藤木久志・小林一岳編『山間荘園の地頭と村落−丹波国和知荘を歩く−』
評者:下川雅弘
「地方史研究」335(2008.10)

 本書は、編者らのフィールド・ワークグループによる、丹波国和知荘と当地に生きた地頭片山氏に関する研究成果を収録したものである。地頭片山氏は、もと武蔵国片山郷に本領をもつ鎌倉幕府の御家人であり、承久の乱の勲功の賞として和知荘の地頭職が与えられ、その後、同荘に入部したものと考えられている。「はしがき」にも記されているように、編者らのグループは、関東平野から山間荘園に移住した武士が、在地でどのように生き、荘園を支配したのかといった疑問から、片山文書の読解と六年にわたる現地調査を実施し、村々や地域社会の視点から、在地領主とされる地頭片山氏の姿を明らかにしていった。本書は、こうした共同研究の成果である。
 まずは、本書の構成を以下に示しておく。

  はしがき     (小林一岳)
 第一部 和知荘と地頭片山氏
  第一章 片山文書の世界     (小林一岳)
  第二章 仁和寺・九条家と和知荘     (櫻井 彦)
  第三章 和知荘における下地中分と地頭片山氏     (蔵持重裕)
  第四章 室町期片山氏と一宮・八幡宮     (松本 保)
  第五章 室町〜戦国期の和知荘と片山氏     (黒田基樹)
 第二部 片山氏と村落
  第六章 和知下荘の百姓と片山氏     (窪田涼子)
  第七章 株のある村−和知荘安栖里村に関する一考察−   (遠藤ゆり子)
  第八章 和知下荘中村にみる片山株と村落     (長谷川裕子)
  第九章 上下和知荘の結節点升谷地域と土豪野間氏     (増山智宏)
  第十章 和知の山論     (藤木久志)
 付録 片山文書 主要写真・文書一覧
  あとがき     (藤木久志)

 さて、本書の内容を章ごとに紹介しよう。
 第一部の小林論文は、片山文書を単なる「家」の「相伝」文書として捉えず、周辺の案文や系図も含め、同族結合との関係や、在地社会における文書の機能等について、全体として複雑で多様な性格を有していることを指摘し、これを片山氏が本来持っていた豊かな性格に規定されたものと評価する。櫻井論文は、下地中分によって片山氏が地頭方となった下荘に対して、以前から和知荘を領有し、その後も上荘を領家方として確保した仁和寺と、戦国期においてこれを引き継いだ九条家について検討し、立荘の背景、仁和寺による上荘の経営、九条家領となる経緯に関して、いくつかの可能性を提示する。蔵持論文は、片山氏を在地との関わりという観点から考察し、片山氏の土着化はかなり困難な道のりであったと推定する。松本論文は、応永二十八年に作成された二通の寄進状の分析により、室町期の片山氏が、荘郷鎮守への財政援助と自己の主催する祭祀の公開実施という両面から、地域社会との接点を結ぼうとした姿を想定する。黒田論文は、片山氏が戦国の戦乱を通じて在地での存続を果たした背景を、和知荘内の他の有力者との連携・協調に求めるとともに、天下一統後における大名家との被官関係の断絶についても、和知荘における片山氏の存続という側面から説明する。

 第二部の窪田論文は、戦国期に作成された二冊の帳簿の分析を中心に、年貢等の収取、生産物の特徴、差出と名編成、公事と下行といった、和知下荘における片山氏の支配と在地の実態を検討する。遠藤論文と長谷川論文は、ともに現地調査の成果を踏まえ、和知下荘安栖里村と中村を対象に、近世における村の実態を考察する。前者は安栖里村における株・組・講など重層的な社会集団の役割を、後者は中村における片山株の構造・機能や系譜を検討している。増山論文は、和知上下荘の結節点である升谷地域と、当地の土豪野間氏の動向を、山林の共同所有や野間株の検討とともに復元する。藤木論文は、戦国末期から十七世紀末の和知における八件の山論を取り上げ、中世以来の自力救済の作法が、近世に至っても存続していたことを確認する。

 以上のように、本書は、特定の山間荘園における地頭と村落の関係を描き出すことに成功しているばかりでなく、長きにわたって実施されたフィールド・ワークグループによる共同研究の成果という側面においても、学ぶべきものが多い。ご一読をお薦めする。



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