岡崎寛徳編『遠山金四郎家日記』 | |||||
評者:戸森麻衣子 | |||||
「歴史評論」659(2008.3) | |||||
本書は、神奈川県横浜市の財団法人大倉精神文化研究所所蔵の史料を翻刻したものである。「遠山金四郎家日記」といっても用人・近習がつけた日記であり、いささか勘違いしそうな書名ではある。 本書に収められた日記の原状は以下の六冊に分かれていたと氏は推測している。 @・Aの時期の遠山家当主は景元で、当時江戸南町奉行の職にあった。B・Cの時期の当主は景元の子景纂で目付を勤め、Dの時期は景纂の子景彰で役職は小姓組番、Eの時期は景彰の養子景之で、役職は同じく小姓組番である。この日記の内容を理解するには当時の当主の役職を踏まえる必要がある。というのは、@からEの日記は基本的に同シリーズの史料であるといえようが、記録された内容にやや変化が見られるためである。@・Aの時期に当主景元は南町奉行として数寄屋橋御門内の役宅に日常詰めており、奉行家来もともに南町奉行所に詰めて、奉行の官房を扱いながらこの日記を記したと思われる。このような事情から、景元自身の役務日記と似た内容を持つと推測される。それに対しBからEは、遠山家の屋敷において認められた日記であり、当主の登城・帰宅記事、他の旗本との書状往返・贈答記事、当主家族や家来の動向が詳細に記され、より旗本の家の記録としての性格が濃い。 岡崎氏は解説で本日記から読み取れる論点について二つ、@旗本と知行地の関係、A旗本と旗本家臣の関係、を挙げている。前者については従来、知行所名主家に伝来した史料によるアプローチ(川村優氏らの研究)がなされてきたが、このように旗本家側の史料が発掘されることによって、関係構造の双方向的な把握の進むことが期待できる。後者の問題は宮地正人氏や石山秀和氏が取り上げてきたところであるが、論点の広がりの見えにくい旗本用人論の新たな展開に本書が資することを期待したい。 (ともり まいこ) |
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