植木行宣監修 鹿谷勲・長谷川嘉和・樋口昭編『民俗文化財 保護行政の現場から』
評者:西海賢二
「地方史研究」336(2008.12)

 本書を通読して本音のところでこうした企画本が出てくることに驚きとともにいい時代になったものであるとの実感がある。二〇年、三〇年まえであったらとても現場の声を反映させるようなことはほとんどなかったであろう。もしこの企画を実行したなら恐らくお役所からクレームがきただろうなと思うのは多少出版業界に関わりをもった者としての偽らざる実感である。
 本書は民俗文化財行政の関係者から、制度だけでなく本音(現場の声)が聞こえるようになった嚆矢の著作になるかもしれない。ここ数年学芸員の処遇をめぐっての著作が目立つようになり、『学芸員の仕事』などの著作が刊行されこの手の本として流通にものって版を重ねていることは承知していたが、ここまで文化財行政の歴史的経緯のうえに、現代社会や将来への展望にむけては多くの課題が山積みされ、さらにはここへきての民俗文化財や保護行政の転換期ともなり、制度や役所担当者間での解決は難しい状況となっている。
 とくにここ二十年余り、全国各地の文化財行政、なかでも「民俗文化財」に対する各自治体の対応は驚くばかりの貧弱さを露呈しているように思える。とくに文化財担当者のなかに「民俗文化財担当者」が県レベルでも一人、もしくは存在しないことによく出会う。凄いところでは専門外の人が一時的にその場を凌いでいることなど日常的となっている。編者の長谷川嘉和さんが「ひとりぼっちの民俗担当」と欺いているように、繰り返しになるが都道府県の教育委員会でも民俗文化財担当者は一人か、他の文化財とかけもちをする。なかには専門性のない高校教員が一、二年の交替をしながら担当している現実がある。
 この間の経緯は「民俗資料」から「民俗文化財」となるのが昭和五〇年(一九七五)というように、他の文化財とくらべ著しく価値が低くみられてきたのがその一因であろう。ただし、この問題はお役所だけの問題に留まらず、民俗学や民具学の学問的位置づけとも連動しているものであり、両学会が正面きって「民俗文化財」で何かしらの事を起こさなかったことからも明らかであるだろう。そのことが自然と「民俗文化財保護行政」の立場は弱いというイメージが付加されてきたのではあるまいか。編集者一同による「はじめに」にもこの当りが意識されたものと思われ、「民俗文化財に関わる広範な活動のごく一部の実践であるが、本書が全国で民俗文化財の保護に関わる人々の参考になればと考えている。」と反映されている。
 この辺りの現状は、多少なりとも博物館・資料館などで民俗文化財を担当した経験者ならば不思議に思っていることがあるだろう。現状では、身近な民俗文化財や保護行政が、一般市民と余りにも乖離していることである。その要因の一つにこれも常々思うことだが、民俗文化財や保護行政があまりにも市民へのよびかけを怠ってきたことに帰結するであろう。その好例が夥しく刊行されている民俗文化財や保護行政の本が、書店から公刊されることはほとんどないということである。まことにもって不思議な制度なのだが、行政機関(とくにほとんど利用しない議員さんなど)と仲間内にだけ配付する部数しか印刷をしないということも驚きである。さらには、市民が知ろうとする「民俗文化財」や「保護行政」そのものについても適切な解説書すらなかったという現実がある。
 本書は、民俗文化財の保護・記録・とりくみ・世界無形文化遺産と民俗文化財にまで及んでおり、民俗文化財の全体を理解する上で参考となるものであろう。とにかく過小評価されてきた「民俗文化財」の問題解決にむけてようやく本音が現場からしがらみを取っ払って聞けたこと、その点で本書の刊行はきわめて意義のあるものであろう。
 以下に主要目次を掲げる。

 T いまなぜ民俗文化財か
 U 民俗文化財の保護
 V 民俗文化財の記録
 W 民俗文化財保護のとりくみ
 X 世界無形文化遺産と民俗文化財
 *民俗文化財保護の仕事
    −ひとりぼっちの民俗担当−   長谷川嘉和
  長谷川嘉和さんのふたつの顔
    −本書の刊行にさいして−   樋口  昭
  長谷川嘉和さんの仕事(業績)

 本書の企画は、樋口昭さんの一文によれば「本書は、この期に長谷川さんの文化財担当者としての業績をたどりつつ、民俗文化財に関わる種々なテーマ・話題を取り上げて、文化財行政の展開を鳥瞰し、新たな展開を望むために企画された。本書に寄せられた論考・報告から、新しい文化財・文化財行政への動きが起こることが期待される。長谷川さんには、今後もこの動きとともに、別の側面から文化財に関わっていただきたいと本書の執筆者をはじめとして、多くの方々が望んでいる。」(四二三頁)と記されており、四半世紀にわたってたった一人で行政の文化財担当者(民俗)をしてきたが、二〇〇七年三月に定年を迎えられた、ひとまずの区切りに刊行されたものであり、繰り返しになるが本書が起爆剤として文化財担当課における民俗文化財担当の在り方に光明がさすことを願ってやみません。



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