垣内和孝著『室町期 南奥の政治秩序と抗争』

評者:黒嶋 敏
「歴史学研究」839(2008.4)


 T 本書の構成

 1429年4月,新たに室町幕府将軍に就任した足利義教は,前将軍義持の遺品を南陸奥の足利満直と石橋・白河・伊達・蘆名の各氏に送った(「満済准后日記」「足利将軍御内書并奉書留」)。幕府との対決姿勢を強める鎌倉公方足利持氏を牽制するため,持氏の叔父で篠川公方と呼ばれた満直を親幕府方の鎌倉公方候補として位置づけ,周辺の有力諸氏をその支えとするためである。将軍と鎌倉公方の対立により,南陸奥(南奥)は極度の緊張下に置かれていた。
 その南奥をフィールドに室町期の政治的様相を描き出してきた垣内和孝氏の論考が一書にまとめられた。簡単に内容を紹介しよう。

 序章「南奥中世史の構想」では陸奥中世史の中での本書の射程が明示される。室町期の南奥(現在の福島県とその周辺)は北の奥州探題秩序と南の鎌倉公方秩序の境目に位置し,永享12年(1440)の篠川公方満直の滅亡を契機として,国人領主が戦国大名へ生まれ変わる戦国的様相へと変貌を遂げていく。
 まず第T部「南奥の政治秩序」で室町的秩序を確認する。第1章「篠川・稲村両公方と南奥中世史」では篠川公方と稲村公方(足利満貞)という上位権力が,白河氏依存の権力構造を持っていたことを明らかにする。篠川公方の居館を現地調査した付論1「篠川御所の現況報告と復元試案」,郡山周辺に城館が集中する様子を描く付論2「城館よりみた室町・戦国期の郡山」により,篠川公方の拠点となる地域の特性を指摘する。第2章「二本松畠山氏と塩松石橋氏」では奥州管領の系譜を引く二氏が,奥州探題大崎氏の南奥支配を補完したとする。須賀川二階堂氏を検討した第3章「須賀川二階堂氏の成立」では,二階堂氏下向の理由を永享以後の政情不安に求め,下向以前の様相を付論3「鎌倉・南北朝期の二階堂氏」で検証する。
 つづく第U部「南奥戦国大名の成立」では,篠川公方滅亡により実質的に上位権力不在となった南奥において,戦国的様相が生まれる過程を描く。第4章「戦国大名岩城氏の誕生」は15世紀における岩城氏の内部抗争から,白河氏の影響力を排除して岩城氏が自立すると説く。第5章「戦国大名蘆名氏の誕生」も蘆名氏権力形成過程の中に15世紀の内部抗争を位置づけ,やはり白河氏からの自立が戦国大名蘆名氏誕生の前提になったとする。その白河氏については,第6章「白川氏・小峰氏と「永正の変」」において,白河氏二頭政治体制克服の契機として内紛「永正の変」を評価する。付論4「白川氏「天正の変」の再検討」では,白河氏における16世紀のもう一つの内紛「天正の変」について,天正3年(1575)説を展開。
 第V郡「田村氏と伊東氏」では篠川に近い田村荘・安積郡の各領主を検証する。通説では別族とされてきた田村庄司系田村氏と戦国大名田村氏を同族と整理した第7章「田村氏と蒲倉大祥院」,戦国大名田村氏の権力基盤を分析した第8章「戦国期田村氏の権力構造と家臣団構成」,安積伊東氏の系譜を考察した第9章「伊東氏の歴代と本拠」,安積伊東氏の庶流や重臣を探る第10章「中世安積郡と伊東氏・相楽氏」により,地域の情勢がきめ細やかに浮かびあがる。
 一部に新稿を含み,既発表のものも章末に補説を付して最新の研究状況や批判に対するコメントを掲げており,読者の理解を助けている。

 U 南奥の政治秩序

 15世紀の南奥は,前後の時代に比して希薄な印象しか持たれないのではないだろうか。それは良質な文献史料の乏しさに起因している。史料がないという,文献史学にとって最大の難関を,見事にクリアしているのが著者垣内氏の研究の魁力である。
 残された中世史料については丁寧かつ緻密に読み込み,逆に雄弁なあまり無批判に利用されてきた近世史料については徹底した吟味を繰り返して歴史情報を析出していく。これまで郷土史研究で取り上げられるばかりだった各種系図類や『藤葉栄衰記』などの近世軍記を研究素材として活用できているのは,著者の文字史料に対する真摯な姿勢があってのことだろう。
 一方では,歴史資料としての城館を解析するフィールドワークを駆使したり,考古学の発掘調査にも目配りを忘れずに,それらを検証素材として十二分に活用させていく。これは地元郡山市で発掘調査に従事している著者ならではの成果であり,まさに地に足を付けた実証的研究手法といえよう。
 こうした著者による着実な研究により,二階堂氏の系譜や両田村氏の関係など,それまで通説となっていた南奥中世史について書き換えられた部分は少なくない。じつは評者も,著者の研究が発表されるのを心待ちにしている一人でもある。それだけに評者の役目は適当ではないのだが,あらためて一書にまとめられたことで見えてくるいくつかの疑問点について,雑駁ながら以下に記していきたい。

