垣内和孝著『室町期南奥の政治秩序と抗争』

評者:小国 浩寿
「中央史学」32(2009.3)


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 本書は、この十年の間、居住する福島県域の中世史解明に精力的に取り組んできた著者の、その貴重な成果を編んだ待望の論文集である。
 また、特にそれは、書名に明示されているように、室町期という時期、及び南奥という地域に足場を築きつつ、中世の同地域における領主の権力をめぐる問題や領主間の秩序のあり様を政治史的な観点から探究したものである。
 さて早速、その構成を掲げておく。

 序章 南奥中世史の構想
第T部 南奥の政治秩序
 第一章 篠川・稲村両公方と南奥中世史
  付論1 篠川御所の現況報告と復元試案
  付論2 城館よりみた室町・戦国期の郡山
 第二章 二本松畠山氏と塩松石橋氏
 第三章 須賀川二階堂氏の成立
  付論3 鎌倉・南北朝期の二階堂氏
第U部 南奥戦国大名の成立
 第四章 戦国大名岩城氏の誕生
 第五章 戦国大名蘆名氏の誕生
 第六章 白川氏・小峰氏と「永正の変」
  付論4 白川氏「天正の変」の再検討
第V部 田村氏と伊東氏
 第七章 田村氏と蒲倉大祥院
 第八章 戦国期田村氏の権力構造と家臣団構成
 第九章 伊東氏の歴代と本拠
 第十章 中世安積郡と伊東氏・相楽氏

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 では次に、この三部・十章・四付論によって構成された論考群の内容について、その視点と方法論に留意しながらそれぞれ簡単に触れていこう。
 まず、序章において著者は、三部構成の意図・主題・対象と各章の内容について簡単に触れた後に、地域及び時期区分という視点から、本書のメイン・キーワードである「南奥中世」に関する自己認識を披歴している。それによると、「南奥」とは、現在の福島県域から宮城県の南部を示し、その南部は当時の鎌倉公方や古河公方を中心とした秩序、一方、北部においては、奥州探題大崎氏のそれとの政治的関係が深く、当地域が「地政学」的にその両者の境目に位置するとの見通しを述べると共に、中世南奥における政治史的な大きな画期として、前期では文治五年(一一八九)の奥州合戦、そして後期では、永享十二年(一四四〇)の篠川公方滅亡を揚げている。

 さて第T部であるが、三章・三付論で構成されたこの部は、南奥の室町的な政治秩序の形成を主題としたもので、第一章で、応永六年(一三九九)に安積郡篠川と岩瀬郡稲村に下向した篠川・稲村両公方の権力が、南奥の有力国人である白川氏に大きく依存していたことを強調した上で、考古的成果からこれを補完すべく二篇の付論が付されている。それは、付論1が篠川公方の居館である篠川御所の復元を試みる一方で、付論2では、南奥羽、特に現郡山地域の城館跡発掘調査の現況を手掛かりに、室町期においては重要な政治的軍事的拠点であった当地域が、戦国期には、主に境目の性格を強くしていたことを指摘したもので、筆者自身が述べるごとく、このユニットが、本書の出発点と位置づけられる。
 また、第一章が、篠川・稲村両公方という室町期鎌倉府体制下の地域権力を取り上げたのに対して、奥州探題との関係を深めながら、その滅亡後における同地域の秩序形成に関わっていった有力領主の動向を丁寧に跡付けたのが、第二章と第三章である。そこでは、前者で、永享の乱・結城合戦を契機とした両公方の滅亡後における南奥において、他の一般国人領主とは異なる特殊な経歴を有する二本松畠山氏と塩松石橋氏が、大崎氏を中心とした奥州探題体制のなかで高い格式を保持していたことを摘出し、後者においては、諸系統ある二階堂氏の系譜を丁寧に整理しながら、須賀川二階堂氏の成立過程を検証した結果、その転機が、文安元年(一四四四)に鎌倉より下向した為氏による在来二階堂氏の打倒にあると断じ、さらに、付論3を付して、第三章の前提をなす鎌倉・南北朝期における二階堂氏と岩瀬郡を概説している。

 また、三章・一付論立てで、南奥における戦国的な枠組みの形成過程の様相を、岩城・蘆名両氏と白川氏の動向から描き出したのが第U部であり、各章は、以下の内容を有している。即ち、第四章で、応永期、嘉吉〜文安期、寛正〜文明期という十五世紀における三つの抗争事件を通して、戦国大名岩城氏の誕生の前提を描出する一方で、第五章では、『会津塔寺長帳』などその関係史料の丁寧な照合作業から、十五世紀後半の蘆名氏の政治的動向における宝徳・享徳期及び長禄期の重要性を顕示することなどを通して、岩城・蘆名両氏の戦国大名としての脱皮の試金石が、共に白川氏からの自立にあったとを確認した上で、今度は、その白川氏の衰退期を第六章で取り上げる。それは、従来、白川氏の勢力衰退の大きな転機とされてきた永正の変と天正の変の内、特に前者を正面から取り上げたもので、その背景にある、古河公方家の内訌との連動という室町的様相の残存を確認しつつも、この変が、白川・小峰両氏によるそれまでの二頭体制的なあり方を清算・一本化したものとて、その積極面を強調している。またさらに、続く付論4では、『伊達輝宗日記』を活用してもう一方の天正の変を再検討し、天正三〜四年のこの抗争が前年の抗争の反動としての性格を有し、それが前の永正の乱の後遺症であると、著者は評価する。

