有光友學編『戦国期 印章・印判状の研究』
評者:村井 良介
「歴史学研究」830(2007.8)


 本書は主として,印判状の文書論的分析により,戦国期諸権力の性質を論じる論考を収めた論文集であり,科学研究費補助金基盤研究「戦国期印章・印判状に関する総合的研究」の成果に基づいている。この科研費報告書の戦国期印章台帳は,後北条氏や毛利氏などを除き,全国の印章の事例を収集したもので,これ自体,大きな成果である。本書に収められた論文は,このような大規模な調査を前提とすることで,印判状研究の一つの水準を示している。
 以下,この論文集の成果によって,戦国期の武家領主権力研究がどのように深化するのか。また,それらの比較・総合はどのようになされるべきであるのかという関心から,論評をおこないたい。なお,収録された論考の多くは,基礎研究としての性格を持っている。そこで明らかにされている,印章の使用者などの基本的な事実が,重要な成果であることは言うまでもないことであり,以下では逐一取りあげて論評しない。また,紙幅の関係から,各論考の個別的な論点すべてに論及することができないことを,あらかじめお断りしておきたい。本書の論文のうち,有光友學氏,片桐昭彦氏,千葉真由美氏の論文は新稿である。その他は,前述の科研費報告書からの転載であるので,初出は2004年3月である。

 市村高男「関東における非北条氏系領主層の印章」は,佐竹氏,結城氏,里見氏等の印章使用についての基礎研究という体裁をとるが,印判状の文書論的分析にあたって留意すべき要素や視点が抽出されている。まず,印章が日付にかけて捺されているか,日下に捺されているかといった,捺印箇所の違い。これは花押の代替としての印章使用(私印)であるのか,家印としての印章使用(公印)であるのかといった違い,あるいは書札礼とも関連する。また,朱印/黒印,有形象印/無形象印,大きさや郭の数の違いなどにも注意を促す。これらについては,家格秩序など,社会的地位との関連や,豊臣期以降の使用状況の変化が論じられている。

 平山優「戦国大名武田氏の印章・印判状」は,武田分国における印判状を分析したものである。興味深いのは,穴山氏,小山田氏,小幡氏ら国衆に印判状発給が見られる一方,城代の印判状発給は稀であるという点である。平山氏は,小山田氏は,奉書式印判状がないなどの点から,穴山氏とはその性格が相違するとし,武田氏,小山田氏,穴山氏の権力を並列的にとらえる矢田俊文氏の戦国期守護論を批判している。確かに,この三者を対等な連合体とし,武田氏を守護と評価することには問題があると思われるが,一方で,城代との比較からすれば,小山田氏が印章を使用していること自体,もう少し重視されてよいのではないだろうか。穴山氏と比較すれば,小山田氏の未熟さが目立つことになるが,城代や武田氏一族でさえ,印章使用が稀であることを考えれば,小山田氏の位置はやはり特異である。

 井原今朝男「中世の印章と出納文書−諏訪社造営銭徴収システムと武田家の有印文書−」は,従来の研究が戦国大名の印章使用を特殊視してきたのに対し,出納関係の有印文書は南北朝期から存在したのであり,戦国大名の印判状も,中世の印章使用の中に位置づけて理解すべきであるとした。戦国大名の印章使用を相対化した点で,きわめて重要な指摘である。印章使用が,文書の用途と関連している可能性を示しており,権力の強弱や,礼の高下とのみ結びつけることの問題点を指摘したものと言えよう。ただ,表1として掲げられている中世印の使用事例を見ても,守護権力などの印章使用は見受けられず,戦国期になって地域権力が領域支配に,印判状を用いはじめたことはやはり重大である。

 有光友學「今川氏の印章・印判状」は,今川氏の発給文書を内容から分類し,印判状と書判状の使用の傾向を数量的に分析したものである。その結果,主従制の基軸にかかわる領知関係などは書判状が多く,領国統治にかかわる禁制・法度類には印判状が多いことが示された。これは,相対的に書判状は人格的であり,印判状は非人格的とする構図であり,結果的には山室恭子氏と同じ評価に至っている。ただ,有光氏は,こうした印章使用は,多様な要素に左右されるのであり,統計的な処理によって,権力の性質を論じる際には,慎重さが求められることに注意を促している。この点については後述する。