 まず気になるのは篠川公方足利満直の位置づけである。
 著者も述べるように,篠川公方の時代,南奥が政治的緊張下に置かれていたことは間違いのないところであろう。しかし白河氏依存の権力構造を強調するあまり,篠川公方を「幕府と鎌倉府の対立が生んだ徒花」(本書38頁)と評価してしまうことには疑問が残る。白河氏依存の証左として,篠川公方の発給文書の大半が白河氏宛であることをあげるが,同時期の周辺諸氏と比べ抜きんでた白河氏の文書残存数を考えると,いま少し慎重な検証が必要であろう。実態のなお不明な稲村公方(足利満貞)とともに,両公方が鎌倉公方と全く同じ様式の文書を発給していたことからすれば,「徒花」の評価は尚早にすぎはしまいか。
 さらに,南奥の政治秩序形成に関して,室町幕府の存在感が小さく描かれているように思えた。対立する鎌倉府を牽制するため,幕府は東日本の諸氏を京都御扶持衆として取り立てていくが,冒頭に掲げた伊達・蘆名・白河の三氏は南奥における京都御扶持衆の代表的存在であった。南奥諸氏はおもに細川氏を取次として幕府と通じ,塩松石橋氏と同族の京都石橋氏がそれをフォローしていた様子もうかがえる(「満済准后日記」)。佐竹氏のように親鎌倉府的な本家とは別に庶家を京都御扶持衆に取り立てたケースもあり,幕府の露骨な介入により在地の政治秩序が変容していったことは想像に難くない。本書では応永期の岩城氏の抗争理由として幕府・鎌倉府の対立に触れるが(第4章),京都御扶持衆への言及は限定的で(本書88頁),史料的制約もあるとはいえ,著者の見解が明確に示されてはいないのは残念である。
 15世紀中期の岩城氏・蘆名氏の上位権力として描かれてきた白河氏についても,本書では言及されないが,享徳以後の関東争乱に対処するため,南奥を特別編成する必要にかられた幕府による後援があった。本書では,白河氏の影響力の大きさを強調し,そこからの自立を岩城氏・蘆名氏の戦国大名化の契機と見なすが,それならばなおのこと,永正の変以前の白河民権力について,白河家文書に稠密に残された幕府関係文書を踏まえた再検証が成されるべきではなかっただろうか。
 南奥の上位権力として著者が想定しているのは,鎌倉公方(古河公方)と連枝の篠川公方であるようだが(本書13頁ほか),政治秩序を考える場合には室町幕府も組み込み,時々刻々と変貌する幕府政治史と幕府の南奥支配をリンクさせることで,より重層的かつ立体的に理解することができるように思われる。

 V 抗争から戦国的状況へ

 本書第二部では岩城氏・蘆名氏の内紛を丁寧に検証することで,南奥は白河氏の影響下を離れ戦国的様相の時代を迎えていくとする。だが,「白河氏からの離脱」=「戦国大名の誕生」という問題設定にはやや戸惑いを覚える。南奥における上位権力が事実上不在になることを著者はそのひとつの根拠としているが,第4・6章では比較対象として天正期の様相が例示されており,15世紀中期の抗争から16世紀後半の戦国的状況までを俯瞰するには,なお検証すべき課題が多いと言わざるを得ない。そもそも最大の実力者であった白河氏ですら家系交代の実相についていまだ定説を見ていないように,諸氏内部の家督継承も不明な点が多く,天正期の各家の政治的枠組みを固定的にトレースしてしまうことには性急な印象を受けるのである。
 また,15世紀中期から16世紀後期にかけて各地では抗争が断続的に続き,南奥が地域的なまとまりを持って立ち現れるのは戦国最末期の伊達政宗による進出を待たなければならない。こうした状況下で,本書が設定した「南奥」という地域概念の有効性にも言及されるべきではなかっただろうか。現在でも福島県域は,会津・中通り(仙道)・浜通り(海道)というそれぞれに個性的な3つの地域に分かれている。各地域が戦国的様相を帯びていく過程でどのように連携していったのか,そして周辺地域とどのように結ばれていたのかが示されれば,読者が南奥の地域性を理解する手助けとなったことは間違いない。
 それは,より具体的には各地域を結ぶ物流の問題でもある。本書の随所で示される歴史地理学的手法による城館調査では丁寧な図が掲載されているのだが,それぞれの城館がどのように連携していたのかは必ずしも明らかではなく,せっかくの貴重な成果が読者に伝わりにくい。各城館をつなぐ水運・陸運のみちが例示されたら,抗争の時代としてより鮮明な歴史像を結ぶことができ,その過程で南奥の特殊性を追究することも可能となるのではないだろうか。

 以上,実り多い本書の内容に比してあまりに狭い視野からの妄言を連ねてしまった。著者の御海容を願うばかりである。
 南奥中世史研究の基礎となっていた『福島県史』の刊行から40年が経とうとしている。本書は新たな南奥中世史研究の地平を切り開くとともに,文献史料の乏しい地域でも,手法を駆使すれば豊かな歴史像を浮かび上がらせることが可能となることを示した一書でもある。ぜひ多くの読者が手にされることを期待して,擱筆したい。



詳細 注文へ 戻る