辻本弘明著『中世武家法の史的構造−法と正義の発展史論―』
評者・成清弘和 掲載誌・御影史学論集25(2000.10)


 日本古代史を専攻する評者が中世法制史の専著である本書を紹介するのは必ずしも相応しくなく、特に研究史上における適切な位置づけができないことは著者並びに読者に対して申し訳なく、ご寛恕下さることをはじめにお願いしておきたい。
 では、本書の構成をまず紹介しておく。
(目次省略)
 書名及びこの構成から了解されるように、本書は中世全般にわたる武家法の史的特質を捕捉されんとしたものであり、その基本的な立場は「序」に明言されているように、人と人との紐帯の組織化を中枢とする封建社会を規定する、武家法の本質を積極的・肯定的に評価されようとするものである。
 その方法として緻密な史料分析はもちろん、強靱な論理構成力で武家法の発展過程を跡付けられるとともに、その背後に深い洞察力と広範な視野に立った問題意識が横たわっているゆえに、本書はわれわれの前に重厚な姿を現すのである。
各章すべてを紹介するのは不可能なので、門外漢である評者が特に興味を覚えた第四、第六及び余録の三章について簡単に述べてみることとする。まず、第四章は御成敗式目に見える「道理」と一見矛盾するかに思える追加法の「不論理非」という文言との関係を解明され、さらに両者の鎌倉時代から戦国時代への歴史的変遷にも言及されたもので、緻密な史料分析が冴えている。第六章は喧嘩両成敗法という不可解な法の発生過程を追究され、そこに中世武家訴訟制度における知行の性格(第三章と関係する)を中核に据えてその本質を鋭く指摘されたもので、グローバルな歴史認識がその背後に窺える。余録は本音の中で最も気軽に執筆されたものであろうが、評者にはその論に大いに惹かれるものがある。つまり、第四章での主題であった「不論理非」の背後に、理を理として追究することの否定という日本的精神を垣間見ようとされ、また法の性質としての「社会的妥当性」から現今の為政者たちのご都合主義的な憲法解釈を鮮やかに指摘されているからである。誠に的確な洞察である。
いずれにせよ、ともすると資料からの帰納による単なる歴史的事実の抽出に満足しがちなわれわれにとり、本書はさらなる歴史的真実に迫るための論理の重要性をはっきりと教えてくれる。そういう意味で、本書は歴史学・民俗学を志す若い学徒には必読の書となろう。
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