佐藤喜久一郎著『近世上野神話の世界 在地縁起と伝承者』
評者:西海賢二
「地方史研究」336(2008.12)

 本書は歴史民俗学、口承文芸を専門とする三十代前半の佐藤喜久一郎氏の処女論文集である。佐藤さんは近年、伝説や昔ばなしの、おとぎの心を取り戻して、心豊かな地域おこしに役立てようと、群馬県吉井町を中心にした民俗や歴史などを学ぶ「ひつじ大学」の学長に就任された方である。といってもこれは、地域おこしの住民グループ「一郷七村おとぎ村」の活動に、佐藤さんと若手の研究者六人が協力して、毎月一回の講演会形式の授業を行い、参加者と垣根のない討論を通して地域文化の再活性をめざしたものであるという。若手の民俗学者がこうした地域に関連した活動団体を起こしたことに賛辞を送りたい。
 この数十年、具体的には隣接の歴史学界からの批判を民俗学が受け止めることはなかったように思う。とくに一九七〇年代の地域(地方)題材にした個別分析法や都市に題材を求めた「都市民俗論」などあるものの、これらは方法論としての展開であったことはいなめないであろう。民俗学者のありそうでなかった地域活性と関連した事業が起こってきたことを素直に評価する必要もあるだろう。これと直接連動するものではないが上野国(群馬県)にかかわった本書も時宜を得た刊行ということになろう。

 これまでの上野国の神話の世界を『神道集』「在地縁起」ばかりを対象とするのではなく、近年というかここ十年余、歴史学の井上攻・山本英二、口承文芸の久野俊彦、考古学の時枝務らの研究に刺激されるように、由緒・系譜・稗史など、上野国のあらゆる近世的歴史叙述を対象にして、それら相互の関係及び、上野国のイデオロギーとの接合(融合)あるいは非接合を考える必要性を全面に打ち出している。その根拠に「在地縁起」もまた、他の異質な歴史叙述から其の制約を受けて、ある一定の役割をもっていることから見出そうとしたものである。佐藤氏の言葉を借りれば、「上野国という場で行なわれてきた歴史解釈のせめぎあいの過程を、「上野神話」の名のもとに再構成することで、「上野国」という概念をめぐるさまざまな葛藤の歴史を明らかにしたいのだ」(二八頁)。この問題に立ち向かった佐藤氏の勇気に興味を覚えるが、本書のよって立つスタンスが民俗学を基礎とするものか、あるいは歴史学なのか、その分析方法が余りにも地域を題材にする割には学際的切り口の解釈が先行している点がやや気になるところである。
 以下に主要目次を掲げる。

 序 章 上野神話という概念
 第一章 近世化された周縁
  一 「聖なるもの」と「賊」
  二 碓氷峠の「佐太夫」
 第二章 「物部神道」と「榛名神道」
  一 「物部神道」と『先代旧事本紀大成経』
  二 「榛名神道」の誕生
 第三章 『神道集』と「在地縁起」
  一 『神道集』の「上野国」とは何か
  二 「在地縁起」の近世的展開
  三 「お菊」信仰の近世的展開
 第四章 「羊太夫」と「上野国」の終焉
  一 「小幡羊太夫」伝説の個性とその問題点
  二 「羊太夫之墓」から「多胡碑」へ
  三 「小幡羊太夫」をめぐって
  四 「多胡碑」と「シラクラ」
 終 章 再び周縁へ
  一 「佐太夫」と「羊太夫」
  二 歴史の誤読は避けられない



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