高橋統一著『家隠居と村隠居―隠居制と年齢階梯制―』
評者・森本一彦 掲載紙(宮座研究4 99.1 )


本稿では、高橋統一『家隠居と村隠居-隠居制と年齢階梯制-』(1998 年 岩田書院)に関する書評を試みる。本書は、高橋氏の古稀にあたって出版されたものである。高橋氏は、年齢階梯制を軸に宮座の研究を進めてこられた。本書は、「家隠居と村隠居―隠居制と年齢階梯制―」「村落構造論と年齢階梯制―近代化と文化伝統をめぐって―」「社会学・民俗学と人類学―東洋大学ゆかりの人々―」の3部構成である。最終章については、評者の関心からはずれるので、本稿では扱わない。
「家隠居と村隠居―隠居制と年齢階梯制―」は、隠居を年齢階梯制という視点から分析を試みたものである。村隠居(=公生活の退隠)と家隠居(=私生活の退隠)は、竹田旦氏による分類である。そして、部分的に譲渡していくという半隠居が一般的であるとする。歴史的には、元々武士の習俗(戦国時代・15、6 世紀)であったものが、年齢階梯制を基盤とする村落杜会(江戸時代、近世)に受客されたとする。「隠居制の研究では、家制度としてだけではなく、年齢階梯制との関わりという、もう一つの視座も必要だと思うのである。」(P.9)としている。分家をインキョとよぶ事例を紹介し、竹田旦氏の「隠居分家」からの説明を示す。そして、「親夫婦の隠居は、そうした意味で当初は、単に長男(息子)夫婦との分居であり、世帯分れなのではなかったが。インキョという呼称は、隠居制を受容した当初、そういう世帯分居を指してもちいられ、後に家意識が次第に明確になるにつれ、分家を意味するようになったのてはなかろうか。」(P.10)と述べる。ここから、隠居を家継続型隠居と家分裂型隠居に分類する。家継続型隠居は、農村を中心とし、家産としての農地に結びついた家長権の譲渡と関係するという。
家分裂型隠居は、漁村を中心とし、家業成立条件脆弱・異世代間の別居志向が強いとする。家分裂型隠居は、隠居分家である。年齢階梯制は、各年齢集団が社会全体を通じて厳しい年長序列関係に置かれ、それが制度化している場合であるとする。また、年齢階梯制では、社会的役割の分担が見られる。つまり、青年(未婚)=労働・軍事、中年(既婚)=政治、老年(長老)=宗教・祭儀である。年齢階梯制を形態分類すると、若者階梯型と長老階梯型に分類できるとする。若者階梯型(若者組)は、漁村に見られ、共同体的な生産・労働に影響される。隠居分家との関係から「"異世代別居志向"は年齢階梯制が本来もっている一種の文化的な特性なのではなかろうか。」(P.18)と述べる。一方、長老階梯型(宮座)は、農村に見られ、共同体的一体性をともなう。「祭祀長老制」と呼ぶべきであるとする。そして、「家産としての農地が家長権と結びついているから、家の継続性を強化するための隠居を受容しやすい素地があったと考えられる。しかしながら、反面、長老階梯の比重が著しく強いために、それが家隠居を阻む要因として働いたように思われる。したがって、宮座では前述の村隠 居と同様に家隠居も受容されにくく、実際に隠居制はほとんど見られないのである。」(P.18)とする。2 類型を「宮座よりも若者組の方が年齢階梯制の原型により近い」(P.20)と述べる。
近代化と隠居制に言及して、「竹田旦氏のいうように家隠居と村隠居の間には簡単に割り切れない微妙な問題がもともとあって、上述の職業の多様化のような近代化の影響が、それをさらに複雑にしているのは確がである。」(P.27)としている。
