胡桃沢勘司編著『牛方・ボッカと海産物移入』

評者:西海 賢二
「地方史研究」337(2009.2)


 胡桃沢勘司氏の前著『西日本庶民交易史の研究』(二〇〇〇年一二月刊・文献出版)の書評を日本民俗学二三七号(二〇〇四年)にさせていただく機会があり、その最後に「経済伝承を中心にした民俗学からの研究が少ない今日、本書は久しぶりに当たり前だが、「民俗資料」の重要性を提示した大著であることに疑いない。(中略)一日もはやく、東日本を中心とする鰤荷をめぐる「交易史」の研究がまとめられることを待望している。」(一一四頁)と認めてから七年にしてまさに「民俗資料」の重要性と「東日本の鰤荷」などを主にした著作が刊行されたことを共に喜びとしたい。
 本書は近世から近代にかけて、北陸から信濃へ海産物(鰤・塩など)を運び込んだ交易路には、越後経由と飛騨経由の二つのルートがあり、主として、牛方による牛背輸送と、ボッカによる人担輸送とに頼っていたことを検証したものである。
 第一編「越後経由の移入路」では、糸魚川・大町・松本のうち、大町以北を対象とし、牛方によっても通行不能な冬季の豪雪地帯の輸送を担ったボッカに重点をおいて昭和四十年代の半ばに調査した貴重な成果である。
 第二編「飛騨経由の移入路」では、野麦街道を中心にして、昭和初年まで行なわれていた牛方の経験者からのインテンシブな聞取り調査を踏まえ、「飛騨鰤」の輸送について考察したものである。
 特論では、松本盆地で今日も行なわれている「年取魚」(大晦日に鰤を中心にして魚を供えたり食べたりする習俗)を引き合いにしながら、鰤荷の発生や塩鰤の製法、その儀礼と形態について検討をくわえたものである。
 以下に目次を掲げる。

 はしがき
第一編 越後経由の移入路
第一章 千国街道の様相
   第一節 先学の業績
   第二節 信越間の輸送物資
   第三節 経路
   第四節 輸送制度
   第五節 輸送形態と輸送技術
   第六節 ボッカの生活
   第七節 ボッカの消滅過程
第二章 輪送機関をめぐる問題
   第一節 ボッカの位置づけ
   第二節 人担輸送機関の性格把握
第二編 飛騨経由の移入路
第一章 野麦街道の様相
   第一節 「飛騨ブリ」の道として
   第二節 牛方の活動
   第三節 ボッカの活動
第二章 越中・南信濃との接続
   第一節 飛騨国境地帯
   第二節 南信濃を目指す道
特論 年取魚としてのブリ
   第一節 ブリ荷の発生
   第二節 塩ブリの製法
   第三節 儀礼と形態
 おわりに

 このうち、第一編第一章は大久根茂・渡辺定夫氏との共著、同第二章第三節は大久根氏との共著である。本書は第一編第一章『大町・糸魚川街道のボッカ調査報告書』(一九七六年三月、立教大学宮本研究室)を初出として第二編第二章第二節「飛騨鰤再考−木曽谷の伝承をめぐって−」(『民俗文化』一三、二〇〇一年三月、近畿大学民俗学研究所)までの四半世紀に及ぶ研究成果を報告と論文にまとめたものである。とくに一九七六年の報告は一九七二年から七三年にかけての調査データであり、調査後三六年を経過した今日、大町・糸魚川街道のボッカを研究するときの貴重な「民俗資料」であり、今後このような調査報告を作成することは不可能であり、さらにこのデータが学部生の見るもの全てが新鮮に写る時代に調査されているもので、かえって生きたデータが縷々報告されており、今後のこの地域の基礎データとなることは必定であろう。さらに民俗学の近年のいわゆる基本項目+時代の潮流にのった調査項目方式とはことなり徹底した経済伝承に終始して収集していること、また調査方法が編者を含めた三人が民俗学だけでなく歴史学(古文書)・民具学の素養があって(いうまでもなく当時の立教大学宮本馨太郎研究室のあり方であるが)調査する確かな視点をもっていたことがこうした伝承・文献・民具(物質)を活用させたボッカ論となっているのであろう。

 他の項目は胡桃沢氏の単独による著作であるが、すべては一九七二年から一年半余りの大町・糸魚川街道周辺の調査が基礎となって展開していることが本書を通読して明らかとなる。前著の書評の時にも触れたことだが近年の民俗学研究における「経済伝承」は低空飛行であることは否めない、胡桃沢氏と酒を飲み交わすたび「近年の民俗学の凋落ぶりを思う時」民俗資料のもつ重要性が民俗学の人たちから消滅しようとしている現実に本書は、「足・目・耳・モノ」から地域の経済伝承を紐解くよき指標になる一書であろう。「交易交通史の民俗学的研究」という分野を手がけている胡桃沢氏の前著「民俗として把握される交易、およびその展開の前提となる前近代的な形の交通を、西日本をフィールドとして検討し、交易・交通史研究のなかへ位置づける」(五〇二頁)の畿内を中心とした点としての研究から中部日本かつ東日本をも視野に入れた著作が上梓されたことは民俗学内部にも一つの風穴をあけたものであろう。「民俗資料」の収集を忘れがちな若い民俗学を標榜する方々に一読を薦めたい。




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