小川恭一著『徳川幕府の昇進制度』
評者:三野 行徳
「関東近世史研究」64(2008.7)


 本書は、これまで『江戸幕府旗本人名事典』(原書房、一九八九〜九〇年)、『寛政譜以降旗本家百科事典』(東洋書林、一九九七〜九八年)などの事典類および、『お旗本の家計事情と暮らしの知恵』(つくばね舎、一九九九年)、『江戸の旗本事典−歴史・時代小説ファン必携』(講談社、二〇〇三年)などの一般書で、精力的に旗本・御家人に関する研究を発表されてきた小川恭一氏が、これまでの編集作業の過程で、一〇数年来作成してきた「覚書」をもとに、江戸幕府の御家人から旗本への昇進について検討したものである。

 江戸時代の幕府官僚組織が、職階・家格における流動性を持っていたこと、その前提となる足高の制などの政策は、これまでにも検討されてきた(1)。しかし、幕藩官僚制に関する研究は、基本的には藩−大名家を中心に進んでいる(2)。史料群のまとまりを前提として、藩官僚組織の全容が明らかになり、議論が活発となっている藩研究の状況と比して、幕府の官僚組織に関する研究は、特定の役職や、改革期の政策に関する研究を除けば、それほど多くはなく、江戸幕府の官僚組織の全貌はまだ見えない。その研究状況の大きな要因となっているのが、幕府の組織史料の残存状況の問題である。本書でも触れられているとおり、藩官僚組織を検討する際にその基本として用いられる「分限帳」類が、江戸幕府に関してはほとんど残存していない。民間で発行された各種「武鑑」類については、それらの発掘と共に近年大幅に研究が進んでいるが(3)、幕府内において、官僚組織の把握や人事管理のために作成されていた(はずの)「分限帳」類はほとんど見つかっていない。また定期的に提出されていた「由緒書」や「親類書」類、「明細短冊」も部分的にしか残っていない(4)。享保改革期以降、幕府勘定所内に、各方面から提出されたこれらの記録を取り扱う掛が設置されていた事が確認され(5)、表右筆の分限方や大目付の分限帳掛など「分限帳」の存在を指し示すポストが確認されるなど、江戸幕府は諸藩同様に「分限帳」類を用いて人事管理を行っていたことはほぼ間違いないと考えられるが、「分限帳」そのものがほとんど見つからないのである。
 かかる状況において、幕藩官僚制研究の根本に用いられてきたのが、寛政一〇(一七九八)年に編纂された『寛政重修諸家譜』(以下、『寛政譜』と省略)である。『寛政譜』には、大名のほか、旗本五〇〇〇余家と一部御家人家の家譜が収録されており、あらゆる研究の基本史料として用いられてきた。しかし、『寛政譜』は、寛政年間に、諸家の申告に基づいて編纂された家譜であり、厳密な考証の手続きを経ているとはいえ、自家の歴史・由緒を物語る側面や、それに由来する記事のゆれなどの問題もはらんでおり、その記事の前提となる史料などにも目を向ける必要がある(6)。また、寛政以降になると、旗本・御家人を網羅的に記した史料はほぼ皆無となり、幕府法令等に登場する人物の比定ですら、苦労させられる場合がある。

