすることなどはできなかったであろうか。現地も調査の姿も知らない評者のない物ねだりではあるが、上記の点では、書名に即した掘り下げがあってもよかったのではないかと思う。

 しかしながら、タイトルの「山間」にこだわらなければ、一つのフィールドにこだわり、手弁当での調査わずか数年にしてこうした一書に成果を結実させたことは敬服に値する。今に続く西遷御家人の後裔から中世を辿ることは興味深く、その点では魅力的な論考が多数収載されており、ご一読をお薦めするに足る論文集である。

(しろうず・さとし 中央学院大学法学部 准教授)



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