胡桃沢勘司編著『牛方・ボッカと海産物移入』

評者:青木 隆幸
「信濃」61-3(2009.3)


 編著者(以下、便宜上「著者」で統一する)胡桃沢勘司氏は、一九五一年松本市生まれ。専攻は日本交通史。文学博士。現在は近畿大学文芸学部教授、交通史研究会委員である。農民の牛馬による輸送など、中近世の民間交易を主な研究テーマとし、主著に『西日本庶民交易史の研究』がある(二〇〇〇年)。
 本書の原型は著者の単独論文一〇本と二本の共同執筆論文であるが、刊行にあたって著者自身による丁寧な加除訂正が施されており、論文集にありがちな重複や冗長な繰り返しがみられない。構成も工夫されており、たいへん引き締まった著作に仕上がっている。
 本書は、近世から近代にかけ北陸から信濃へ海産物を運び込んだ二つの交易路(千国街道・飛騨街道)を取り上げる。とくに、ボッカ(歩荷)と呼ばれる運搬者の生活とその歴史的役割の解明に多くの頁を割いている。書名から本書が扱おうとする時代・地域・テーマを読み取ることは難しいので、煩を厭わず、本書の構成を示しておきたい。

第一編 越後経由の移入路
 第一章 千国街道の様相
  先学の業績/信越間の輸送物資/経路/輸送制度/
  輸送形態と輸送技術/ボッカの生活/ボッカの消滅過程
 第二章 輸送機関をめぐる問題
  ボッカの位置づけ/人担輸送機関の性格把握/牛方の塩輸送
第二編 飛騨経由の移入路
 第一章 野麦街道の様相
  「飛騨ブリ」の道として/牛方の活動/ボッカの活動
 第二章 越中・南信濃との接続
  飛越国境地帯/南信濃を目指す道
 特 論 年取魚としてのブリ
  ブリ荷の発生/塩ブリの製法/儀礼と形態

 一見して明らかなように、対象地域にアプローチする著者の視野は広く、それは歴史学はもとより、地理学、民俗学にまで及んでいる。これら三つの学問が、それぞれ異なった方法論を持つことは周知のことであり、慎重さを欠いた〈越境〉がもたらした〈悲劇〉の数々も、また私たちがよく知るところなのだが、本書では、学問領域を隔てるこうした壁を越える際に生まれる〈きしみ〉のようなものがどこにも感じられない。筆者は実にしなやかに境界を往来し、街道を生きた者たちの実相に迫ってゆく。おそらくは筆者の資質に由来するのであろうが、その手慣れた手法は、文献史学の世界に胡座をかくことをよしとしない筆者の毅然とした姿勢からきている。恩師宮本馨太郎とともに、幾度も現地を歩く経験の中で獲得された、類まれな能力ということもできよう。
 私がとくに感銘を受けたのは、豪雪地帯を抜ける二つの街道の、経路とその変遷を、積雪期を想定しつつ丹念に探査している点である。当然のように思えるこの観点が従来の文献史学では欠けていたし、民俗学では人・牛・馬で構成される交易網の構造を歴史的・地理的な視点から解明しようとする視点が欠落していた。
 末尾に「特論」として置かれた「年取魚としてのブリ」には、年取魚としてブリを食する松本平に育った著者の体験が大きく影響している。ブリを言い表す際に付けられる「生」と「塩」の違い、あるいは調理法にとことんこだわる調査は、ネイティブなればこその切り口であり、説得力を持つ。五〇頁をこえる特論が、「松本平では、年取儀礼になぜブリが欠かせないのか」という、幼い頃に抱いた疑問(驚き)に端を発していることは間違いない。「小さな驚きは大きな発見の第一歩」なのである。
 先程も述べたように、本書は一二本の論文をベースに構成されている。もっとも古い論文が一九七八年、直近のものが二〇〇一年である。多くは一九八〇年代に執筆されており、『信濃』に掲載された論文もある。二〇余年にわたる著者の信州交通史研究の集大成と位置づけることができよう。学説史の整理も的確になされており、また今では簡単に閲覧できない雑誌に掲載された論文も収録されている。近世信濃の交易史を研究するには欠くことのできない好著である。
 とはいえ、直近の論文ですらが今から一〇年近く前である。「何故今刊行なのか、その意義は」と、発刊の企図をいぶかる向きも少なくない筈である。筆者の弁を聞こう。 

