天野武著『野兎の民俗誌』
掲載誌・北国新聞(2000.8.22)


<野兎を追って> 天野武
 このほど、新著「野兎の民俗誌」を発表することができた。卯(兎)年にあたる去年のうちには成稿をみていたものの、添付資料の一、二が整わず、ついつい遅れてしまった。資料整理を不得手とする自分を恥入るばかりである。
 小著は、全国的視野に立ってまとめたものの、飛騨地方を主眼にしており、隣接する美濃(岐阜県)越中(富山県)加賀(石川県)越前(福井県)の資料を補う構成をとった。野兎狩りのことはもちろんのこと、野兎の異名・特殊名、野兎除け、野兎に関わる地名、俗信、猟果の利用の仕方、など多面にわたって掘り起こした諸資料を提示した。
 山国飛騨ではさすがにウサギナミ(波頭がくだけて白っぽく飛ぶ様を形容する表現)のことは伝えられていなかった。能登外浦で生まれ育った私には、この点が地域の民俗差ではないかと解された。その反面で新鮮に感じられたことが少なくなかった。一期一会の機会を大切にしたこと、それに呼応するように借しみなく語っていただいた人々たちのこと、などが自然の風物とともに蘇ってくる。
 野兎を捕るための投げ飛ばし用特製猟具をシュウタン、ヒュウタンと呼んできた話題におよんだことがあった。一瞬、この古老の言を疑ったほどで、驚いた。なぜなら、シュウタンという呼称はシュート(投げる)と夕―ン(戻る)という英語の合成語とも受け取れるからである。こうした山間にどうして外来語に由来することばが分布しているのかと。かく解することがいかに早とちりであるかは、幸い直ぐに判断できた。なぜなら、この両白山地で確誌できた表現は、それに連なる白山麓(石川、福井県)のシブタ、シュウタという呼称と同じ系統の用語であると理解できるからである。多分、猟具を投げ飛ばした際に発する擬音に由っているのだろう。
 野兎ネクビ(寝首)、ヤマノダイコン(山の大根)、ツイハギ(継接ぎ)、ヒヨコ(雛)などの異名で呼んでいることが注目された。これら異名と、ビヨンタ(美濃・明宝村)ホトケニクマレ(美濃・藤橋村)ツキノツカイ(越中・上平村)チョンコ(能登・柳田村)バイ(加賀・小松市)ヤマノカブラ(越前・勝山市)などのそれと対比してみるとき、いかにも地域的特色が感じられた。ただしこれら呼称の具体例はいわゆる死語化していることは否めず、今後類例の掘り起こしは期待できそうにない。
 野兎と人々との共生関係が大きく損なわれているのが飛騨の現状であった。そうした傾向は全国各地の里山において聞かれることである。野兎の姿が往民の前から消え、四肢跡や糞などを見かけがたくなっているのが実想だ。これが一過性のことなのか、それとも自然環境の変化に伴う結果なのか。野兎にかかわる伝承を語り継ぐ上でも、今それを可能な限り記録することに意義があるだろう。
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