 片桐昭彦「上杉景勝の分団支配の展開と黒印状」は,上杉家中の黒印状使用について分析したものである。その結果,黒印状を使用するのは,城代でも,複数の郡を包括する広い地域を管轄する城代であること。また蔵奉行の印章使用も含め,単独で印判状を発給できるのは,知行高の多いものであること。また,基本的には印判状の発給者は実名を記さず,署判者個人を匿名にすることで,上杉家の公的な文書であることを示していることが明らかにされた。前述の平山論文では,武田分国において,城代と国衆の印章使用の有無に差が見られたが,上杉分国の例を見ると,広域的支配の管轄者であるか否かという差異を,考慮に入れてみることもできるだろう。むろん,城代は,あくまで上杉氏の公印として印章を使用しているにすぎず,独自の家印ないしは当主の私印を用いている国衆の領域支配とは,その権原に根本的な違いがあるが,大名分国内における広域的領域支配のあり方という観点からは,後北条分国の支城主や,市村論文に見られる中小規模の領主支配も含め,領域統治者の印章使用について,さらに追究される余地があるように思われる。平山論文,片桐論文の成果は,その点で興味深い。

 宮島敬一「浅井長政の印判状と浅井氏発給文書」は,浅井氏の付年号で名字の署名をする書状を,新たな文書様式の創出と評価し,整った様式の奉行人奉書でないからといって,未成熟な権力とは言えないとする。これ自体は印判状研究ではないが,他の権力の発給文書様式との比較から,性急に権力の性質を評価すること,特にあるモデルを先進的と見て,それに対して未成熟と評価することを戒めるものであり,印判状研究にも通じるものがある。

 立花京子「信長天下布武印と光秀菱形印」は,信長と光秀の印形が,楕円や菱形といった従来の日本国内の印章の伝統から外れる形であることから,ヨーロッパの印章の影響を指摘し,両者が旧秩序を否定する思想を持っていたと評価する。印形についての分析の必要を改めて示した論考である。ただ,伝統的印形使用に結びついている旧秩序とは何か。また,旧秩序の否定が印形に反映することはあるとしても,その逆に,印形の特異牲が,旧秩序の否定を示すとは限らないのではないか。これらを今少し慎重に検討することが必要であると思われる。

 森田恭二「豊臣秀次・秀頼の政権と印判状」は,豊臣秀次・秀頼の印章使用状況から,それぞれの政権の性質を論じたものである。秀次は関白就任後,朱印状を発給するが,国制的権限に基づくものと,礼状に限られ,それ以外では秀吉の朱印状が出されている。よって,秀次は傀儡政権であったとする。また,関白に就任しなかった秀頼は黒印のみの使用であったとした。とすれば,朱印は豊臣家当主であるというだけでは使用できず,あくまで関白という地位と結びついていることになる。では太閤秀吉の朱印使用はどのように位置づけられるのか。傀儡政権という評価にとどまらず,さらに権力構造に踏み込んだ分析をする余地があるように思われる。

 川岡勉「四国における印章・印判状」は,四国における印章使用の事例を網羅的に検討したものであり,その結果,阿波・讃岐・伊予では,豊臣期以前,印章の使用は見られず,土佐では長宗我部氏などに限定的ながら使用が認められるとした。ここから,山室恭子氏の議論を引き,長宗我部氏では,非人格的・官僚制的支配が強まらず,人格的支配が色濃いとした。山室氏の議論を適用することの是非については,後に詳しく述べたい。

 鈴木敦子「肥前国における戦国期の印章使用」は,龍造寺氏,鍋島氏の印章使用を分析したものである。注目されるのは,印章の使用は略式で,粗略であるという観念が見られる一方,そうであるがゆえに,印判状は親しい相手に対する私信に,花押の代替として用いられるという点である。印章の使用は,権力の尊大化であり,かつ非人格化であると評価されてきたが,鍋島氏の事例は,両者が必ずしも一致しないことを示している。

 福島金治「戦国期島津氏琉球渡海印判状と船頭・廻船衆」は,琉球渡海印判状から,船頭・廻船衆の実態と,領主権力の港湾支配のあり方に迫ったものである。印判状論として見た場合,これも過書という用途と結びつく印章使用であり,その起源が朝鮮の図書に求められるとするならば,大名権力自体の性質とは別の文脈でとらえられる可能性を示唆する。

 千葉真由美「近世の惣百姓印−南関東地域の事例収集を中心として−」は,近世における惣百姓署名および惣百姓印の事例を収集し,統計的に分析した。また「惣百姓」が必ずしも実体をともなっていないことが明らかにされた。村落における意思決定などの問題を考えていく上で,重要な指摘である。統計的な処理では見えにくい,個別の事情について,今後さらなる分析が待たれる。