「諸編のなかには初出から三十年以上過ぎたものも有って、「研究成果を問う」との意味合いは最早薄くなっている。そのようなものを集成して一冊としたのは、各編に盛り込んだ資料には、今なお学術的価値が認められるのを、再認識したからにほかならない。資料の中核は古文書と伝承だが、古文書のなかには他では活字化されていないものも含まれている。伝承は、語ってくれた古老の他界により、再録不可能となったものも多い。古文書の閲覧・伝承の記録を快くお許しいただいた方々のご厚意に応えるには、これらが、より広範に活用されるよう、形を整えていかなければならないのである。」(はしがき)

 千国街道にせよ、野麦街道にせよ、ボッカや牛方の役割は国道や鉄道などの新交通機関の発達とともに、明治期以降急速に消滅していった。現在、その姿を見ることはない。そもそもボッカや牛方自身もある時期の交通機関の革新によって発生したものである以上、それは避けられないことなのだが、その消滅過程があまりにも早かったために、そして社会全体が「進歩」に目を奪われ、絶えていくものに暖かい眼差しを向けなかったために、ボッカや牛方の記録は十分な形では残されることがなかった。筆者が街道に入った一九七〇年代ですら、「体験者はもちろん実見した人でさえも現在では数少ない」状態であった(八九頁)。ボッカにまつわる思い出話を聞かせてくれたのは「古老達」だった(一〇二頁)。
 あれから四〇年。「伝承は、語ってくれた古老の他界により、再録不可能となったものも多い」。筆者は、いわば近世信濃交通史の最後の〈現場〉に立ち会ったということになろうか。ボッカの行動圏や生活ぶりを調査する筆者は、荷杖や衣服、履き物などの小さな道具一つひとつに、あるいは歩行法にまで執拗にこだわる。そうすることで、失われていくモノと人の「生活の匂い」を必死に書き留めようとするのである。ボッカや牛方の生活に割かれた多くの頁を、私はたいへん興味深く読み通すことができた。本書は、その意味で貴重な民俗学の調査報告書である。
 ただ、筆者の問題関心が「記録する」ことのみに向けられていないことは次に上げる二つの文から明らかであろう。

「(ボッカのような人担輸送機関は)系譜的にはかなり古いものだと言えよう。柳田国男がボッカの出立ちと高野聖のそれには相通ずるものがあると説くことに学びつつ、ボッカ伝承そのものの古さを改めて考え直してみなければなるまい。果たして伝承のどの部分が、かくも遠い時代まで遡りうるのだろうか。」(一四五頁)

「筆者が「生ブリの実態」にこだわるのは、いくら冬季だとはいえ、これが文字どおり刺身にでもできるような無塩であったとは考え難いからである。「生ブリ」とは言うものの、塩は加えられていたのであろう。……近世、年取用として信州に搬入されたブリは「生鰤と表現される甘塩の塩鰤」であったと考える。……近世、人々は年取魚に生物を望んだものと思われる。年間でもっとも重要な儀礼に際し、「生」ということに特別の意義を感じていたからであろう。甘塩のものであるにもかかわらず、あえて「生」と表現した所以ではなかろうか。とすると、それを「塩」と表現するようになったのは、人々の特別な意義に対する認識が薄れたからだということになる。この特別な意義とは果してどのようなことであったのか、またそれに対する人々の意識は何故薄れてしまったのか、その時期は何時頃のことだったのか、考慮すべき事柄は多い」(三二六頁)。

 柳田国男の名著『明治大正史世相編』を彷彿とさせる。文化人類学の領域までをも視野に入れた広い問題意識であり、かかる内容を有する本書を論評する力はもとより私にはない。しかし、筆者が本書刊行にあたって、「『研究成果を問う』との意味合いは最早薄くなっている」と述べるのは謙遜であろう。私が知る限り、筆者の業績や問題意識を乗り越える斬新な研究が近年世に問われているとは、到底思えない。本書はけして「歴史的遺物」ではないと考える。近世日本の交通史を学ぶ研究者にとってはもちろん、歴史学・地理学・民俗学の境界を自由に〈越境〉する〈知〉を模索する者たちにとって、それは今も新しい。歴史学を筆頭に、人文系の〈知〉の多くがこぞって、自らを限りなく自己限定し、学界が急速に「蛸壺化」しつつあるこの時代、本書刊行の意義は大きい。



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