湯浅治久著『中世東国の地域社会史』
書評:峰岸 純夫
「歴史評論」692(2007.12)

 中世東国史研究を下総・上総地域を中心に研究して来られた湯浅治久氏が、長年の研究成果を一書にまとめた。氏の問題関心は、在地領主や住民や寺院の織り成す中世の地域社会の構造はいかなるものであったかということを追究することである。本書は、次のように三部九章構成となっている。

 序章 本書の課題と方法
第一部 東国寺院と地域社会
 第一章 東国の日蓮宗
 第二章 東国寺院の所領と安堵
 付論一 東国寺院資料の伝来と宝蔵
 付論二 六浦上行寺の成立とその時代
 付論三 資料としての曼荼羅本尊
第二部 東国「郷村」社会の展開
 第三章 室町期東国の荘園公領制と「郷村」社会
 第四章 中世郷村の変貌
 第五章 中世〜近世における葛西御厨の「郷村」の展開
 付論四 お寺が村をまるごと買った話
第三部 地域社会と「都市的な場」
 第六章 鎌倉時代の千葉氏と武蔵国豊島郡千束郷
 第七章 肥前千葉氏に関する基礎的な考察
 第八章 東京低地と江戸湾交通
 第九章 中世東国の「都市的な場」と宗教

 序章では、中世東国史研究の流れを総括しながら、網野善彦・石井進編『中世の風景を読む』全七巻(新人物往来社、一九九四年)の、資料論としては文字史料のほかに考古資料・地名・絵巻物・伝説・歌謡などを発掘・駆使し、都市・村落・信仰・流通・職人などのテーマを対象として、中世に生きた人々の生活と意識を探るという方法に学び、これを「地域社会史」と位置づけて本書の筋立てとしたことが述べられている。ついで、本書の構成について述べる。

 第一部では、一章において唯一東国出身の開祖である日蓮と日蓮宗について、東国地域史、とりわけ江戸湾岸の視座から考察し、下総千葉氏と密接な関係をもって発展した中山門流(法華経寺)の聖教類の預け置きや貸し出し、辻の堂や村の堂の取り込みなどを通じて教線の拡大を図ったと指摘する。二章では、中山法華経寺の所領の形成を領主権力の所領安堵の形態を通じて明らかにする。
 付論一は、日蓮宗寺院における聖教・文書類が箱・つづら・皮籠などに入れられて宝蔵に保管される実態を考察している。付論二は、聖教奥書の記述から六浦坊(上行寺)の存在を浮き彫りにしている。付論三は、曼荼羅本尊の史料学で、その授受のあり方から本末関係を探るなどの方法論を提示している。

 第二部では、東国の荘園公領制を問題にする。その視角は、在地領主制から村落を見るという観点を相対化して、主として中世後期の上総の村落を対象に地域社会から把握するというものである。
 三章では、鎌倉期以来の大豪族が滅亡した上総では、鎌倉の寺社領が進出し荘園公領制の再編を見る。具体的には畔蒜荘の横田郷・亀山郷などについて村落景観の復元を試みる。その際、金石史料(梵鐘・棟札など)を活用して郷村鎮守とその結衆のありようを考察する。
四章は、下総国八幡荘大野郷の復元的研究である。その際、広域の郷とその単位をなす村の二重構造を想定する。『市川市史』の門前博之氏の近世村落の復元的研究を批判的に継承・検討して、一五・一六世紀の中世後期村落の復元を試みる。その際、寺社関係をも重視して本土寺過去帳の大野地域関連記事を援用し、在地領主館や城郭をも位置づける。 五章は、葛西御厨の村落景観の考察である。応永五年葛西御厨田数注文と永禄二年小田原衆所領役帳、それに正保元年成立の武蔵田園簿や元禄郷帳等の村高を対比して古隅田川・古利根川・太日川三流路に囲まれた自然堤防上の中世後期村落の配置を想定する。田数注文の分析では、公田を香取神宮の賦課対象である国家的公田としこれが葛西氏の支配と重層的に構成されているとしている。
 付論四は、千田道胤の臼井荘神保郷内ふるまかた村売券を手がかりに、それを取得した法華経寺が末寺を建立した事例から領主支配と百姓の村の重層性を指摘する。

 第三部は、「都市的な場」(町場)の研究である。六章では、「日蓮遺文紙背文書」の長専書状の千束郷御年貢米・借上米分の銭貨が鶴岡社の徴収使によって責め取られる史料を手がかりに、千束郷は幕府御料所で寺社の郷として流通の拠点であったと指摘する。
 七章は、肥前小城郡の千葉氏の研究で、「日蓮遺文紙背文書」などによりながら筑紫・京都・東国を結ぶ替銭・借上の問題を明らかにするとともに、現地の宗教事情、日蓮宗の普及状況を指摘する。
 八章は、鬼怒川・小貝川と流域の湖沼群を含む内海と江戸湾という二つの内海をつなぐ葛飾を中心とする東京低地の一五世紀における歴史的位置付けの解明を目指す。湾岸では、六浦・神奈川・品川などの港湾都市と並んで東京低地の石浜・市川などが流通と宗教の拠点となっていることを多様な史料から浮かび上がらせている。
 九章は、前章が講演記録であるのに対して、論文として構成したもので石浜・船橋に加えて風早荘・畔蒜荘(横田郷)、常陸国志田荘佐倉郷古戸宿、上総国富津などの事例を追加して水上・海上交通とその拠点である「都市的な場」の経済的・宗教的機能を明らかにしている。

 以上が本書の概要であるが、次にその評価と感想を記すことにする。
 第一に、湾岸低地と利根川流域という二つの地域の中世史を地域社会史という視点を貫いて描き出した点である。そこには、流通の拠点である港と「都市的な場」(町場)があり、その周辺に郷村がある。また、在地領主もおり城館があり(在地領主不存在の場合もある)、本・末の寺院や村堂があり、日蓮宗の強い基盤となっている。さながら宗教王国の観を呈する。その点では、浄土真宗の発展した北陸に対応すると思われる。千葉氏ら領主権力も日蓮宗の外護者であることによって支配の存続が保証されていた。このような地域的特質を明らかにした優れた地域社会研究ということが出来る。
 第二に、曼荼羅・聖教類など宗教史料にアクセスして有効に活用し、また「日蓮遺文紙背文書」などの裏文書を随所に用いており、史料論としての完成度が高いと思う。それらの史料を生かして、宗教を布教する側からの視点ではなく、受容する側から捉えなおした点は功績と思う。裏文書の世界は、通常残された公式文書以外の廃棄された私文書の世界を垣間見せてくれるゆえ、社会の実態に迫る史料として有効である。本書で随所に活用された裏文書は誠に興味深いものである。
 第三は、在地領主の千葉氏一族についてであるが、在地領主制論を相対化して地域社会の中の一つの勢力として扱っており、すなわち地域社会の中でどのような役割を果たしているかという視点は有効であろう。なお、西遷した肥前千葉氏をとりあげ日蓮宗の普及を考察しており、裏文書を使って流通面のつながりを解明しているが、下総千葉氏と一族的な政治的な関係はどうであったのか、知りたいところである。

 以上述べたように、地域社会史研究として本書の達成は大きなものがあり、多くの後進の導きの糸となるものと思う。私の関心にひきつけてのことであるが、今後は一五世紀後半の内乱、享徳の内乱などがこの地域にどのような変動・転換をもたらしたのか、ご研究いただければ幸いである。些細なことで恐縮であるが、拙稿に関わって三〇一ページ「武蔵国多東郡の真慈悲寺」とあるのは「多西郡」の誤記である。
(みねぎし すみお)



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