砂川博著『中世遊行聖の図像学』
評者・中村慶太 掲載誌・御影史学論集25(2000.10)


 本書は、当会会員でもある砂川博氏の三冊目の著作である。表題のとおり、一遍を中心とした中世遊行聖やその教団の姿を絵巻物の図をもとにときあかした労作である。本書の内容はつぎのとおりである。
(目次省略)
 第一章は、『一遍聖絵』(いわゆる『一遍上人絵伝』)の論点とその研究史をまとめたものであり、図像学としての著者の見解は、第二章から第六章を中心にのべられている。
 第二章では、第一節で太宰府へ一遍出立の場面での人物を比定し、第二節で一遍の師聖達がえがかれない理由をときあかす。第三節で一遍が華台上人のもとでの修行をおえて聖達のむとにもどった場面での築地の外をゆく騎馬武者の一団について、別本との比較により、武士が旅に出発する姿であるとし、「悪人」としての武士と築地内の「僧」の対比をねらったものとした。第四節では、賦算遊行にでる一遍が三人をともなう理由と論争されてきた念仏房と聖戒の比定をしている。第五節では、日本史の教科書等でもとりあげられ
て有名な福岡の市で、人物の改変の理由を明らかにし、市の人々の一遍に対する無関心さをとりあげ、その後の聖性を強調するねらいがあったとする。第六節では、市屋道場での踊り念仏の場面での構図の特異さを他の踊り念仏の場面と比較して、人物配置の規則性によるものだとした。
 第三章では、「聖絵」中の節目節目に桜がえがかれていると指摘し、それらが一遍にとって重要な意義をもっていることをときあかし、氏神でもある大山祇神社の「桜会」によりすりこまれてきた桜に対する民俗的な宗教体験が一遍の原風景にあると結論づけた。
 第四章では、『聖絵』の熊野での賦算を拒否した僧をとりあげ、『絵詞伝」では、僧が律僧に改められたのは、二祖他阿弥陀仏真教の時代に時衆教団と律衆教団との間に競合がみられ、時衆の優越性を主張しようとしたものであるとした。
 第五章では、『絵詞伝」の前半をとりあげ、『聖絵』との相違をとおして、二祖真教を強謂し、他の教団との対立関係を反映したものであるとし、第六章では、『絵詞伝」の一遍没後の真教が時衆教団を再編成し、宗祖一遍が足を踏み入れていない地で、奇瑞を演出することで名声をあげ、遊行上人としての足場をかためていく様子をときあかした。
以上、図像学に関係のふかい部分をとりあげて紹介してきた。絵巻物の研究方法とその興味深さについて、おおくの示唆をあたえてくれる一冊である。
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