 そして、四篇の論考をもって編まれた第V部では、本書で度々触れられてきた白川氏の強い影響下にあった、仙道地域の田村・伊東両氏の動向を追及するためにそれぞれ二篇を配し、そこでの分析を通して、T・U部の成果を豊かなものにしている。
 まず第七章で、これまで別族とされてきた、田村荘司と戦国大名田村氏との関係を再検討し、両者を同族として連続して捉えるべき存在であることを強く主張し、第八章では、『田母神氏旧記』や『田村家臣録』による田村氏家臣団の復元と彼らの代表的な城館のあり方の分析から、戦国期の田村家中が、室町期に結ばれた一族一揆を母体として形成された可能性を示唆している。一方、伊東氏については、第九章で、関係史料が限定的な同氏を正面から取り上げ、その惣領家の系譜と本拠について文献史学、考古学、歴史地理の観点からそれぞれ検討を加えてその全体像を描出し、さらに第十章においては、伊東氏の庶流大槻伊東氏とその重臣の相楽氏(近世大槻村の名主家につながる中世大槻村の村落領主)に文献・考古両面から検討を加えることにより、当地域の中世・近世移行期の一様相を提示している。

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 さて、このような内容をもった本書のメリットの第一は、在地の「マイナー領主」への照射であろう。中世後期の南奥に関する論考においては、周囲の領主に対する影響力が大きく、史料も比較的豊富な伊達氏や白川氏などにその対象が偏りがちであるが、本書は、白川氏を極めて重視しつつも、二本松畠山氏、塩松石橋氏、須賀川二階堂氏、岩城氏、蘆名氏、田村氏、伊東氏など周辺の領主の一般的動向ばかりでなく、その内部事情にまで細やかな視線が注がれており、白川氏を一つの磁場とした、当該期の南奥の世界を描出するに有益な素材群を、我々に提供してくれている。
 また、分析方法論的にも見るべきものがある。それは、第十章に象徴的に表れているように、政治史的観点に基づきつつも、文献史学的方法論に止まらず、考古学や歴史地理の成果を活用するなど、分析方法の多様さと中・近世移行期まで見通す時系列的な視野の広さであり、そこには、これまで築いてきた著者の有為な学問的基盤が存在する。具体的には、著者は、これまで多くの遺跡発掘に携わってきたことにより、方法論的に分析対象への複眼的アプローチを自然にこなし、そして、元々の専攻が古代史であったがゆえに、「中世史」に沈酔することなく長いスパンで物事を思考できるのである。
 さらに、全体として堅実で慎重な論述が多い本書の中で、第七章に見えるように、論争的で重要な問題提起も行っており、ここでの「平姓田村氏」の位置づけに関しては、応永年間の小山若犬丸の乱のそれにも大きく関わり、室町初期の東国政治史の評価にさえ影響を及ぼす起爆力を有しているといえる。

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 一方、このような有益な本書においても、やはり、課題とすべき要素は含有されているように思える。
 その第一は、南奥諸領主間の関係性によって構築される政治的秩序構造の探求、という本書の中心的課題を改めて鑑みるに、全体的な印象として、過度ともとれる白川氏への視点の偏重が窺える点である。確かに南北朝期から室町期において、当該地域における白川氏の存在は大きなものがあり、この時期のこの地域に白川氏を中心とした磁場が存在したことは、評者も認めるところである。しかし、その内外の要因について、特に内的においては、たとえば、惣領白川氏と庶子小峰氏との相互関係の曖昧さを残したままで、その一族総体の圧倒的な存在性を既成のこととして論述する箇所が散見できるのである。結果、本書の大きなメリットである、多くの南奥領主の詳細な個別分析が、白川氏の動向に付随した形、または孤立した形となり、それぞれの章の間に相互連関性の希薄さを垣間見せることとなってしまっている。

 ただ、この課題に対する処方箋は、実は、著者の仕事の中に既に存在している。それは、第三章において著者が施した、南奥二階堂氏の系譜についての分析方法である。確かにそこでは、未だその一族間の相互関係の展開がみられないことによって二階堂氏の官僚領主としての特殊性がいま一つ摘出されていないなど、その系譜の錯綜性の提示にとどまってしまっている感はあるが、この堅実な仕事がもたらす堅固な基盤は、内部に複雑な一族関係を内包する南奥領主間の比較研究においては、極めて有用であると思われる。この分析方法を、白川氏を初めその周辺の各領主に延べて適用し、その上で各領主間の相互関係を展望したとき、本書で著者が明確に示した、白川氏を中心とした一つの磁場である南奥の在地世界を、より豊かなものとしてわれわれの目前に示してくれよう。

 そして、さらにそれを有機的に鮮やかなものとするために著者に要望したいことがある。それは、他の磁場、幕府、鎌倉府、奥州探題という当時の南奥情勢にさまざまな影響を与えた三つの磁場との動的関係性である。基本的史実の蓄積とそれへの確固とした位置づけなく安易に他地域との比較を試みれば、その像は、しばしば、磁力のより強い磁場に引っ張られたものになってしまうか、または、その反作用によって歪められてしまいがちであるが、社会的動物としての人間の営みによって形成された歴史過程自体が開かれた系である以上、その内部の自律運動だけでは、真の意味での地域性は位置づけられないこともまた事実であろう。
 すでに古代から近世まで縦軸で見通す基盤を有する著者ゆえに、評者は、今後におけるこの横軸の広がりへの展開を強い期待をもって望みたい。

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 以上、極めて雑駁な紹介に終始してしまったが、本書の有用性と可能性のほんの一部でもここに見出せれば幸いである。そして、読者におかれては、中世東国史研究のそればかりでなく、地域史研究のひとつの優良なテキストとしても、是非一度手にとっていただきたい。



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