 このような状況にあって、幕府官僚組織の研究環境の基盤整備を精力的に行ってきたのが、本書の著者の小川恭一氏である。『江戸幕府旗本人名事典』においては、『寛政譜』と同一史料によって編纂された「寛政呈書」と『寛政譜』を厳密に照合し、寛政時点での全旗本家をデータベース化し、またその作業過程で、旗本の定義を明確化された。続く『寛政譜以降旗本家百科事典』では、『寛政譜』以降の旗本家の根本史料の不足を補うべく、「諸向地面取調書」、国立公文書館所蔵「明細短冊」「由緒書」類(『江戸幕臣人名辞典』)、「柳営補任」を基本史料とし、その他、各「武鑑」「県令譜」「藤岡屋日記」等を参考に、寛政期以降の旗本家をデータベース化された。
 史料に記載された記事を単純にデータベース化するのではなく、記事を他史料から考証し正確を期すのみならず、禄高・知行地・役職・屋敷などのデータも、他史料から可能な限り収録し、あらゆる記載に出典を徹底的に記している点も氏の仕事の特徴である。レファレンスツールとしてのみならず、事典そのものに、氏の旗本・御家人研究の水準があらわされていたと言える。そして、これらの事典を作る上で氏が座右において書き記してきた「覚書」をもとに、旗本家の定義及び、江戸時代の御家人家から旗本家への昇進という現象をデータ化し、考察を加えたのが本書である。
 本書の構成は以下の通りである。

第一部 考察編
 寛政十年末現存家の御家人より旗本への身分移動
 付論1 寛政三年以降旗本家認定の改革−「永々御目見以上」の申渡し−
 付論2 御番入と部屋住勤仕者の切米支給
 付論3 御三卿家臣の身分
第二部 資料編
 御家人より旗本への昇進表
 付表 旗本・御家人 大概順

 以下、本書の構成に従って、内容を紹介したい。
 第一部の考察編に収録された「寛政十年末現存家の御家人より旗本への身分移動」は、表題の通り、江戸幕府の御家人から旗本への身分移動を、第二部の成果をもとにまとめた、本書のエッセンスとなる論考である。『寛政譜』に記載された旗本家に関する情報の中から、御家人から旗本への昇進を示す「班をすヽめ」という記録を徹底的に抜き出し、御家人から旗本への身分移動という現象を検討すると共に、時代やポストによる特徴を検討している。また、旗本・御家人をめぐる史料の問題や、旗本の定義と実数など、旗本・御家人をめぐって従来曖昧に説明されてきた事柄について、本書の基となる膨大な作業による、現時点での見解が示されるとともに、旗本・御家人の班別がつきがたい特殊な役職についてもまとめられている。
 考察編にはさらに三編の付論が収録されている。付論1「寛政三年以降旗本家認定の改革−「永々御目見以上」の申渡し−」では、寛政三年に発令された「家格令」について検討している。御目見以下の者が昇格して旗本職に就く際、従来はそのまま旗本家として取り扱われ、家格も相続されたが、「家格令」により、その取り扱いに制限が加わり、旗本職に就任した家でも「永々御目見以上」の申し渡しを受けていなければ、家格は相続されなくなる。本論では、「永々御目見申渡」の運用や傾向について、本書第二部の成果に基づいて検討している。
 付論2「御番入と部屋住勤仕者の切米支給」は、幕府官僚制の根本となる「番入」について、番入・番替・昇格・昇進・加増の点から検討を加えたものである。
 付論3「御三卿家臣の身分」は、幕臣との流動性が強い三卿家臣団について、付人・付切・邸臣の三種の身分および、三卿の成立の経緯や三卿家臣団内の職務に沿って検討されている。