「村落構造論と年齢階梯制」では、村落構造論について述べている。村落構造論は、昭和25 、6 〜30 年代に盛んになる。まず、戸田貞三氏・有賀喜左衛門氏等の同族論がおこる。これらの成果を受けて、社会学では、福武直氏が同族結合・講組結合の分類をおこなう。また、法社会学の磯田進氏は、家格型・無家格型の分類をおこなった。これに対して、社会人類学では、岡正雄氏が年齢階梯制を主張する。岡正雄氏の主張を受けて、「地域性=地域類型を基盤に、個々の村落社会に培われてきた民族的文化事象を『文化伝統 cltural traits 』と呼ぶことにし、それらの存続や変容を近代化との関連で考察するという立場で調査研究しているわけであります。」(P.47)と述べる。
年齢階梯制の概念については、「血縁ないしは家の原理とはおよそ違う人間誰しもがもっているところの年齢という要素を基準にして、杜会的なグルーピング、類別、あるいは結合をしていく、そういう一つの契機、原理」(P.48)であるとする。また、その分布は、一般的には牧畜民・狩猟民・焼畑耕作民に見られる。日本では、西日本、西南日本の漁村・漁撈社会である。
年齢階梯制の事例として、伊浜(若者階梯型)、多羅尾(長老階梯型)、今浦(女性の年齢階梯制)、石鏡(年齢階梯システム)をあげる。これらの事例から「漁村はやはり漁撈という生業活動に青年、若者のグループ、すなわち若者階梯が主として関わるので、どうしてもウェイトがここに強くなるのですが、農村部に参りますと、家単位の農耕になりますから、若者が生産活動に直接関与するっていうことは薄くなりますね。したがって、逆にお祭りのほうにウェイトがかかって、長老階梯のほうに重きがいくという形になるわけです。どうも日本の年齢階梯制に関して、今までは主に若者組にしか視点がいってなかったんだけれども、もう少し長老・年寄のほうにも視点をのばして考えていく必要がある、と思うわけです。」(P.76 〜77)としている。以上、高橋氏の著書の要約をしてきた。以下に、評者の感想を若干述べる。第1 点として、若者階梯型と長老階梯型をそのまま単純に比較できるのかということである。若者階梯型は生業・村運営などの実生活に対するものである。これに対して、長老階梯型は宮座を中心とする祭祀に対するものである。このように、違うものを単純に比較することには疑問をいだく。第2 点としては、年齢階梯制を基層文化と考えているが、そのように言えるのか。拙稿「伝統的村落における伝統と分業システム」(『京都民俗』第15 号)では、年齢階梯的集団を分業システムととらえた。また、年齢階梯制が成立するための条件として、一定以上の家の結集が必要であったことを指摘した。「年齢階梯的集団は、分業システムである。つまり、子供期=教育段階、青年期=肉体的労働、壮年期=村政・生業の中心、老年期=信仰の中心である。そして、そこにはライフ・サイクルや人口構成が反映している。」そして、「蕎原の杜会関係の特徴として、カイトとムラの二重構造が挙げられる。それは、村落形成の結果だと推測できる。カイトがより大きなムラヘと結集していったと考えられる。それとともに、カイトが結集するための装置を必要とした。それが、ムラを単位とする組織である。さらに、カイトがムラヘ結集することは、ムラの分業を可能にする。つまり、年齢階梯的な分業システムである。年齢階梯制が、生理的にもより合理的な分業システムであった。年齢階梯制を可能にする要件は、一定以上の戸数の結集である。」と述べた。年齢階梯制は、運営システムと捉えるべきであると考える。第3点は、宮座においては隠居が見られないとし、祭祀長老制とする点である。宮座の長老衆を権限をもったものと捉えている。この 点においては、高橋氏の隠居に関する定義が明確でないし、評者自身も隠居に対して明確な定義を持っていないので明言できない。しかし、長老衆を隠居と捉え直すことにより、宮座の再解釈の可能性があるのではないかと考える。たとえば、長老衆を宮座メンバーによる社会保障システムと捉えることも可能ではないだろうか。
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