天野紀代子・澤登寛聡編『富士山と日本人の心性』
評者:青柳 周一
「「日本歴史」726(2008.11)

 本書は、平成十四年度の法政大学学術フロンティア部門のプロジェクト「古典文化と民衆文化」における共同研究の成果報告として刊行された。この共同研究は、テーマを〈富士山をめぐる日本人の心性〉に限定して発足させたものであったようで、本書で扱われているのも「日本人は富士山に何を感じ、何をもって精神的な拠りどころとしてきたのか。富士山はいつの頃から日本の象徴と見倣されるようになったのか、またその信仰はどのような形で人々に浸透したのか」(本書五頁)といった問題である。
 「あとがき」によれば、この〈富士山をめぐる日本人の心性〉というテーマ設定は、「『富士の研究』全六冊(富士山本宮浅間神社編、一九二八〜二九年)を出発点としながらも、同時に、外国人の富士山への眼差を視野に含めて日本人の心性を解明し、これによって異文化としての日本文化の相対化を試みようという基本計画」によるものであった、と説明されている。ここでの「異文化としての日本文化の相対化」とは、日本の古典文化について、それをア・プリオリに存在したものとして見倣すのではなく、各々の時代の文化構造を基礎として生み出されたものと捉えた上で、さらに多様で混沌とした民衆的な文化をも視野に入れることによって、かつて「日本的」とされてきた文化の再検討を図る、という試みのようである。
 本書における最大の特徴は、右のようなコンセプトに従って、富士山をキーワードとしながら、古典文化と民衆文化、さらには富士山に対する信仰までを総合的に扱っている点であろう。このような富士山をめぐる総合研究としては、前出の『富士の研究』が先駆的な成果であるが、本書では富士山の文化史・宗教史的状況を総覧することから一歩進めて、その背景としての日本の各時代の文化構造にまでメスを入れようとしているのである。本書には外国人による富士山の描かれ方や、「外国人による富士山研究」についての論考も含まれているのであるが、これは富士山や日本文化を客観的に議論するための視点を導入する工夫として評価できるだろう。

 本書はT・Uの二部構成となっているが、Tには「描かれ・語られた富士山」をめぐる論考八編が、Uには「登攀・登拝の対象としての富士山」についての論考六編が収められている。まずTでは、縄文時代の遺跡にみる縄文人の富士山への意識化(高橋毅・金山喜昭論文)、『万葉集』や「富士山記」など古典文学に表れる火の山・富士山への畏怖(天野紀代子論文)、『神道集』やお伽草子『富士の人穴』などにみる富士山をめぐる中・近世の民間伝承(宮本瑞夫論文)、近世の仮名草紙・浮世草子・随筆類などを用いた富士山=「三国一」の山という認識の展開と国家意識との関係(小林ふみ子論文)、江戸歌舞伎における「暫」の上演と富士山の文言(木村涼論文)、謡曲〈富士山〉の演じられた場所と江戸幕府の富士山認識(川上真理論文)、近現代の時代小説における富士山の描かれ方の特質(横山泰子論文)、そしてビゴーが作品中に富士山を描くか否かを、外国人向け・日本人向けで使い分けていたこと(高橋覚論文)など、時期的にも内容的にも広範な題材が論じられる。
 続くUでは、富士御法家伝来文書をめぐる諸経緯と内容的特質(岡田博論文)、「御大行の巻」の内容と機能(中山学論文)、富士山における「人穴」・「御胎内」と近世庶民の富士信仰の実態(山本志乃論文)、富士山北麓吉田登拝口の食行身禄派師職と江戸の富士講(「江戸十一講」)との具体的関係(澤登寛聡論文)、寛永寺を中心とする天台勢力と近世富士信仰との関係(菅野洋介論文)、明治期の不二道孝心講と皇居御造営手伝土持(小林秀樹論文)といった題材について論じられている。Tに比べると、近世・近代富士信仰史に特化した題材が並んだ観があり、富士山麓地域および関東地方における富士講を中心とする富士信仰の展開が、実証的に解明されている。

 富士山は、神話・説話・和歌・演劇・絵画など幾多のジャンルにおいて盛んに取り上げられ、幕末以降には外国人によっても「ジャポニズム」の主要な対象として意識化されるといったように、歴史上きわめて多様なイメージを託されてきた存在であった。その一方で、古来富士山は「霊山」として幅広い信仰を集め、近世には江戸を中心に富士講が隆盛するのであるが、それと同時に富士山は登山客で賑わう「観光地」としての性格も有するに至っていた。また、小林ふみ子氏が論じているように、富士山は国家意識とも早い時期から結びつき、戦前・戦中期には国民統合のシンボルとして国内外に喧伝されるようになるのである。このように、各時代の社会における富士山の機能のあり方も多様であった。
 〈富士山をめぐる日本人の心性〉を解き明かそうとするのであれば、まずは富士山にまつわるさまざまなイメージや社会的な機能を確認するところから出発して、その上で個々の要素を丁寧に解析する必要があるだろう。こうした作業を通じて、富士山に多様なイメージや機能を付与した日本の文化史的・宗教史的特質について、長い歴史的スパンで考察することが可能となると考えられる。本書の試みに評者が賛意を覚えるのは、こうした点においてである。
 ただし、あえて注文をつけたい部分もある。たとえば、従来の近世富士信仰史研究は江戸・関東の富士講研究とほぼイコールのものとして進展してきたため、他の地域における富士信仰の状況や、吉田村と吉田口登山口以外の信仰登山集落や登山口についての研究は立ち遅れている。そのため、かえって近世富士信仰の全体像の把握が困難になってしまっているのであるが、本書のUも富士講を扱った論考が多くを占めており、江戸・関東以外の地域や吉田口登山口以外への目配りは少ない。富士信仰の総合研究を目指すのであれば、こうした点は意識的に克服されるべきではなかったろうか。なお近年は、山形隆司氏による大和国の富士信仰・富士講の研究や、高埜利彦氏・荻野裕子氏や評者による富士山の駿河国側の登山口についての研究などが発表されている。
 ともあれ、本書が富士山をめぐる歴史について、その研究水準を大いに押し上げたことは間違いない。また、本書のような視角を有する総合研究は、ますます細分化しようとする歴史学研究動向に対して一石を投じる意義もあろう。ぜひ、一読をお勧めする。
(あおやぎ・しゅういち 滋賀大学経済学部准教授)



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