白峰旬著『幕府権力と城郭統制−修築・監察の実態−』
評者:黒田 慶一
「ヒストリア」206(2007.9)


 現在、日本各地の近世城郭が発掘調査・史跡整備され、多くの報告書が刊行されている。それらを見るにつけ違和感を抱くのは、元和一国一城令以降、武家諸法度の城郭統制のもと、国内城郭は停滞の時代に入り、新規の普請・作事はないという通説であった。各地の現存城郭建造物の多くが、江戸時代も後半以降の建造にかかるという事実を前にしても、せいぜい被災後の再建であろうと、通説に沿って片付けようとしたのは私だけであったろうか。
 この通説に全面的な異議を唱えたのが本書である。

 本書は、幕府による城郭統制下における城郭の存在形態について、大名居城の修補・修築という観点(第一部、第一〜三章)と、幕府権力の大名居城への介入(監察)という観点(第二部、第四〜八章)から考察した。
 第一章「大名居城の修築と修補申請基準・増改築許可基準」は、武家諸法度の条文のみを皮相的に解釈してきた今までの城郭統制論に批判を加え、具体的な事例検討を行っている。
 第二章「城郭修補申請方式の変遷」は、幕府に対する城郭修補の申請方式について、普請と作事に区分して具体的事例を検討し、その変遷を考察した。
 第三章「豊後国佐伯城の大修築(宝永六年〜享保一三年)」は、江戸時代中期の佐伯城修築を検討し、幕府の許可を得さえすれば、外様大名でも、居城の大修築を行えた事例を紹介する。
 第四章「公儀隠密による北部九州の城郭調査(寛永四年)−『筑前・筑後・肥前・肥後探索書』の分析−」は、公儀隠密が江戸時代初期に北部九州の大名居城を詳細に調査した記録を分析した。
 第五章「公儀隠密による四国七城の城郭調査(寛永四年)−『讃岐・伊予・土佐・阿波探索書』の分析−」は、同じく公儀隠密が四国の大名居城を詳細に調査した記録を検討した。
 第六章「美作国津山城受け取り(元禄一〇年)」は、江戸時代中期に津山城主森長成の改易に際して、城受け取りのために幕府から派遣された田村建顕の動向を考察したものである。
 第七章「石見国浜田城引き渡し(天保七年)」、第八章「陸奥国棚倉城受け取り(天保七年)」は、江戸時代後期の大名改易ではない、通常の転封における城引き渡し・受け取りについて検討したものである。大名の軍事動員は伴わず、大名改易の際の城受け取りとは異なっている。

 元和偃武から幕末までの二五〇年間で、幕府の基礎が未だ固まらなかった武家諸法度(元和元年令)では、純粋な軍事案件であった城郭統制が、時代の経過とともに軍事的要素が稀薄になり、単なる行政案件に移行していく。それに幕藩体制の基礎である封建制的主従関係の「御恩」「奉公」は、大名の居城修補の怠慢を、将軍に対する「奉公」の欠如と見做すことから、城郭修補は不可欠であった。
 また幕府の許認可は先例主義であるため、文書管理・保存は徹底し、現代に多くの史料を残した。
 本書は、幕府と藩双方に残るアーカイブズを読み解く際の格好の手引書にもなっている。




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