落合功著『近世の地域経済と商品流通』
評者:井上 拓巳
「関東近世史研究」65(2008.10)

 本書は、著者がこれまで分析してきた江戸を中心とした関東における地域経済と商品流通に関する論考をまとめたものである。すでに著者には『江戸内湾塩業史の研究』と『地域形成と近世社会』に見られるように関東を対象とした多くの研究成果があるが、本書はその集大成とも言えるものである。これまで著者が関わってきた自治体史編纂や一九九六年の関東近世史研究会大会報告の内容などをもとに各章が構成されている。
 本書の構成は以下のようになっている。

序章
第一章 「領主的流通」の展開と木更津湊
第二章 幕府国産化政策の特質と池上幸豊
第三章 池上幸豊の国益思想と海中新田開発
第四章 江戸近郊農村における醤油醸造業の展開と人的関係
第五章 幕末期商品流通の展開と江戸・関東
第六章 中京地域における商品流通の展開
終章

 第一章では、西上総地域の集散市場として機能していた木更津湊を中心に、年貢米輸送とその担い手である船持ちのありかたについて検討している。木更津湊は大坂の陣の由緒を背景に幕領年貢米の廻送権などの特権を有しており、西上総地方の物的・人的両面で江戸への窓口として成長した。そして、木更津湊に限らず、「領主的流通」とは産地・船持ち・消費地が封建的な関係で担われている点にその特徴があることを指摘している。それ故、木更津湊の船持ちなど年貢米などの領主的流通に関わるものの注意の対象は領主であって市場ではなかったとしている。

 第二章では、まず近世における砂糖業の展開を検討している。近世前期において砂糖の国内生産はほとんどなされず、唐船・オランダ船からの輸入に依存せざるを得なかった。この状況を打開するために正徳期に砂糖の国産化が意図されることとなり、享保期には具体的な政策として現れるようになったとしている。また幕府政策とその担い手の思想の特質について、甘庶砂糖製法の伝播に関与した池上幸豊を中心に検討している。そして池上幸豊自身が砂糖製法の伝播について国益を主張して領主側へ訴えかけていることなどから、国産化政策の現場レベルでも砂糖国産化が御益という国家的課題であるとの認識が存在していたことを指摘している。

 第三章では、宝暦から天明期にかけて各地で見られる国益思想について明らかにすることを目的とし、関東において国益を行動規範として活動していた池上幸豊の取り組みを中心に検討している。池上幸豊は池上新田を開発したことで知られているが、その新田開発の背景には当時の村々の困窮があった。幸豊は新田開発地を義田と呼称していたのであるが、これは幸豊の土地に対する基本概念の根底に土地公有論が有り、封建思想に基づいたものだったからである。農村に滞留した無高層やそれらが都市に流入することで顕在化した都市問題に対し、その解決方法を幸豊は新田開発に求めたのである。このように幸豊は百姓の存続を前提とした地域益を基本思想として有していたが、それ以外にも「米価の蓄積」に根ざした殖産による国富思想もまた有していたことも指摘している。

 第四章では、武州多摩郡江古田村の山崎家文書を使って、近世後期の醤油醸造業を営んだ山崎喜兵衛家の経営動向について検討している。近世後期の江戸地廻り経済圏の展開の中、江戸近郊農村では多くの醤油醸造業が開業し、その内の一つである喜兵衛家も七〇〇石程度を醸造する中規模醸造家に成長し、江戸市ヶ谷谷町や中野下宿に出店するなど販売網を強化するとともに、原料供給網を独自に形成するなど積極的な活動を行っていた。ところが、文化一〇(一八一三)年に江戸問屋仲間が株仲間として公認されたことをうけて、喜兵衛家の江戸市場への直売りは締め出しを受けることになった。そして江戸問屋仲間の株仲間化が江戸近郊農村醤油醸造業者が江戸直売りから撤退する理由であったと指摘している。こうした事態に対し、喜兵衛家は新たな婚姻関係を結ぶことで商人世界へ入る努力をしていたが、結局のところ成功せず、周辺の地域市場の確保を志向するようになったとする。つまり喜兵衛家は江戸市場への販路の確保が困難と判断し、地域市場の確保を目指すこととなったのである。

