永井隆之・片岡耕平・渡邉俊編『日本中世のNATION−統合の契機とその構造−』
評者:大嶌聖子
「地方史研究」336(2008.12)

 本書は二〇〇六年八月二一日に開催された中世史サマーセミナーのシンポジウム「中世における統合の契機とその構造」の報告集である。本書の刊行の経緯については、「現在の歴史学は、戦後歴史学の進歩史観が脱構築されてしまい、研究テーマが個別細分化している状況にある。戦後歴史学の残した「良識」や「善」に依拠しすぎて、戦後歴史学が当初有していた「現在あるもの」を説明しようとする力が、弱まっているように感じる。よって、我々は歴史学の力の回復に賭けて、本書を世に問う。」と説明されている(はしがきより)。
 論文掲載の順番は、シンポジウムの報告順であり、討論の結果を踏まえて、シンポジウムの「趣旨」をはじめとする文章に若干の表現方法などの修正がなされている。
 本書の内容はつぎの通りである。

 シンポジウム「中世における統合の契機とその構造」趣旨
 「世界」はいかにして「統合」されるのか(新田一郎)
 「神国」の形成(片岡耕平)
 滅罪と安穏(渡邉 俊)
 日本における「国民主権」の起源(永井隆之)
 シンポジウム「中世における統合の契機とその構造」を聞いて(佐藤弘夫)
 中世社会に統合はあるか−近代史家からの意見−(小路田泰直)
 全体討論
 あとがき

 このシンポジウムの目的は、日本のナショナリズムの生い立ちを問うというものである(趣旨説明)。「統合の契機」を「帰属意識」に求めるという点が報告の共通点のひとつである。以下、内容を簡単に紹介する。
 「『世界』はいかにして『統合』されるのか」(新田一郎)は、古代・中世の人びとが世界をどのように認識し、とくに直接の知覚に触れない世界はいかに統合されていたかを「王権」や「権威」とのかかわりから述べる。「『神国』の形成」(片岡耕平)は、中世人がわれわれを意識する過程を明らかにする。十三世紀には畿内近国から関東を範囲に「神国」意識が広まり蒙古襲来をきっかけに異域と対峙したことによってその意識が生まれたとする。「滅罪と安穏」(渡邉俊)では、「滅罪」と「安穏」という観念をキーワードに近代国家につながるまとまり〃の成立の条件が中世社会に準備されていたとする。「日本における『国民主権』の起源」(永井隆之)は「国民主権」の起源を戦国時代の村から生まれた社会契約の論理に求めている。

 シンポジウムでの各報告については、佐藤弘夫氏の「シンポジウム『中世における統合の契機とその構造』を聞いて」においてでも端的にまとめられている。佐藤氏は帰属意識の起源とその諸相の解明という点でシンポジウムの目的は達成されたと述べる。つまり、統合の意味を意識や理念の面から説明し、人間社会外の他界や自然界をも含めた上で理解する行為と捉える方向性に賛成し評価している。また、近代史の立場から小路田泰直氏が中世社会に「王権」による一定の統合があったことを述べ、中世社会と近代社会とが直結するものとして捉えることを主張している。
 報告者の試行錯誤やシンポジウム当日に問題となった点が示されていて参加していない者にもその様子がよくわかる構成になっている。さらに「あとがき」では、「容易に解体されないこの国家の共同性〃」について歴史的に考察・説明する視座の必要性を改めて説いている。
 本書は、読者に中世社会をいかに捉え直すかという点を提議した書であり、読者にもいくつもの考えなければならない問題を提示している。示唆に富む書であることは間違いなく、一度手に取られることをお勧めする。



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