鈴木哲雄著『中世関東の内海世界』
評者:湯浅治久
「歴史学研究」838(2008.3)

     T

 本書は鈴木哲雄氏(以下著者)による第3冊目の著作であるが,岩田書院の「地域の中世」シリーズの一書として編まれたもので,単なる論文集ではなく,かなり明確な意図により編まれたものである。しかしもとよりそれが一朝一夕にできるわけはなく,著者が長年にわたり一貫した問題意識をもって対象に沈潜し,論考を積み上げてきた結果である。そのことがこうした一貫性の高い著作を世に送り出した原動力であり,著者の地域史に対する視点の確かさを示していると思う。以下,内容を紹介し,若干の論評を試みたい。まず略目次をあげておこう。

序 地域の区分(1994年:発表年。以下同じ)
T 中世の利根川下流域
 第一章 古代から中世へ−下総国葛飾郡の変遷−(1997年)@
 付 論 地域史の方法としての東京低地論(1995年)A
 第二章 古隅田川地域史ノート(1982年)B
 第三章 古隅田川地域史における中世的地域構造(1984年)C
U 中世の香取内海世界
 第四章 香取内海の歴史風景(1994年)D
 第五章 御厨の風景−下総国相馬御厨−(2001年)E
V 中世香取社と内海世界
 第六章 中世香取社による内海支配(1993年)F
 第七章 河関の風景−長島関と行徳関−(1999年)G
結 二つの内海世界を結ぶ道

 本書は序と結を付した八編の論考で構成されている。序においては峰岸純夫氏の東国社会の地域区分を批判し,峰岸氏が河川を「境」とするのに対し,むしろ「核」とすべきとして「利根川=江戸内海地域」(以下A地域)と「鬼怒川=香取内海地域」(以下B地域)を設定し,そのそれぞれがTとUVという本書の構成に対応する。

 そこでA地域に関してのTの各論だが,@では古代に一体性を持っていた下総国葛飾郡が,中世にかけて解体し,葛西郡という中世的な郡や,その他の荘園公領が成立してゆく様を叙述し,その過程での利根川下流域の開発や御厨的世界=非農業的な世界の特徴が指摘される。Aは@で叙述された東京低地を関東の地域構造論のなかで位置づけることが,どのような意味において「地域史の方法」となり得るかをさまざま叙述する。この二本は,葛飾区郷土と天文の博物館の地域史講座に著者がコミットするなかで得られた成果であり,地域史の実践の記録としても興味深い。

 Bは本書中最も古い論考で,Cとあわせて著者の原点を示すものである。内容は著者が設定した中世「古隅田川地域」をフィールドワークにより検証したものである。古隅田川は総武国境として古代より重視された河川で,これと古利根川に挟まれた慈恩寺台地と自然堤防上の居住域と後背低湿地の開発の一体性を足で検証している。そしてこれを中世史料研究を踏まえ全面展開したものがCである。ここで著者はこの地域を政治史の枠組み=国郡制の展開に留意しつつ,村落景観とその開発を農民レヴェルまで追求し,かつ「中世利根川文化圏」の一体性とその解体を論じる。交通形態や地域景観にも留意した「小地域」研究を基礎にしつつも,スパン・構想とも雄大な論考となっている。もちろん「古隅田川地域」は著者のA地域の中核に位置する。またBCがかつての高校教員としての著者の地域史の実践から生み出されたものであることも附記したい。

 さて,UVは一転,B地域に関わる論考である。Dは10世紀の平将門の乱を素材にこの地域の成り立ちを説く。将門は船の操作に長け,地域的な水上交通の形態がそれを規定していたことが指摘され,また「内海の領主」としての武士の成立や荘園・公領の編成もそれに強い規定性を受けていたことが指摘される。またEでは,この地域の典型的な荘園である相馬御厨の成立・景観・交通と領域(四至)が明らかにされる。中世的な郡郷の形成にともない成立したにもかかわらず,そこには「湖沼の荘園」としての風景が存在し,千葉氏ら武士もやはり「内海の領主」としての属性を持っていたという。

 以上を前提に,B地域の中核をなす存在である香取社の性格を分析したものがVである。Fでは,常陸・下総または利根川流域にまで及ぶ支配権の内実を明らかにするために,香取社領の構造を詳細に分析する。その結果,香取内海の津・浦と海夫と言われる人々に対する津料徴収などの具体像を抽出している。著者は香取内海を「境界領域」と呼び,その支配の淵源を香取社の有する国衙・一宮としての公的な機能から説明せんとするが,なお結論を保留しているかにもみえる。Gは,香取社の利根川流域の河関支配の故地である行徳・長島関の踏査の記録だが,関を湊と把握すべきこと,その淵源には国衙支配権と連動した香取社の支配が存在することがさりげなく指摘されている。

 結では,この二つの地域を結ぶ道として従来言われていた関宿などを排して,平安時代に成立した東海道を想定する。このルートは相馬御厨の南限である坂東大路でもある。つまり二つの河川・内海世界を接続するのは陸上交通であったことになる。

     U 

 本書には多様な指摘があるが,畢竟二つの地域構造の特質を「小地域」分析から明らかにし,かつその相互関係から「中世関東」の全体としての特質を明らかにした書と言えよう。その基底にあるのは関東における地域構造の核となる河川と内海の重要性である。ここに形成された「小地域」に注がれる著者の目線は低く,そこから国郡制や境界領域,また「中世利根川文化圏」といった広域的な「地域」が逆照射されるが,その場合でも分析はあくまで具体的である。その方法と視角は現在の地域史研究の最良の成果の一つであろう。