 第五章では、江戸市場とそれを支える上での関東各地の商品流通の問題と、江戸市場の動向に対する幕府の対応の二つの側面から、幕末期の商品流通について論じている。江戸市場は御府内として位置づけられ、一つの地域的な枠組みが設定されていた。そして問屋仲買の独占が強められ、集散市場としての性格は弱まり、消費市場としての性格を強めていった。一方関東地方の各地では水陸交通の発展に伴って、河岸や宿場町などの在郷町を対象として在郷町相互での流通が行われるようになり、地方市場が成立したとしている。消費市場としての性格がより強くなった江戸市場は幕末期には諸品の払底や価格の高騰など動揺を見せる。それに対し幕府は、従来通り問屋仲間を掌握することで対応するだけでなく、自らが産業統制を行うことで対応しようとした。この産業統制構想や江戸市場の問題に対してその当時数多く出されていた意見書は、下り物に依存するのではなく関東・東日本経済圏の構築を目指すことが主張の基本をなしていた。江戸市場の自立化の方向性が幕府のみならず、多くの階層から提起されていたことを示すものとして注目している。

 第六章では、四日市とその後背地の商品生産・流通の動向について明らかにすることが主題となっていて、多面的に四日市における流通を検討している。本書の対象地城は南関東が中心であるが、江戸地廻り経済の特質をより鮮明にするために、比較対象として中京地域の事例を取り上げている。まずは御城米など米の集散地としての面から四日市を考察し、伊勢湾にあって桑名に次ぐ御城米集散地であった四日市が、天明飢饉時における廻米の際に機能する様や、次第に藩領年貢米の集荷・管理を行っていくようになる過程を明らかにしている。次に幕末期、四日市や後背地に向けて恒常的に入荷されていた塩に注目し、四日市が単なる通過点ではなく、備蓄倉庫として機能していたことを明らかにしている。また米や塩に限らず干鰯・茶・油・薬種の四日市における取引や急速に勢力を拡大していた内海船と四日市との関係についても言及している。こうした検討を通じて、四日市の成長の理由として、四日市の商人が重要な役割を担っていたこと、また天領であったが故に比較的特権商人との結び付きが弱かったため後背地の商人・藩との結びつきを強く持つことができたこと、また陸上交通と海上交通の結節点であるという地の利があったことを挙げている。
 以上のように各章で明らかになったことを踏まえて、終章では関東における地域経済の展開と特質について流通・経済思想・地域経済の三つの視点からまとめている。

 次に本書の内容について二点ほど私見を述べたい。まず一点目は江戸市場における東北地方からの商品の存在である。消費市場としての江戸を考える上で、畿内からの下り物や関東近辺の地廻り物の重要性が高く、著者はこれらを中心に本書を執筆されている。しかし東北地方からの商品の流通についても念頭に置いた上で江戸市場を見ることでより深く検討することができるのではないだろうか。もちろん江戸や近郊の市場を考える上で、下り物や地廻り物に比べれば、量的には少ないのだが、これらについても念頭に置いた上で江戸市場を検討する必要があるように思われる。
 二点目は近世・近代移行期の江戸・東京における商品流通の移り変わりについてである。第五章の中で明治初年の江戸市場の様子について、筆者は近世的な幕府権力の強制が無くなったこの段階で江戸市場が求心性を失っていくと展望している。そして明治政府によるインフラ整備を通じて近代的市場としての東京市場として再生していくとしいている。この点については本書とは別の論文で著者は論じているが、近世・近代移行期の市場の変貌についてはさらなる研究の蓄積が必要なように思われる。特に市場の担い手の中心が、近世の問屋仲間から近代の都市商人へと移行する過程についてその具体像にせまる必要があるように思われる。これらを明らかにすることで、江戸市場の特質がより明らかになると思われる。これらの課題を明らかにする必要性については筆者ももちろんご承知のことと思われるが、今後の商品流通史研究の進展のためにも重要な論点であると思われるので、ここで述べさせていただいた次第である。

 以上本書の概要と評者の私見を述べさせて頂いた。評者の力量不足から認識不足な点や的外れな私見を述べてしまった部分があるかもしれない。何卒ご寛恕願いたい。



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