 第二部の資料編には、本書の中心となる「御家人より旗本への昇進表(寛政一〇年勤仕の家)」(以下「昇進表」と省略)が収録されている。「昇進表」は、『寛政譜』にみられる五〇〇〇以上の旗本家から、御目見以下の御家人家から昇進した人物一一四八名を抽出し、五〇音順に収録したものである。各人物について、家禄/番筋/先祖の事歴と昇進者の職歴/昇進時期の情報が記されると共に、「班をすヽめ」や「勘定にすヽむ」などの昇進を示す記述があるかどうか、昇格以前の御家人としての身分が「抱入」か「譜代」かなど、旗本・御家人研究の上で重要な情報が記されている。「昇進表」は、御家人から旗本への身分移動という、幕府官僚制を考える上で重要な特質を検討する上で、特定の人物や改革政策からアプローチするのではなく、可能な限り史料を博捜した上で、それらを全て検討し、合理的な説明を試みている点において、優れた成果であるといえよう。そもそも『寛政譜』を何気なく読んでいても、「班をすヽめ」が、御家人から旗本への昇格を意味する事には気づかない。それに気づいたとしても、それが五〇〇〇家以上ある旗本家の記事の中でどれだけ記されているのか、どれだけの正確さを持っているのか、疑問はつきない。その疑問に対し、全ての記事を徹底的に検討するという、まっとうではあるが気の遠くなるような、地道な作業の成果がこの「昇進表」と、そこから導き出された合理的な説明としての第一部考察編なのである。「昇進表」に記された情報のうち、家禄や先祖の事歴は、『寛政譜』に書かれた情報であるが、番筋や昇格以前の御家人の身分などは、当該ポストに関する小川氏の研究を前提としている。『寛政譜』の徹底的な読み込みから得られた成果は、情報処理技術がどれだけ進歩しようとも、歴史研究の基礎は、史料の読み込みによる実証であることを指し示す好例であるとも思われる。
 また、これまで事典を作成してこられた小川氏らしく、「昇進表」には『寛政譜』の冊と頁および、小川氏編の『寛政譜以降旗本家百科事典』の番号が付されており、典拠を示すと同時に、レファレンスツールとしての利便性も考慮されている。また付表に「旗本・御家人 大概順」として、天保七年「武家格例式」をもとに、布衣以上八三職、布衣以下・御目見以上一一二職、御日見以下二五〇職の各ポストについて、職禄・支配・殿中席・身分・役職任命席・式日着衣の情報がまとめられている。この表により、「昇進表」や考察編の理解がより深まることは言うまでもないが、幕府官僚制を理解する上での良質のレファレンスツールともなる。

 以上見てきたように、本書は江戸幕府官僚制研究の上で重要な地位を占め、特に考察編で述べられた成果は、今後研究を進める上で前提とすべき成果であると思われる。

 著者の小川恭一氏ほ、二〇〇七年九月二五日、逝去された。最後の作品となった『江戸城のトイレ、将軍のおまる−小川恭一翁柳営談』(講談社、二〇〇七年)は、副題の「柳営談」が示すように、大名の江戸城中での日常を、江戸幕府の仕組みと共に軽妙に解説したもので、大名に関する「常識」を、現在の研究水準から一般向けにまとめられた優れた概説書である。全体の一割が註に割かれており、史料もふんだんに引用されていることからも、本書の水準が伺える。本書の最終章である「この本はおまえさんに譲ってやろう」には、小川氏が「柳営学」に向かうきっかけとなった師である三田村鳶魚との出会いが描かれている。学問を志す者にとって、師との出会いは、なにものにも代え難いものであろう。本書及び小川氏の著された『江戸幕府旗本人名事典』『寛政譜以降旗本家百科事典』は、幕府官僚制研究を志す私にとって、座右の書である。学恩に感謝しつつ、小川氏のご冥福を心からお祈り申し上げたい。

(1) 藤井譲治『江戸時代の官僚制』青木書店、一九九九年、大石学『吉宗と享保の改革』東京堂出版、一九九五年など。
(2) 高野信治『近世大名家臣団と領主制』吉川弘文館、一九九七年、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』吉川弘文館、一九九三年など。
(3) 藤實久美子『武鑑出版と近世社会』東洋書林、二〇〇〇年、藪田貫『近世大坂地域の史的研究』清文堂、二〇〇五年など。
(4) 熊井保、大賀妙子編『江戸幕臣人名事典』(新人物往来社、一九八九年)には、国立公文書館に現存する「明細短冊」が収録されている。
(5) 大石学『徳川吉宗・国家再建に挑んだ将軍』教育出版、二〇〇一年。
(6) 太田尚宏「「関東郡代」の呼称と職制」(『徳川林政史研究所 研究紀要 第三四号』徳川林政史研究所、二〇〇〇年)では、幕府代官伊奈氏を事例に『寛政譜』の記載をめぐる考証過程が検討されている。



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