 著者はそれを80年代前半から一貫して追究してきた。80年代初頭は中世地域社会史の端緒であるが,Bはそれをいち早く実践的に受け止め,Cで独自の東国社会論として提起している。これは驚くべきことであり,著者の視角は早熟とすら言い得る。評者はさきに東国地域社会史の形成と展開の経緯を整理したが(拙著『中世東国の地域社会史』岩田書院,2005年),その際,著者のこの成果を見落としていたことをここでお詫びしなければならない。

 また著者が批判的に継承せんとする峰岸氏の東国論,あるいは萩原竜夫氏の「中世利根川文化圏」論など,それまで個別的に展開していた「地域論」は,著者により初めて総合化されたのであり,結果からみれば著者の視角とは,現在の交通・流通からみた東国地域史論の前提となったものであったことになる。

 そして各論考の成り立ちからわかるように,関東各地の地道な博物館や自治体史編纂の活動,学校教育における教員の方々の教育実践や研究活動がそれを支えていたのであり,著者はその実践者そのものでもあった。著者の仕事にある種の暖かみが感じられるのは,多くの人々との連携と協業に支えられ,その成果を誠実に論考に反映させているからに他ならない,と評者は考える。

     V

 さて,以上を確認したところで,本書に関するいくつかの疑問や感想を述べてみたい。

 まずA地域の分析の要点である「文化圏」の展開と総武国境との関連について。著者は「古隅田川地域」の地域的一体性が中世後期には国境を越えてすでに成立していたことが前提となって近世の国郡領域の再編成がなされた,と論じるが(C),この点がやや分かりにくい。著者は「古隅田川地域」が核となる「中世利根川文化圏」も国境を越えていることを「最大の意義」とするのだが,その一部が近世武蔵に編成されるのは,中世後期の武蔵側に成立した「市場之祭文文化圏」に取り込まれていったからであるとする。しかし「市場……」は「中世利根川……」に対抗してこれを包摂するような「文化圏」なのだろうか?「市場……」は,中世後期の新たな経済圏の成立であり,「祭祀圏」を越えたその展開も,じつは河川を核とした中世後期に固有な一エリア(市場圏?)であることを否定できないように思う。祭文に表れた市場は祭祀の世界よりも中世後期の発展した村町に基盤があるのではないか。いずれにせよ,この点,もう少し具体的な説明が欲しいところではあるまいか。

 じつはこの点は,著者の分析の中心が中世前期にあることにも関わっている。この点,東国中世の百姓結合の実態把握についてみよう。著者は下河辺庄赤岩郷の分析から,「逃散の作法」にのっとり領主に闘争を仕掛ける百姓らを描き出し,これをほとんど西国の百姓と同等と位置づける(C)。これは最近も著者が主張するところであり(「中世東国の百姓申状」『中世の内乱と社会』東京堂出版,2007年所収),その是非は今後とも議論になるところと思うが,こうした百姓らの動向と,著者が景観論や金石文の分析から巧みに描きだす15世紀における村落の成立,という点には断絶があるように思う。なぜなら著者の指摘する金石は檀那や本願である個人により造立されたものだからである。

 もちろん有力者の背景に百姓結合が存在するだろうことは否定しないが,やはり直接的に両方のイメージを結びつけることには躊躇を覚える。百姓らが主体的に自己を主張する段階と,少数の有力者のもとに結集して強固な村を形づくることの間には何があるのか。これはさきの市場圏の問題とも関わり,中世後期の地域形成の主体をどこに求め,いかに評価するか,という問題でもある。著者は春日部氏の存在などから,平安期の在地領主の地域形成の主体的な役割を指摘するが,その後の展開はどうなのか。土豪や小領主による地域の主導はないのか。彼らに固有の地域形成はないのか,などが気になるのである。著者の今回の提起とはいささかズレのある問題かもしれないが,東国史の固有性の検討には不可欠の論点だと思うのであえて指摘させていただいた。

 つぎにB地域=香取内海地域の性格について記したい。著者はこの地域の特色として「境界領域」としての性格を指摘する(F)。これは河川と内海を核として地域が形成されるとする著者の指摘といささか齟齬をきたす指摘であると思う。それはこの海域の海夫といわれる人々や津・浦が常総という国境を明らかに越えた存在であることを意識してのことだと思われる。著者は香取社のこれらの人々や津・浦に対する支配権を,国衙・一宮という公的な源泉から読み解こうとしている。そのことの意義は確かにある。しかし「境界性」を踏まえると,それは一国的な支配権を明らかに越えるものとなってしまうのでないか。著者は明示してはいないものの,この点で迷いがあるのではなかろうか。それはすなわち,水運や流通など,明らかに一国規模を越える歴史的現象をどのように評価するかに直結する問題であり,にわかには結論が出せないのであろう。著者の今後の議論の展開に期待したいと思う点である。

 さて,最後に,結で指摘した二つの内海をつなぐ陸路=東海道,という指摘だが,結論として明解だと思うものの,いささか物足りない感を受けるのも事実である。平安期における地域形成を重視する著者からすれば,その成立期を規定した陸路の変化と定着は大きな要因には違いない。しかし著者自身が描き出した河川と内海の中世的展開を前提にみれば,問題は線ではなく面ではないのか,という疑問が浮かび上がる。さきの国境再編の問題ともからみ,河川・内海世界はさまざまな局面で堺を接するものであろう。関宿の問題も,下河辺庄の存在とともに,水路・陸路を問わず,その境界としての性格は重要であったのではないかとも思うのである。

     W

 以上,些末な指摘に終始したが,コンパクトでありながら濃密,平易でありながら奥行きのある考察に満ちた中世地域史研究の精華であることは間違いのないところである。中世に限らず,地域史研究は歴史学に不可欠であり,またその再生のキーワードとなる貴重な営みである。著者の視点と意志をひきつぐ仕事が各地で活発に展開されることを念じて,
拙い書評の任を終えることとしたい。



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