 以上,論文ごとに論評を述べてきたが,以下では,評者の問題関心に沿って,全体を通しての成果と,そこから見えてきた課題について述べる。
 印判状の発給状況の分析から,戦国大名権力の性質を論じた研究としては,山室恭子氏の『中世のなかに生まれた近世』(吉川弘文館,1991年)が画期的な成果であった。本書の各論文でも,たびたび言及されている。しかし,現在では山室氏の議論には,さまざまな問題点が指摘されている。山室氏は,印判状を非人格的で薄礼,判物を人格的で厚礼とした上で,全国の戦国大名の印判状と判物の発給比率を分析し,非人格的で超然とした支配をおこなう印判状系(東国型)の戦国大名と,人格的でゆるやかな支配をおこなう非印判状系(西国型)の戦国大名を抽出した。そして,やがて印判状系が優位となると見ている。すなわち近世大名は非人格的で,超然とした支配をおこなう権力に至ったとする。こうした分析の元となる枠組みは石母田正氏の議論によっていると思われる。石母田氏は,戦国大名の印章使用が,非人格化,公権化の象教と見ている(石母田「解説」『中世政治社会思想』上,岩波書店,1972年)。
 しかし,印章を子細に分析すれば,市村論文や平山論文が指摘するように,印章にも公印と私印の別があり,印判状を一概に非人格的とすることはできない。また,山室氏は印章使用を非人格化かつ薄礼化としているが,鈴木論文は,両者が−致しないことも示している。さらに井原論文や福島論文に見られるように,印章が特定の用途と結びつき,その文脈で使用されているとすれば,大名権力の性質という文脈でのみ印章使用を評価することは一面的である。すなわち,この論集が明らかにした大きな成果は,印章使用の性格の多様性であり,有光論文でも指摘されているように,単純に印判状と一括して統計的に処理できないことを意味する。
 もう一つ重要なのは,印判状使用の傾向から権力の性質を論じるに際して,異なった権力体を,同じ基準で比較することには慎重でなければならないということである。たとえば川岡論文にあるように,四国では印判状発給が乏しい。印判状と判物を両方使用している権力においては,どのような場合に印判状を用いるのかという傾向を分析し,相対的に非人格的であるといった評価を下すことも可能であろうが,そうして導かれた基準を,そもそも印判状発給が稀な権力に適用することは妥当であろうか。
 宮島論文は,浅井氏の発給文書様式を,六角氏などと比較して未成熟とすることを批判した。これは,特定の文書発給のあり方が,あるべき姿であり,それに当てはまらないものを未成熟とすることを問題視したものである。従来,石母田氏の議論に代表されるように,奉行人奉書に象徴される官僚制の整備,印判状に象徴される非人格化・公権化,当主専制化(尊大化)などが戦国大名のあるべき姿とされてきた傾向がある。しかし,すでに拙稿「戦国織豊期上杉権力発給文書と毛利権力発給文書の共通性と差異性」(『新潟史学』55号,2006年)でも述べたように,これらは,近世からの遡及的評価であり,戦国期の権力の固有の性質を見失わせる。たとえば,池享氏が指摘するように戦頭大名の支配における人格性は,必ずしも克服されるべき非本質的なものとは言えない(「戦国大名権力構造論の問題点」『大月短大論集』14号,1983年)。
 山室氏は印判状系と非印判状系を,用いた円グラフの状態から,「黒」と「白」と表現しているが,本書が示した印判状の多様性は,このような黒か白かという二元論ではとらえられないことを示している。二元論でとらえるということは,単一の評価軸の上で,戦国大名の位置を評価するものであり,戦国大名が持ち得た多様な性質をとらえきれない。
 このように考えれば,全国的に収集された印章使用の事例を利用し,個別の大名権力論を超えて横断的な議論を立てるというのは,簡単にはいかないということになる。しかし,それは慎重さが求められるということであり,断念すべきということではない。山室氏の議論には問題点はあるが,全国の大名権力を比較検討した意義は大きい。本書の成果は,その慎重な研究をするための課題を明確にし,条件整備をおこなったものと言えよう。
 なお,紙幅の関係と,評者の力量,問題関心の限定から,本書が提示した多くの論点について触れることができなかった。著者のご寛恕を請いたい。




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